時代は、移り変わっていく。しかし、歴史は繰り返される。
 20××年の夏、東京ドームスタジアムでは激しい試合が展開されていた。日本プロ野球選手権争奪戦だ。「日鸞(にちらん)アンギャーズ」対「創香(そうか)ブッダーズ」。勝ったチームが日本一になる。

 日本プロ野球機構は幾多の変遷を遂げたが、現在は一リーグ制、たったの四球団による戦いになっていた。しかもファンは、一部の特殊な集団によって占められていた。
 日本の大衆スポーツの華であり大勢のファンを抱えていたプロ野球…… かつては二リーグ制であり、各リーグは六チームで構成されていた。そして、プロ野球の選手たちは国民のヒーローであった。まさに青少年に夢を与えるスポーツ。それがプロ野球であった。
 ところが、2005年頃を境にファンが激減してしまった。
 当時のオーナー、つまり球団を保有・運営する企業は、鉄道、報道、小売業関連の企業が占めていた。企業にとり、球団は宣伝材料のひとつであり掛かる費用は宣伝費として捻出されていた。収益が潤っていた時期においては、球団経費など大した負担ではなかったが景気の低迷と共に球団保有が重荷になってきていた。オーナーたちは、口々に球団を売りたい、合併したいと言い出した。ファンは、幻滅を感じだしていた。
 このままでは日本のプロ野球は衰退してしまう。選手たちは立ち上がった。ヤル気のあるオーナーを受け入れろ! 新規参入球団を募れ! 選手ドラフトを完全ウェーバー制にしろ! 彼らはファンに支持された。
 ところが、野球界の実態は予想を超えた劣悪状態であった。何と、球界における相次ぐ不正や旧態依然とした経営体質が暴露されてしまったのだ。青少年に夢を与えるはずのプロ野球球団が、事もあろうに選手獲得のために裏金を使っていたのだ。彼らは食事代や車代と称し、惜しげもなく金を使った。金に物を言わせる方法は、政治家たちのそれと同じであった。だが、このような金があるくせに、何と球団の収支は赤字続きだと言う。この矛盾に世間は唖然とした。だが、報道が続くうちに納得していった。球団経営者は、経営のケの字も知らないボンクラ連中であったのだ。更に、オーナーたちは老害化していた。話を聞けば聞くほど、その考え方は完全に時代錯誤であったが、悲しいことに本人たちは気付いていなかった。最も甚だしかったのは、球界の盟主を自認していたオーナーであった。彼は、全く選手たちの言い分を聞こうとしなかった。いや理解する頭を持っていなかったのだ。選手は消耗品でしかない。ミミズの戯言など聞くだけ無駄だ。このように考えているだけであれば、まだ救われたのだが、彼はファンや選手を無視した罵詈雑言をマスコミに向かって平然と言ってしまった。
「たかが選手。何を言うか!」
 この言葉には、プロ野球ファンだけでなく、一億総国民が唖然としてしまった。そして、彼は盟主としての位置から転げ落ちてしまった。
 また、さらに酷いオーナーもいた。彼はスキーを好み、また日本オリンピック業界を取り仕切る役目を担っていた。世間からはスポーツマン経営者として好印象を持たれていたが、実態は全く違っていた。有価証券報告書への虚偽記載、インサイダー取引などの証券取引法違反、総会屋への利益供与など裏で株式を汚していたのだ。まさに極道のような有様であった。表と裏。これでは、ファンが激減するのは当たり前であった。
 ファンは完全にソッポを向いてしまった。
 悲しいことだが綺麗事を言ったとしても、やはり金が物を言う世の中である。プロ野球業界に、飛ぶ鳥を落とす勢いのIT業界が参入して来た。彼らは、次々と球団を買い取り、インターネットを使った特色あるファン・サービスを展開し始めた。これが功を奏したのか、プロ野球人気は持ち直したかに見えた。しかし、球場から観客の姿が消えていった。皮肉なことに、彼らが提供したインターネットによる超低価格実況中継が原因であった。お気軽が好まれる時代にマッチしたサービスであったが、入場料に比べて儲けが少なく、結局、球団経営は赤字続きであった。もともとIT業界の経営者は、青少年の夢を育むなどという甘っちょろい理想は持っていなかった。考えていることは金儲けだけ。中には、球団をネット・オークションに掛ける酷いオーナーも現れる始末であった。
 驕れる者は久しからず。IT業界が持て囃され、収益右肩上がりの時代は長くは続かなかった。余りにも無防備なインターネット網は、遊び半分のハッカーたちの攻撃に太刀打ちできず、ズタズタにされてしまった。他人の口座から預金を引き出すことなど至極簡単であった。メール内容などは、まるでガラス張りで新聞広告のような有様。もっとも、これでは不倫なども出来ようはずもなく、また、自殺者募集なども困難になったため、道徳的には良かったと言えないことはないが。いずれにしても、インターネットの利用者は激減した。数年を経ずして彼らの経営状態は悪くなり、次々と倒産していった。球団も抵当のひとつであったが、競売にかけても買い手が付かなかった。
 可哀想なのは選手たちである。彼らは自主運営を始めたが、野球をしながら球団を経営するのは流石に困難であった。しかも、手弁当である。次々とテレビのスポーツや旅行グルメ・レポーター、お笑いタレント、スナックのマスターへと転職する者が続出した。
 話は横道に逸れるが、インターネットが使えなくなったために、連絡の手段は、郵便に戻ろうとしていた。だが、民営化されたとは言え、郵政事業は依然としてお役所仕事であり、葉書一枚の配達に一週間も掛かる始末であった。いや、届けば良い方だった。中には、ドブに捨てられる郵便物も多くあった。一億国民総てが電話に頼った。(筆者注:当時、日本の人口は一億を越えていたが、少子化の影響を受け、20××年には八千万人を切っていた)ところが、玩具メーカーが面白半分で開発した電話盗聴用玩具「壁耳ちゃん」が爆発的に普及してしまったため、話の内容は筒抜け。電話も使えなくなっていた。秘密内容は、直接話す以外になかった。しかも情報を入手する手段は、テレビ、ラジオ、新聞だけ。誰もが、ほぼ同じ内容の情報しか入手できない時代になっていた。

 そんな中、国内にプロ野球廃止論が出始めていた。選手たちも半ば諦め状態であった。ところが、果敢にも一人の男が異論を唱え始めた。それは当時の首相であった。彼は、アメリカ大統領とキャッチボールをするのが大好きな男であった。
 ある政党が、プロ野球廃止をマニフェストに加えた。この政党は世論の支持を得て、野党第一党にのし上がった。そして、公約履行と国会で捲し上げた。ライオンハートを自負する首相は、猛然果敢に反論した。
「それはないだろう、スポーツもいろいろ!」
 首相の一声により、与党において延命方策が審議され、国会での最優先案件とされた。野党は、年金を先に審議すべきではないかと荒れたが、年金問題よりもキャッチボールの方が大事だと思っている首相である。全く聞く耳を持っていなかった。長期間、国会は空転を続けた。与党のみで投票との意見も出たが、与党議員も乗り気ではなかった。何しろ自分が儲かる話ではないし、利権獲得にも繋がらないからだ。結局、審議中止となり、国会はいつも通りに有耶無耶の内に閉会してしまった。つまり、プロ野球の存続は成り行き任せにされた。
 焦ったのは首相であった。野球はアメリカの国技である。これがなくなっては、お友だちである大統領に合わせる顔がなくなってしまう。民営化が大好きなはずの彼が言い出した。
「プロ野球を公的機関とすべきではないか。経費は税金で賄おう」
 国民全員がソッポを向いてしまった。彼は悩んだ末に決心した。これでは神仏にすがる以外にない。最初に相談したのは靖国神社だった。だが、神主は言った。
「買収? とんでもない。そんな金が何処にあるんですか。お賽銭が少なくて困っていますよ。ほかの神社は、外国からの観光客も多いんですが、此処には誰も来ません。首相、政府御用達神社にしてもらえませんか」
 さすがの首相も首を横に振った。神が駄目なら仏である。彼は、仏教団体に行って頭を下げた。坊さんたちは、彼のご都合主義に驚いてしまい、当初は断ったのだが条件を付けた。それは、首相の初詣参拝であった。しかも、それをテレビで中継すると言うものであった。首相は、一瞬、宗教分離の原則に抵触するかも知れないと思ったが、既に靖国神社に公式参拝しているのである。神も仏も同じではないか。泥食わば皿まで。非難されたら、いつも通りのおとぼけでかわせば良いではないか。今は、藁にもすがりたい気持ちである。野党やマスコミからの攻撃に対する文言を考えた。
「仏にすがって、何処が悪い。これは心の問題だ!」
 これで政局を乗り切れるはずだ。そこで、この条件を呑んだ。
 結局、救いの手を差し伸べたのは、仏教関連の宗教団体だけであった。坊主丸儲けの言葉が示すように宗教団体には金は唸っている。坊さん及びそれに順ずる者たちの考えは単純であった。
「大した宣伝費ではない。宗徒獲得の目玉にしよう。これで宗徒が増えれば濡れ手に粟」
 まず、日鸞宗が球団買い取りを宣言した。こうなれば、他の宗派も黙ってはいられない。次々と参入の意思表示をした。
 だが大きな問題があった。優勝すれば良いのだが、負けた場合の評判である。あそこは御利益がないと思われるのではないか。これはまずい。自信のない宗派は、手を下げてしまった。残ったのは四宗派だけだった。
 この状況下で、キリスト教やイスラム教の宗派も遅ればせながらも手を上げた。
「仏教などに負けてはいられない」
 だが、どうにも日本にいる宗徒の数が少なく、資金的に球団買い取りは難しかった。そこで全世界の宗徒に声を掛けることにした。極秘裏に事を進めたかったのだが、インターネットや電話は使えない。手紙では手間が掛かりすぎる。どうせ公開せざるを得ない事であればとテレビにて放映することにした。これを知った仏教四宗派が首相に迫った。
「鎖国政策を採って欲しい」
 首相に出来る訳がない。アメリカのお友だちと会えなくなってしまうではないか。
「自給自足が不可能な日本において鎖国は無理。皆さんは、球団の買い取り価格で揉めているようだが、仲良く話し合いを持ったらどうでしょう」
 談合の推奨である。首相を含めて「統一買い取り価格検討会」が開かれた。だが、談合に関するベテランが必要だと思った首相は、国土交通省の事務次官を加えた。お陰で、一時間も掛からずに買い取り価格が決まった。
 いずれにしても、このようにして現在の新日本プロ野球が出来上がった。

 球場に目を移そう。
「日鸞アンギャーズ」対「創香ブッダーズ」
 両チームは、総力をあげて戦ったが、試合は同点のまま延長二十三回に入っていた。始まったのは昨日の午後六時。既に夜も明け、時刻は午前四時になっていた。新日本プロ野球ルールに引き分けはない。決着が付くまで試合は続けられる。
 応援団も頑張っていた。ウチワ太鼓を叩き、ナンマンダブツを唱えるアンギャーズ応援団。一方、ブッダーズ応援団は、りんや鈴をチンチン叩きながら南無妙法蓮華経を唱えている。応援団長は、由緒ある寺の住職だ。顔を真っ赤にして大声を張り上げている。溢れんばかりの応援団の中にあっても、二人は一際目立つ存在であった。磨きぬかれた頭は、カクテルライトに照り輝いていた。
 選手たちも必死であった。負ける訳にはいかないのだ。負ければ地獄に落とされると説教されている。地獄には行きたくない。しかし、十時間も戦っているため、体の半分以上は眠っていた。交代要員も底を付いている。ベンチに下がった選手たちは応援はするものの、ほとんどが舟を漕いでいた。
 このままでは、フィールドにいる選手たちの体が心配である。審判団は、両監督と相談した。何度でも選手交代をしても良いのではないか。ベンチに下がった選手の起用である。ルールに違反することであるが審判長は言った。
「末代までも語り継がれる試合である。だが、このままでは選手の命にも関わる」
 両監督は、快く了承した。審判団もゲッソリしていた。彼らは立ち続けである。しかも、トイレにも行けない。自分たちの命も心配であった。そこで審判長は、両監督にションベン・タイムを取らせてくれと嘆願した。両監督は、この言い方に難色を示した。草野球じゃあるまいし、ションベン・タイムとは何たることか。両監督は、審判団から少し離れて協議を始めたが、話し合っている間に一塁審判が、ぶっ倒れてしまった。両監督が叫んだ。
「さーッ、今の内にトイレに行ってくれ!」
 待機している交代審判は一人だけだったが、他の審判は、しまったと思った。先に倒れるべきだった。
 試合は再開されたが、状況は同じであった。両監督は草野球が大嫌いであったが、その思いに反して、試合は草野球のような状況になっていた。たまにボールがバットに当たるのだが野手はクタクタでありボールを追うことすら出来ない。エラーである。全く持って詰まらない試合になっていた。
 こうなると応援団同士の戦いになっていく。応援合戦は熾烈を極めていたが、彼らには疲労感など全くなかった。次々と栄養豊かな弁当が送り込まれていたからだ。急遽、球場の外に炊き出し部隊が設置されたのだ。部隊のお上さん連中は、割烹着に手拭いの姉さん被り。負けてなるものか。腕によりを掛けて弁当を作った。部隊のお陰で応援団は活力に溢れていた。
 益々、エキサイトしていく応援団。このような状況下で、勢い余ったある観客が絶対に口にしてはならない言葉を叫んでしまった。
「お前らは邪教だ!」
 球場内が騒然としてきた。もう野球どころではない。互いに罵り合いが始まってしまった。余りにも酷い罵り合いであり、内容を此処に書くことは出来ない。公序良俗に反する内容もあったからだ。
 この騒ぎを不気味な笑顔で見ている二つの集団があった。この集団は、バックスクリーンを挟んで陣取っていたが、彼らは、ここぞとばかりに騒ぎ出し、大声で捲くし立て始めた。その内容がまた凄かった。仏教に対する罵詈雑言である。ところが、不思議な現象が起きた。今まで罵り合っていた一塁側と三塁側の仏教関連応援団が一致団結し始めたのだ。もっと不思議な現象が起きてしまった。バックスクリーンを挟む二つの集団までもが罵り合いだしたのだ。
 球場内は、三つの集団による巴戦になってしまった。試合どころではない。選手と審判団はベンチに引き上げ、状況を見つめる以外になかった。

 観客が、グラウンドに飛び降り出した。三つ巴の殴り合いが始まった。アナウンサーが言った。
「バックスクリーンの両側にいた集団が判明しました。一方は、キリスト教関連の集団でした。もう一方は、イスラム教関連。しかし、彼らは多勢に無勢であります。次々に倒されていきます。これは大変なことになりました」

 運悪く、この試合は全世界にテレビ中継されていた。仏教界における一大イベントであるためだ。だが、当然のことながら他の宗教関係者もこれを見ていた。キリスト教関係者、イスラム教関係者……。

 世界各地で三つの宗教関係者の言い争いが起こってしまった。日本であれば殴り合いだけで済むが、他の国々ではそうはいかなかった。不幸なことにピストルや銃が持ち出された。激しい市街戦。この様相は、バッタの大量発生と同じように、瞬く間に広がっていった。警察力、軍隊も手の施しようがなかった。それどころではない。警察官や兵士の間でも異教徒同士の争いが始まってしまった。

 こうして日本で行なわれたプロ野球の試合が、全世界を巻き込む宗教戦争を引き起こしてしまった。国連も三つの宗教毎に分裂し、機能を果たさなくなっていた。

 第三次世界大戦勃発。
 大戦は長期にわたった。情報手段を持たない各国は、疑心暗鬼の恕壺にはまっていた。先制攻撃以外にないのでは。各国では核兵器の使用が検討された。
 そして一つの国が、核弾頭ミサイルのボタンを押してしまった。 

 あー、たかが野球、されど……   
                             (了)


たかが野球、されど……


レンタルサーバーって何