奧の細道二人旅・酒田象潟
象潟2 | |||
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象潟 | JR羽越本線・象潟駅 |
象潟は。当時は東西2.2キロ、南北3.3キロの入江に九十九の小島を浮かべ、芭蕉の時代は松島と並び称された景勝の地で、象潟はこの入り江の名前で、村の名は塩越でした。しかし、文化元年(1804年)6月4日、大地震によって地面が2.4mも隆起し、水が涸れてしまった為、一面田んぼとなりその中に点在する緑の小丘に昔の面影を漂わせるのみとなってしまいました。 |
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駅前の句碑 (真蹟懐紙の写し) きさかたの雨や西施がねぶの花 ゆふ晴や桜に凉む波の花 腰長や脛ぬれて海凉し |
奥の細道記念切手碑 |
十六日象潟に着いた芭蕉は「能登屋」に泊まるつもりでわらじを脱いだのですが、熊野権現の祭で女客があって、やむなく向屋に宿泊しました。 | |
能登屋跡 | 向屋跡 |
芭蕉滞留中、当地の名主今野又左衛門は実弟嘉兵衛をつかわして丁重にもてなした。 | |
嘉兵衛宅跡 | 名主「今野又左衛門」宅跡 |