「オメー、ノッペラボーの話、知ってるかい」
「知ってるよー。それはこんな顔ですかっ、てんで振り返ったら、そいつもノッペラボー
だったって話だろ」
「そーよっ。この話に続きがあるの知ってるかっ?」
「続き? そんなの知らねーよ」
「そいつが顔をもどしたら後ろ側に顔があってな、その顔が、ニカーッと笑った、てんだ」

 エー…… 静かな湖畔で〜 という歌がありますが、静かな寄席で〜という歌は、まだ
ありません。そのうち私が……

 どうにも暗闇が恐くて仕方がない男がおります。
 眠る時も明かりを点けていないと恐くて眠れない。夜遅く帰るときも明るいところを
捜して歩きますので時間が掛かってしょうがない。目をつぶるのも恐いのですが、開けて
ばかりいますと目が乾いちゃって痛くなります。さすがに、まばたきだけはせざるを得ない。
 この時代ですから、別に幽霊が出そうで恐いとか、急にお化けが飛び出してきそうで恐い
とか、そんなんじゃないんですな。ただ、暗いのが恐い。地方に出張し、夜遅く、真っ暗な
田んぼのあぜ道を歩いた事がありましたが、膝はガクガク、歯はガチガチ。どうにも恐くて
仕方がない。自分でも何故なのか不思議ですが理由が判りません。
 マンションの自宅で、ただヒッソリと暮らしております。自然、物事には神経質になりま
して、ガスは火事になっちゃーまずいと思い、止めてもらっています。総て電気。玄関のピン
ポンも急に鳴るのでスウィッチを切っていまして、周りからは、まるで幽霊のように思われて
います。

 そんなある夜。たまたま新月の夜でしたが、どうした訳か停電になります。
『オイ、なんだよ、電気が消えたよ。二十一世紀に停電…… 真っ暗だ』
 急にガタガタ、ガクガク。恐ろしくなってまいります。
『東京電力様、東京電力様。どうか早く電気を点けてください』
 祈りだしますが、電気は点かない。
『そうだ、懐中電灯があった』
 電池が少なくなっていましたのか、弱々しい光。これでも、真っ暗よりは良い、と思い
ホッとしていましたが、スーッと消えてしまいます。
『ガスを止めるんじゃなかったな。ガスコンロの火でも良かったんだよ。明るければ恐くない
んだから』
 今更言っても仕方ない。新月、しかも停電ですから街頭なんかも消えて外も真っ暗闇。
『どうしよう、どうしよう。真っ暗だよ』
 よろめきながら部屋を行ったり来たり。あぶら汗が出てまいります。
『そうか、マッチがあったよ』
 風が入ってはいけませんので、窓を総て締め切り、マッチを一本一本、擦っていきます。
『あと一本だっ。あと一本。待てよ、ローソクだっ。ローソクだよ。なんで気が付かなかった
のかな。この前の出張で買ってきたのがあったよ。綺麗な和蝋燭。向こうの部屋に飾っておいた
はずだ』
 さっそく持ってまいります。江戸時代に作られたという立派なもので、胴の部分が少し細く
なり、全体に菊の花が描かれています。綺麗なものですから飾っているだけ。火をともした事は
ありません。
『勿体無いな。でも、恐さには替えられない』
 最後のマッチで蝋燭をともします。
『あー、綺麗だなー。綺麗な炎だなー』
 しばし、先程までの恐さを忘れ、蝋燭の炎を見つめております。

「慎之介様、慎之介様」
 どこからともなく、しっとりとした女の声が聞こえてまいります。
『変だね。人の声が聞こえたけど…… 女の声……?』
 夜中に女性が訪れることなどありません。女性が、その気になり暗がりに誘っても、暗がりに
入った途端、ブルブル震えだしてしまいますので、恋人など出来る訳がありません。

「慎之介様、慎之介様」
 今度は、はっきりと聞こえます。
『しんのすけっ? 誰だい、そいつは』
 周りを見ても誰もいません。薄気味悪くなってきます。
「慎之介様っ、慎之介様。お栄を忘れですか?」
『今度は、お栄かっ。そんな人は知らない』
 勇気を振りしぼり、声を出してみます。
「誰だか知らないけど、俺は、慎之介なんて名前じゃない。それに、お栄なんて人も知らない。
誰かと勘違いしてるんじゃないの」
「ホホホー、また、そんな事を言って、お栄を騙そうとしてるのね!」
「待ってくれっ、本当に、慎之介とか、お栄とか、そんな人たちのこと、聞いた事もなければ
会った事もない」
「お栄は、ずっとこの時を待っていたんですよ。三百年も……」
「さ、三百年っ! そんな大昔に俺は生きちゃいない。やはり俺じゃない。勘違いだ!」
「あの日も、今日と同じ新月の夜でした。慎之介様は、お栄のことが好きだ。でも武士と町人は
一緒になれない。いっそのこと二人で死のう。あの世で一緒になろうとおっしゃってくれました。
お栄は、嬉しくて嬉しくて…… そして、雪の中、二人で山に行きました。寒かったー。でも、
もう少しで一緒になれると思えば平気でした。真っ暗でしたが慎之介様と一緒。恐くはありません
でした。それなのに慎之介様は、お栄を刺して、お一人で逃げてしまいました。お栄の胸には脇差
が刺さったままでした。お栄の体は動かなくなりましたが、魂は、ちゃんと生きていましたのよ。
お栄は、叫びました、慎之介様ー、慎之介様ー! お聞こえになったでしょ。チラッと振り向かれ
ました。耳に残られたようですね私の声が。それから、暗闇がお嫌いになったと知りました。
お栄は、お逢いしたくて、お逢いしたくて……」
「何度も言うけど、俺は慎之介じゃない。確かに、理由もなく暗闇は恐いけど……」
「あなたは、慎之介様なんです。ご自分ではお判りにならないでしょうが、あなたの体には、
慎之介様の血が流れているのですよ」
『慎之介の血が流れている……? 先祖にそんな奴がいたのか。暗闇が恐いのは、そういうこと
だったのか〜』
「女の気持ちは蝋燭の蝋に溶け込みます。お栄は、その蝋燭に溶け込み待っていました。新月の
夜、慎之介様が燈してくれるのを。お栄は、もう離れません。お栄は、慎之介様が大好きですから。
これからは、ずーっと、一緒ですよ」

 近所の人が、昼間なのに明かりを煌々と点けているのを不信に思いマンションの管理人に連絡
いたします。彼の会社からも、三日も連絡なしに休んでるけどと管理人に電話が入ったばかりです。
これは、警察にも連絡した方が良い、との事で警察立会いのなかで鍵が開けられます。

「警部、奇妙なにおいですね。ローソクの燃えた臭いと鉄のにおいです」
 部屋に入り、皆、ビックリします。男が、血だらけになり死んでいるのです。
「警部〜。む、胸が開かれてます。あー、心臓が抜き取られています。それにカラッポな胸に
ナイフが刺さっています。でも変ですね。自分でナイフを握っています。心臓は、どこに行っ
ちゃったんですかね。誰かが持ち去ったのなら血痕があるはずですが〜」
 部屋からは彼以外の指紋は見つかりません。鍵は総て内側から掛けられています。
 心臓も行方不明のまま。結局、迷宮入りになります。

 その後のお栄を知りたければ、新月の夜、月をじーっと見てください。
 普段、お栄は、月の裏側にいますので、地球からは見えませんが、新月の夜だけ、こちら側に
来ます。耳まで裂けた口に慎之介の心臓をくわえ、幸せそうに、ニカーっと笑っているお栄を
見ることができます。
 えッ! 新月なんだから、空を見たってどこにあるか判らない。
 簡単です。和蝋燭を燈せば良いのです。
 ただ、老婆心ながら付け加えておきますが、慎之介のような先祖がいない方に限りますよ。
 お後がヨロシーようで……