エーッ、毎度、馬鹿馬鹿しいお噺を……

「おいっ、隣の屋敷、綺麗な囲いを造ったな」
「そーよっ! なかなか、カッコイい!」

 エー …… 静まり返った高座で、噺をするのも、なかなか乙なものでありますが ……

 ここに茶パツのうら若い看護婦さんが、おりまして……。毎日、元気に仕事をこなし、患者からは明るい性格ですから好感をもたれております。ただ、いまどきの女性ですから、全く遠慮がありません。手術したばかりの年寄りにも、
「あらー、この注射、チョー痛そう。おじーチャン、我慢できないかも、しんなーい。そんなー、痛くしないで、なんて言ったって、針で刺すんだから、痛いに決まってるじゃるジャン。男は、マンガマンガ! えっ、何言ってるか判んないのー。もー、やんなっちゃうー。我慢、我慢っていってるの。おxxxx、持ってんでしょ。えっ、もう使いモンにならないって。やーだっ。乙女の前でそんな恥ずかしい事言わないで」
 なんて言いながら、おじーチャンの肩を思いっきり叩いたりする。おじーチャン、目を白黒させている。自分から変な事、喋っておきながら、急に、乙女になっちゃう。こんなお調ー子の良さも年寄りから見れば可愛いもの。余りにも真面目すぎる看護婦に比べれば、気持が明るくなるものであります。
 こんな彼女の、唯一の楽しみが、ハング・グライダー。風に乗ってスーイッ、スーイッ、と空の散歩。大自然に身をまかせるのが大好き。
「あー、イーな!まるで私は、トンビ。ピーヒョロロ! ピーヒョロロー」
 なんとも呑気なものであります。
「このまま、どっか遠くの世界に行っちゃいたいなー!ピーヒョロロ!」

 その時、突然、周りが真っ白になり、光の渦に包まれます。
「あーーッ!!!」

 ご隠居さん、今日も近所の寺での法要に行ってまいりまして、お清めのお酒で、ちょっと帰りが遅くなってしまいました。
「どうも、あの坊主と喋っていると帰りが遅くなる。バーさんが生きてたら怒られるね。また、あの ボーズと呑んでたのっ。いい加減にしなさいよ。はたで見てると、まるで茹で蛸と二十日大根だよ。あんたのちょん髷なんか、大根のしっぽだよ。ちょこっとしかないんだから。真っ赤な顔してサー。おでんのタネにもなりゃしない。気持悪くて食べる気もしないよ。どうせ食べたってトウが経っちゃって美味くも何ともないんだから、なんてね。テメーの方が、よっぽどトウが経って、皺くちゃじゃねーか。誰が喰をーと思うものかい。しかし、口は悪かったけど、いないと寂しいね」
 ブツブツ独り言を言いながら歩いています。
 夜中だと言うのに急に、空が、パッと明るくなります。
「な、なんだ。雷様かっ? しかし、ゴロゴロがないね」
 それと同時に、ドサッと音がいたします。
「何か落ちたよ。やはり雷様かえ? な、なんだい、あれは? 丸くて光ってるね。まさか、あの坊主じゃないだろーね。坊主の頭じゃないね、赤くない。目が飛び出てる。あの着物も変だ。筒袖だよ。しかも、股引のままだ」

 そこに倒れていたのは、あの看護婦であります。ご隠居、恐る恐る近づきます。
 どうも人間のようであります。

「うーん、落ちちゃったみたい。でも、風はちゃんとしてたし変ね。急になにか光ったみたいだけど、どうなっちゃたの」
「これこれ、どうしたのじゃ。そんな所で寝ていると風邪をひくぞ。しかし、おぬしの頭は大きいのー」
 変なところに感心しています。
「あらっ、はじめまして。でも、おじーチャン、随分洒落た着物、着てるのね。それに、ちょん髷なんかつけて、どうしたの? あー、仮装行列の帰りだ」
「何を申しておるのだ。これが普段の格好だ。おぬしは、頭は大きく、目は出ている。なにか病気でもしたのか。不憫じゃのー」
「あっ、これっ。馬鹿ねー、ヘルメットとゴーグルよっ。今取るわ」
 ご隠居、ビックリ仰天。
「ご、ごーぐる。へるめっと。何じゃそれは。それになんじゃ。おぬしの髪の毛は、茶色ではないか。どうも、おぬしは女のようじゃな。うーん、判った。女狐じゃナ。わしに何をしよーと言うのじゃ。わしをダマしても、何も出ぬぞ」
「やーだ、何をくだらない事を言ってるのよ。人間、わたしは人間。狐なんかじゃないわ。この茶パツはね、今、流行ってんの。みんな遣ってるわ」
「流行っていると言っても、わしは、はじめてみるぞ。どこで流行っているのじゃ」
「どこって、どこでも茶パツよ。そうね東京なら、どこ行ってもウジャウジャいるわ」
「東京? それは、どこじゃ?」
「やーだ、東京、知らないの。日本の首都よっ、日本人なら知らない訳ないわ。アッタマ、おかしいんじゃない。それに、この辺やたら暗いわね。ここどこ?」
「おぬしこそ頭が変なのではないか。ここは、江戸じゃ。徳川様のお城があるところじゃ」
「江戸っ、徳川様っ! ま、まさか」
 半信半疑で、とりあえず聞いてみる事にしました。
「今の将軍は、誰?」
「何を言うかっ。徳川家三代将軍、家光公ではないか。おぬし、頭を打ったのであろう。それとも本当に狐か?」
「おじーチャン、狐は止めてよ。ところでおじーチャン、明治時代って知ってる?」
「そんなものは聞いた事がない。妙な事をいうものではない。ま、頭を打ったか、疲れておるのであろう。一晩、眠れば元に戻るであろう。わしの家で休みなさい」
 どうも夢ではなさそうだ。なんとなく、タイムスリップに遭遇したらしいと気付きだします。
「何じゃ、その竹棒のようなものと、布は?」
 どうせ説明しても無駄、と思い、
「これはね、物干し竿と天幕。干してる最中に風で一緒に飛ばされちゃったらしいの」
「おー、そうか。わしも持っててあげよう」

 その夜は、ご隠居の長屋で。翌朝、目が覚めてみると、やはり、隠居がいる。
「おはよー。外は明るいね。良い天気ね」
「おー、目が覚めたか。グッスリと眠っておったぞ。寝顔を見ると、狐ではなさそうじゃった。何か訳があるのじゃろう。朝飯の後、話してくれぬか」
 ご飯、味噌汁、目刺し。思いのほか、美味しい。
 
「そうか、驚く話じゃのー。そう言うことも世の中には、あるんじゃな。そなたも驚いたであろう。わしには、良く判らんが、当分、ここで寝起きすれば良い。また、何かが起こって、元に戻るかも知れん」
 ご隠居、現に目の前にいる茶パツは、列記とした人間でありますので、素直に話を信じる事にいたします。

 驚いたのは、長屋の連中。
「おい、見たか。ご隠居のところに狐だ」
「いや、女狐の生まれ変わりだ。しかし、イー女に生まれ変わったもんだ」
 ワイワイ、ガヤガヤ。大変な騒ぎ。女房連中は、眉をひそめ、 
「やだね。なにもおカミさんが死んだからって、あんな女狐を連れてこなくたって・・・」
などとご隠居を不思議がります。
 ご隠居は、何処吹く風。別に、何を言われようと気にしません。
「ねー、いつも目刺しじゃ飽きちゃうわ。この辺に、コンビニないのっ」
「たまには、コーヒーとパンがいいわ」
「テレビないの。衛星放送でイチローが見たい」

 何を言っても、ご隠居は驚きません。所詮、タイムスリップ。自分は、経験できない事、と悟っております。こう言うところが、ご隠居さんの偉いところ。落語では、ご隠居さんは、物分りが良いものと決まっております。

 時間が経つにつれ、長屋の連中とも顔を会わせる機会も多くなり、打ち解けてきます。
「ねー、名前がないのも変よ。悪いけど、狐子って名前にしようって、皆で決めたの」
 彼女、半分は諦めています。江戸時代も仕方ないな。だったら、周りの人と仲良く遣った方が、良いかな、などと考え初めています。
「いーわよ。じゃ、狐子ね。よろしく」
ってんで、ますます連中と仲良くなっていく。もともと看護婦ですから、子供が腕を折った、と言われれば、添え木をしてサラシで巻いてやる。三角巾を作ってやる。蚊が多くて、と言われれば、溜池に油を撒き、防止したりで、段々、評判が高くなっていきます。

 しかし、好きなものは、好きでありまして、どうも、空を飛ばないとストレスが溜まります。ご隠居は、もう我が孫のつもりで可愛くてしょうがない。
「ご隠居、空を飛びたい」
「その、ご隠居は止めておくれ。なにか別の呼び方にしておくれよ」
「いいじゃん。どうしてもイヤなの。じゃー、おじん」
「何じゃ、それは。よく判らん」
「ジーヤ、じゃ変だし。じっちゃま、にしようっと」
「判った、判った」
 もう、言われるまま。
「じっちゃま、物干し竿と天幕、使いたいんだ」
「どうするのじゃ」
「空を飛ぶの」
「空を飛ぶっ! そうか、空を飛んでる最中に、たいむすりっぷ、したんじゃった。そんなに、飛びたいか?」
「飛びたい」
 近くの小高い丘に登りまして、ハング・グライダー。気持が良い事、おびただしい。
 なにしろ当事の江戸ですから、自然は、そのまま。狐子、嬉しくてしょうがない。

「じっちゃま …… 空ー ……」
「判った、判った」

 空を飛ぶ回数が増えていきます。成り行き上、飛んでる姿を見る連中も増えてきます。
「やはり、あの大トンビは、狐子だってよ」
「やっぱり狐子は、狐の生まれ変わりだよ。さもなきゃ、空なんて飛べるわけないよ」

 そんな評判は、江戸城にも届きます。

「三太夫。三太夫は、おらんか」
「ハ、ハー。何か御用で御座りますか」
「用があるから呼んだ」
「呼ばれたから来た」
「三太夫。詰まらん落語の節回しを言うではない」
「ヘ、ヘー」
「ところで、狐がトンビになり、空を飛んでるらしいが、そのほう、知っておるか」
「殿っ、そのような下賎な噂、お聞きめさるな。噂で御座います。私めも存じません」
「何を申すか。三太夫、噂であれば、なおさら、確かめねばならぬ」
「仰せでは御座いますが、下賎な噂に耳を傾けるとは、天下のご政道に係わります」
「天下の将軍たるもの、総てを知っておかねばならぬ。狐を連れて参れ。トンビもな」
「恐れながら、狐とトンビと申されても、トンビのようなものに狐がつかまり空を飛ぶのでありまして、連れて参るとすれば、狐だけになりますが」
「なんじゃ、そなた良く知っているではないか。存ぜぬ、と申したが ……」
「ヘ、ヘーッ。恐れ入ります。実は、何度か見にいった事が御座います。正に大トンビのごとき姿。空を飛んでおりました。狐ではなく、狐子と呼ばれし、うら若き女で御座います」
「三太夫、すぐに連れて参れ。言う事を聞かぬなら、ツネツネしちゃう」
 そんな事は申しません。
 三太夫、家光の性格を良く知っております。なんにでも興味を持ち、自分で遣ってみなければ気が済まない性格。

「ご隠居、殿のお申し付けだ。狐子を参上させてくれぬか」
「三太夫殿、いたし方ございませぬ。殿のお申し付けであれば」

 ご隠居と狐子、ハング・グライダーを持ってお城へ。

「苦しゅうない。近こう寄れ。その方が狐、いや狐子か。持参したそれがトンビか。して、空を飛べるのか」
 看護婦さんは、いざと言う時には、度胸がすわります。
「家光っちゃん」
 三太夫、ビックリ。
「これこれ、殿の前でなんと言う事を申す。打ち首ものぞ」
「三太夫。捨て置け。構わぬ。何とでも申せ。飛べるのか?」
「もちー、飛んじゃうよ」
 なんとなく、ふて腐れた様子。
「そのトンビが曲者であろう」
「トンビ、トンビって言うけど、これは、ハング・グライダーって言うんだけどさー」
「さー? まあ、良い。ところで、このトンビを使えば、誰でも飛べるのか?」
 これを聞いた三太夫、
『しまった、プレミーティング、いや、前打ち合わせを遣っておけばよかった』
と思ったが後の祭り。
「簡単よ。2,3度、トレーニングを遣れば、バッチシ」
「バッチシ? まー、良い。ところで、三太夫、トレーニングとは何だ?」
「殿っ! これは、狐社会の言葉でありまして、ニングとは、男の一物の事であります。ニングをトレ、つまり男の一物を取れ、と申しております」
 三太夫、自分も飛びたい、などと言い出しかねないので、心配でしょうがない。
「やーだ。三太夫」
 三太夫、呼びつけにされるのは、家光公だけ。もうハチャメチャ。
「家光っちゃん。トレーニングって、練習の事。君も、練習すれば飛べるよ」
 家光、大喜び。三太夫、真っ青。
「この天守閣から、飛んでもらえませぬか。宜しくお頼の申します」
 なんだか、立場が変わってしまいます。

 狐子、準備をして大空へ。

「三太夫、飛んでおるぞ。飛んでおるぞ。大空じゃ。大空。飛びたいのー。大空を飛んで みたいのー」
 三太夫、家光が苦労して将軍になったのを知っている。この素直な気持は、十分過ぎる程判ります。
「殿っ!」
 言葉が出ません。

 その時、天空に眩い光が ……

「三太夫。狐子が消えたぞ。どうしたのだ」
 三太夫、訳が判りません。
「三太夫。狐子を呼び戻せ」
 三太夫、ご隠居に、
「隠居、どうなったのだ。何とかしてくれぬか」
 ご隠居には、狐子が、元の世界に戻った事が理解できます。しかし、家光の素直な姿を 見るとなにも言えません。
「三太夫、隠居。どいうしたのだ。狐子は?」
 皆、押し黙り平伏するのみでございます。
「隠居、そなたであれば判るであろう。教えてくれ、どうすれば狐子を呼び戻せるのか」
 ご隠居、何も言えません。

「うーん、何か深い訳がありそうじゃな、ご隠居」
 家光に、ご隠居と言われても、ただ平伏するのみ。

「戻って来てはくれぬようじゃな。残念じゃなー、空を飛びたかった。目の前えから消えてしまった。まるでトンビにアブラゲじゃな。それに、狐子。狐だけに、もう、戻ってコン、か」

 エーッ、お後がヨロシーようで ……

                                       



                                                       2001.10.07