2001.11.03
「あなた、最近仕事が忙しいの?」
「いや、普段と変わらないよ。何故?」
「体調も良いようだし食欲も普通だし…… 別に、これと言って疲れているようなこともないようなんだけど、何となく雰囲気が変なの。そうね、目かしら。何だか目が沈んでる感じなの」
「目が沈んだ感じ? そうかな? 普段と全く変わりないんだけどな……」

 数日後……
「君、最近、元気ないように見えるけど、何か、心配ごとでもあるの?」
「別に…… あなたは優しいし…… 体調も普段と同じよ。何故?」
「何となく雰囲気が変なんだな…… 前と比べて、何となく目が沈んでる感じなんだ」

 この二人には、既に、『ヌメリ』が寄生していたのです。
『ヌメリ』。これは、人間の脳味噌に寄生し、アドレナリンを食料として増殖するアミーバーのようなもの。ヌメヌメしています。そこで、名前は『ヌメリ』。
 寄生された人間は、アドレナリンが欠乏し元気がなくなります。
命を奪われるとか、そういうことはありませんが、この夫婦のように何となく元気や覇気がなくなっていきます。

 年に一度、神無月にヌメリが出雲に集まります。一族を統率するのは「ブレーン」と呼ばれる最も優秀なヌメリです。人間はこの期間、寄生しているヌメリが体から出て行きますので、アドレナリンが正常に働きます。つまり、普段通りの人間に戻り、結構、元気な行動をとります。新宿歌舞伎町、原宿、渋谷などが、賑わうのは、この月だけ。

「我々の絶対的な目標は、『100%達成』である。これは、総ての人間に寄生することを意味する。そのために我々は、年に一度、こうやって会議を開いている。人間社会で言うならば、経営会議である。各支部の実績報告、及び、今後の方針を発表して貰いたい。昨年度までのヌメリ全体の達成率は87%である。年度毎の成長率は12%。このままでは、100%達成まで、後1年ちょっとが必要になる。そんな悠長な事をしている訳にはいかない。何だ北海道支部長。質問か? 言ってみろ」
「何故、100%達成が必要なんですか? しかも、このままでも、一年ちょっとで100%になります。何故、そんなに急がなければならないんでしょうか?」
「馬鹿者! そのような無知蒙昧、根本的原則を理解していない、くだらない、ヘドが出るような質問をするものではない! 100%は、絶対的なものであり、どうのこうの議論するものではない。しかも、右上がり直線で良いと思っているかッ! 右上がりカーブでなければならないのだッ! 疑問の余地はない! 来月から支部長を降格し、雑務担当にするっ。馬鹿者め!」

 要するに、理由はないのであります。一般的な企業の経営者と同じ。成長率が横這いであって も、企業自体は潤う事が判っていても、100%達成と右上がりカーブを絶対視します。ま、一種の宗教のようなもの。

「東北支部長、先程の報告では、担当地域においては、アドレナリンの創出が少なく、ヌメリ 増殖に問題があるとのことだったな。関西支部長っ! 吉本興業担当ヌメリに、お笑い連中が 東北に行くよう操作させろ。良いな」
 アドレナリンは、脳に関係します。ヌメリ達は、人間の脳味噌に寄生しますので、ある程度、 人間を操作する事が出来ます。
 
「新宿支部長。君たちのグループには、肥満体ヌメリが多いと報告が入っている。支部長自身、 酷い肥満体ではないか。これでは、業務に支障をきたす。何とかせよっ!」 「お言葉では、ございますが、如何ともし難い状況であります。人間どもの体は痩せ細り酷いものでありますが、一所懸命遊びを考えています。アドレナリンだらけであります。いくらアドレナリンを食しても、後から後からと出てまいります。しかし、増殖には役立っているのですが……」
「判った。増殖にはげめ! 余剰ヌメリを東北支部に廻せ。よいなっ! それから、ダイエット教室を開設する必要がある。東京、大阪近辺の支部メンバーは、参加するようにいたせ」
 面白い事に、地域地域で人間のアドレナリン創出量は異なるようであります。
「どうしたのだ? 酷い顔色ではないか。東京地域担当でありながら、その様子は?」
「もう堪りません。アドレナリンの創出量は問題ないのでありますが、その質が最悪です。食しなければ死んでしまいますので食しますが、結果、このような有様であります。生きていくのが、やっと、と言うほど質の悪いアドレナリンです」
「東京の何処であったかな? フーン、国会議員担当であったか。質の悪いアドレナリン。これは、どうしようもないな。不純物だらけで、純度2%程度のアドレナリンしか出さない連中だからな。色も悪ければ匂いも酷い。判った。配置転換を許そう。あの連中のアドレナリンは、最悪だっ!」

 着々と寄生が進んでいきます。人間は、神無月以外は、ただ、黙々と笑いも楽しみもない生活を進めているだけであります。しかも、何の疑問も抱いていません。 ほぼ、99.99999……%まで寄生が進みました。後一人です。後一人に寄生すれば、100%完了です。しかし、この一人に寄生することが出来ません。この状態が、二ヵ月続きます。
「状況を報告するように」
 ブレーンは、指示を出します。程なくして報告が届きます。

『屈強なヌメリを選びアタックするが寄生できない。何人かは体に入る事はできたが排出されてしまう。アドレナリンの質も量も平均的である。薬物なども常用してはいない。つまり、特別な人間ではなく、ごく普通の人間と言える。しかし、寄生できない』
 ブレーンは、原因追求のため、この人間の髪の毛、唾液、排泄物を取り寄せます。
分析し調べてみますが、確かに変わった所は見出せません。DNAを調べ始めます。丁寧に丁寧に情報を読み取っていきます。
 見慣れない遺伝子を見つけたのは、一ヶ月ほど経った頃でした。
『これだッ! この遺伝子は、特殊なものだ。多分、この人間固有のものだろう。これが邪魔をしているはずだ』
 さらに研究を進めます。

『判った! ヌメリ抗体を作り出す遺伝子だ。これは突然変異ではなく、何者かが遺伝子操作をして作りあげている。しかも、一子相伝として長い間受け継がれ、いつの時代にも、たった一人しか持つ事ができないようになっている。この人間が、ヌメリ抗体を持っている以上、我々は侵入することはできない。ましてや脳に寄生することなど不可能だ』
 100%達成は不可能に思われましたが、ブレーンは徹夜につぐ徹夜を続け、ついにヌメリ逆抗体を作りあげます。
『よし出来上がった。この逆抗体を体にタップリ塗って侵入すれば、ヌメリ抗体にやられる事はない。しかも、抗体どもを退治する事もできる。これで100%達成だっ!』
 
 ブレーンは、屈強なヌメリを数人呼びつけます。
「逆抗体の副作用は確かめていない。多少、気になるため私が先に侵入する。問題がないようだったら後に続くように。侵入したら二手に分かれ何が何でも脳に寄生するように。良いな」
 ブレーンが侵入します。
『素晴らしい効果だ。ヌメリ抗体どもは近づいてこない。逆抗体が溶け出し、抗体どもを退治するぞ』
 脳味噌に近づいていきます。
『さあ、もうすぐだ。もうすぐ100%達成だ! ややっ、なんだこれは? 我々ヌメリにそっくりな者がいる。ヌメリだ! 色は少し黒ずんでいるが確かにヌメリだ。動かないな。眠っているようだ。かなり歳をとっている』
「もしもし、ヌメリではありませんか? もしもし、もしもし……。私は、ブレーンです」

 歳とったヌメリは、ゆっくりと動き出します。
「なんじゃ、誰じゃ? わしを起こしてはいけない。このままジッとしていなくてはならないのじゃ」
「申し訳ありません。しかし、驚きました。この人間にヌメリが寄生していたとは。と言うことは既に100%達成していた事になりますね」
「新種のヌメリじゃな。お主がこの人間に寄生しない限り100%達成にはならん。わしは、かれこれ300年前のヌメリじゃ。しかも、わしは寄生しているのではない。一子相伝のヌメリ抗体保有体、つまり、この人間を守っているのじゃ」
「何故ですか?」
「100%達成を阻止するためじゃ」
「100%達成を阻止する! どう言うことですか? 同じヌメリとして聞き捨てならぬ事を言いますねっ!」
「そうか、知らぬのじゃな。無理も無い。わしですら、寸前で気が付いたことじゃからな」
 この古代ヌメリは、語りだします。

「わしもブレーンであった。お主と同じように100%達成を目指し人間に寄生していった。昔々の事じゃ。ヌメリは、アドレナリンを食料としているため常に活発に動き回る習性を持っている。しかも、目標を定め邁進する事が絶対的な使命として刷り込まれている。目標とは総ての人間に寄生することじゃ。別に人間を支配するなどと言う目的は持っていない。ただ総ての人間に寄生すれば、それで目標は達成される事になる。
 まるで、ジグソー・パズルのようなものじゃ。何百とあるピースを一つ一つ並べていく。どのような絵になるかを知りたくてピースを並べるのではない。完成図を参考にしながら並べるのじゃからな。つまり、最後のピースを、ハメ込んだ時の達成感を味わいたいがための行動とも言えるのじゃ。100%完了だけが目標であり、その過程を楽しむのじゃ。
 しかし、最後のピースをハメ込んだ瞬間、あれほど活き活きしていたパズル板が、死んだように動きがなくなってしまう。そして、喜びと同時に空しさが襲ってくる。あ〜、総て終わってしまった。あれほど一所懸命、心を込めて大切に扱っていたジグソー・パズルが、全く無意味な味気ないものに変わってしまう。
 わしは考えた。我々は、ジグソー・パズルを遣っているのではないか、とな。100%達成した後に何が控えているのか、全く判らなかった。目標が無くなってしまうのだからな。わしは心配になった。最後の一人、つまり、この人間の先祖にわしが寄生した瞬間、気が付いたのじゃ。100%を達成してはいけないとな。すぐに脳から離れたのじゃ。しかし、一瞬とはいえ、達成したことは事実じゃった。その瞬間、総てのヌメリは、動きを止めた。フリーズじゃ。真っ黒に固まってしまった。死に絶えたのじゃ。わしは運が良かった。表面だけのフリーズで済んだからな。研究を重ねたよ。ヌメリ抗体を作るためにな。そして、この人間の先祖のDNAに抗体作成の仕組みを植え付けたのじゃ。さらに一子相伝を条件とした。そのために、わしは大変だった。ある時は精子にもぐり込んだり、ある時は卵子にもぐり込んだりな……」
「ちょっと待ってください。すると我々が、この人間に寄生した瞬間……」
「まだ、お主は寄生しておらんから大丈夫じゃ。いや待て、今、なんと言った? 我々と言ったな! どう言うことじゃ。侵入したのは、お主だけではないのか?」

「しまったっ! 連中は、既に…… 」
 あー、フリーズ………