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乞食大将('64)

大佛次郎原作、八尋不二脚本、市川右太衛門主演、松田定次監督による「乞食大将」(1952)の2度目の映画化らしい。

松田定次版は上映時間62分程度の中編だったらしいが、本作の方は93分と平均的なプログラムピクチャーの長さになっている。

前作は未見なので比較しようもないが、筑前福岡藩の黒田長政の幕閣だった後藤又兵衛を主人公にした人情話になっている。

主人公を演じる勝新と、その実兄で宇都宮鎮房役を演じている若山富三郎との一騎打ちが見せ場と言えば見せ場だが、意外とあっさり勝負はついてしまったり、戦のシーンもほとんどないに等しく、冒頭の敗戦の戦場シーンもチープな印象で、死体も数体しか転がっていなかったりと、この作品に派手なアクションとか大映スペクタクル的なものを期待していると肩すかしを食う事になる。

キャスティングも全体的に地味な感じで、当時としても、比較的、低予算作品だったのだろう。

主君の為に、心ならずも人を陥れ殺めてしまった自分に嫌気を覚え、自ら城を飛び出し、乞食同然の旅を続けながら死に場所を探す1人の侍の姿を描くことで、宮仕えの辛さ、武士の一分を通そうとする辛さを描いている。

1964年の作品で、処刑場や藤巻潤が出ていたり、伊福部昭が音楽を担当している事もあり、どことなく「大魔神」に近い雰囲気を感じたりもする。

この時代の若き田村正和、いかにもひ弱そうで恨みがましい目つきの若武者姿が印象に残る。

鶴姫役を演じている藤由紀子と言う女優さんは、きれいな顔立ちの方だが、あまり馴染みがなく、とっさに名前が出て来なかったりするし、話自体も、何となく、古めかしい印象を受ける。

▼▼▼▼▼ストーリーをラストまで詳細に書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼

1964年、大映、大佛次郎原作、八尋不二脚色、田中徳三監督作品。

※文中に、今では差別用語と言われる言葉が出てきますが、タイトルにもなっている言葉であり、それを書かないと意味が通じない部分もありますので、そのまま使っています。なにとぞご理解のほどお願いいたします。

黒田節が流れ、浮き上がった木目の背景にタイトル

戦国時代

戦場に累々と散らばる死体

うつぶせに倒れていたその中の一つが、突然仰向けに転がり、苦し気に立ち上がる。

豊前中津の城主黒田長政は領下、城井谷の豪商宇都宮鎮房を攻めて大敗を喫していた。

その黒田長政(藤巻潤)の陣に駆け込んで来た家臣の1人が、後藤又兵衛殿も討ち死にした。右足を撃たれ、谷底に落ちるのを観たと報告したので、長年、兄とも友とも思っていた盟友の最期を嘆いた長政は、宇都宮ごときに敗北したのでは父上に合わす顔がないと悔しがり、その場で自らの髷を斬り落としてしまう。

それを唖然として観ていた側近たちも、皆、習って、自らの髷を斬り落とすが、そこに、やりを杖代わりに、右足を引きずりながら戻って来たのは、今しがた死んだと思われていた後藤又兵衛(勝新太郎)本人であった。

又兵衛は、陣地内の仲間たちが、皆、髷を斬り落としていたので、どうしたことじゃ!と驚くが、大殿への申し訳じゃなどと家臣たちが言うので、戦には勝ち負けがあるもの、負けたからと言って、一々髪を切っていたのでは髪が伸びる間がないと呆れ、夜討ちをかけなされと長政に進言する。

しかし長政は、手負いのものや疲れている者が多いので、明日にしようと反対したので、勝つべき戦を捨てなさるのか!と又兵衛は憤慨する。

すると長政は、よに戦の技量がないと申すか!と怒り出したので、技量があると思うからこそ、たって申す!と又兵衛も聞かない。

結局、長政の命令を聞かず、1人で馬に股がった又兵衛が宇都宮に向かったので、その場にいた家来たちも後を追う。

その知らせを聞いた長政は、やむなく、夜討ちじゃ!と全員に命じるしかなかった。

又兵衛の夜討ちは見事功を奏し、宇都宮の2人の子供、鶴姫(藤由紀子)と花若(田村正和)を人質に取る事に成功する。

弟共々捕まった姉の鶴姫は、黒田惣兵衛から護衛の共をすると聞かされ、その方が夜討ちの一番頭を勤めた者か?と聞く。

まだ元服もしてない花若は、鶴姫と共に遠くに見える城井谷を眺めながら、いつ又父上に会える事だろう…と嘆くが、その側にいた又兵衛は、会えるぞ。人質は和睦の架け橋。黒田長政をお信じなさいませと言葉をかける。

かくして、宇都宮家の子供たちを人質にした黒田長政であったが、家臣たちは、人質だけでは安心できないと協議していた。

その会議を聞いていた長政は、だまし討ちにかけてくれると言い出す。

そして、後藤又兵衛を呼んだ長政は、宇都宮鎮房をお前にくれてやるので、だまし討ちにしろと命じるが、それを聞いた又兵衛は自分には不向きでござると言って断る。

それを横で聞いていた家臣たちは、その態度に憤慨するが、又兵衛は黙って立ち上がると勝手に立ち去ってしまう。

又兵衛が廊下を歩いていると、慌てて長政の部屋に急ぐ家臣がいたので、何事かと問いただすと、宇都宮鎮房が押し掛けて来たと言う。

門前に家来を引き連れやって来た宇都宮鎮房(城健三朗=若山富三郎)は、黒田長政にお目通り願いたいと申し出る。

黒田家では、宇都宮の家来たちは外に待たせ、鎮房だけを門の中に入れる事にするが、鎮房は自らの刀だけは相手方に渡そうとはしなかった。

父親がやって来たと知り、喜ぶ花若に、姉の鶴姫は、人質の覚悟のほどはかねてより教えておいたはずです。取り乱してはならぬと言い聞かせる。

自室に戻っていた又兵衛に、槍を持って来たのは、長年下男をやっていた馬蔵(丸井太郎)だった。

しかし又兵衛は、たわけ!と叱るだけだった。

黒田長政と対座した宇都宮鎮房は、相手から差し出された盃を受け取ると、震えながら酌をする家臣が溢れさせてしまった酒にも動じなかった。

長政が肴はどうした!と叫ぶと、それを合図に天井裏から襲って来た相手を斬った鎮房は、隣の部屋からなだれ込んで来た家臣たちに囲まれても、表情一つ変えなかった。

一方、又兵衛は、部屋の外の廊下を慌ただしく走る家臣たちの障子越しの影に気づき、自らも槍を取って立ち上がる。

鎮房は、自慢の長刀で次々と家臣たちを倒し、とうとう黒田長政と刃を交えていたが、そこに駆けつけて来て槍を突き出したのが又兵衛だった。

又兵衛の名乗りを聞いた鎮房は、相手に取って不足はないと喜び、又兵衛と共に庭に降り立つと、一騎打ちの格好になる。

又兵衛は、他の家臣たちには手出しをするなと禁止し、その直後、又兵衛の槍は、鎮房の胸を突き通していた。

庭に倒れる鎮房。

見事じゃ!と褒めながら、黒田長政が駆け寄って来るが、又兵衛は何も答えず、その場を立ち去って行く。

牢の中に入れられていた鶴姫は、父に付いて来た家来たちはどうなりました?と牢番に聞き、全員、切り死にしたと教えられる。

父、鎮房を仕留めたのは誰ですとさらに問いかける鶴姫に、そのような事はお聞きなさいますなと止めた牢番だったが、父ほどの人間が無名の侍に斬られたとは思えないと鶴姫が言うので、やむなく、後藤又兵衛殿だったとうかがっておりますと教えるしかなかった。

やがて、鶴姫と花若は、死に装束に着替えさせられ、馬で磔台の立つ崖に向かう。

その頃、又兵衛は黒田長政に、父親を失い、嘆き悲しんでいる上に、何の咎もない姉弟を処刑するのは止めるべきだと頼んでいた。

武将としての度量を見せて頂きたいと言われた長政は、悔しがりながらも、すぐに姉弟赦免の知らせを走らせる。

それを聞いた又兵衛は、今ひとつ願いがあると言い出し、長のおいとまを頂きたいと言い出す。

何が気に入らん?と長政が問うと、鎮房への卑怯未練なだまし討ち、自分が手を出さねば、お前様の命はなかったからで、あのような殺し方にさせられ、又兵衛の一生の傷になったと言うので、おれを憎んでいるな?と長政は詰め寄る。

又兵衛は、お前様は大名、おれのような遠慮がない者が側にいると邪魔になると言うので、許すものか!と長政は拒否する。

しかし、自分の家に戻った又兵衛は、身の回りの書状等を庭で焼いていた。

そこに、馬蔵が連れて来たのは、刑を免れた鶴姫だった。

鶴姫は、父の最期の模様を聞きとうございますと切り出し、卑怯なだまし討ちに会ったのか、多勢に取り込まれて討たれたのか?と聞くが、又兵衛は、最初はいざ知らず、最後は自分と一騎打ちをなさって果てたと教える。

その時、鶴姫は隠し持っていた懐剣を取り出し、又兵衛に襲いかかろうとする。

それを押しとどめた馬蔵は、お前様たちが助かったのはこの殿様のお陰なんだと教える。

それを聞いた鶴姫は一瞬驚くが、無用な事…と呟くと、人の哀れみを受けて生きておられようか。人質は和睦の架け橋。黒田長政を信じろと言ったのは誰です!と又兵衛を睨みつける。

一生そなたを恨む。きっとこの仇は討つ!と鶴姫が言うので、黙って聞いていた又兵衛は、お討ちなされ!と応ずるだけだった。

その後、馬蔵が1人で旅支度をしていると、それをこっそり覗き込んでいた弥助(杉田康)が急に入って来て、殿さまは遠くに行くのか?と聞いて来る。

馬蔵は惚け、知らないと言うが、俺たちは小もの同士だがおれは新参者だ…と弥助がすねたようなことを言うので、殿さまの御退散の事は内緒なのに…と、馬蔵は思わず漏らしてしまう。

それを聞いた弥助は、何!退散?と驚く。

翌朝、馬蔵を連れ、城下を旅立とうとしていた又兵衛は、地元の八幡様に別れの挨拶に向かうが、その帰り、石階段を降りて来た又兵衛に顔を見せたのは、旅支度をした家来たちだった。

又兵衛はその家来たちを無視して出立するが、家来たちも黙って付いて来る。

途中、ゾロゾロと付いて来る家来たちに切れた又兵衛は、帰れ、帰れと馬上から怒鳴りつけるが、皆帰ろうとしないばかりか、朝倉嘉兵衛(水原浩一)や夜須平四郎(北城寿太郎)ら、ら数名の家来が馬に駆け寄り、水臭いではござらぬか!我らもお供に!と願い出る。

しかし又兵衛は、そちたちを連れて行けば、黒田家に楯突いた事になると言い聞かせようとする。

しかし、家来たちは、たまたま我らと殿が歩く方向が同じだけでござると言って聞かないので、うぬ等…、わしは知らんぞ!と又兵衛は笑いながら答えるしかなかった。

54人の郎党を引き連れ、又兵衛が城を出たと聞かされた黒田長政は、おれへの面当てか!と激怒すると、据え物斬りの名人蒲池弥惣(五味龍太郎)と池田輝政(島田竜三)の2人を呼び寄せ、又兵衛の首を討ってまいれ!と命じる。

弥助は、荒れ寺に隠れていた鶴姫の元に人目を忍んでやって来ると、又兵衛が黒田の慰留を振り切って退転したと報告する。

弥助は、亡き宇都宮鎮房が、常々、黒田の動きを知るには後藤又兵衛を見張れと命じ放った間者だったのだった。

又兵衛の動静を今後も探るようにと言い聞かせて帰らせた鶴姫は、すぐに又兵衛を追って討ちましょうと言い出した花若に、そなたはまだ、元服前の身と諌める。

花若から今後の事を聞かれた鶴姫は、自分は京摂津の縁者を頼って行くと答える。

その頃、筑前を出発した又兵衛と家来たちは、愉快そうに気ままな旅を続け、徳山、岩国、広島にさしかかっていた。

後藤又兵衛が浪人をした噂は、瞬く間に諸大名に伝わっていた。

福島正則(富田仲次郎)もその1人で、前田家その他どの大名も又兵衛召し抱えに動き出していると聞くと、すぐに迎えに行くよう、家臣の福島丹波(香川良介)に命じる。

城下に逗留中だった又兵衛に対面した丹波は、福島家に仕えてくれまいかと申し出るが、又兵衛は石高に条件があると言い出す。

自分の家来たちにそれぞれ300石を与えて下されば、自分は順繰りにその家来の家を廻るつもりなので、自分の無禄で良いと言う。

それを聞いた丹波は、これは安い買い物をしたと喜んで宿を出かかる。

1人300石なら、例え家来が15人でも4500石程度で又兵衛は雇える事になるからだった。

その時、朝倉嘉兵衛や夜須平四郎ら家来たちが、次々に顔を出し名乗りを上げ出す。

その中には、いつの間に紛れ込んだのか弥助もいたので、馬蔵は呆れてしまう。

さらに、丹波らが宿の表に出ると、近くの別の宿からもゾロゾロと家来を名乗る侍たちが出て来たので、家来の総勢は60名にもなる事が分かり、1人300石で1万8000石も必要な事が分かる。

結局、丹波は目を回してしまい、いつのまにか福島家からの仕官話は消え去ったので、一同は笑いながら、また旅を続ける事になるが、その背後から、蒲池と池田の2人の刺客も、ひたひたと又兵衛に近づいていた。

その日、風呂に入っていた又兵衛に近づいた弥助は、又兵衛が刀を脇に置いている事を注意深く観察しながら、背中を流しましょうと声をかける。

又兵衛の身体に付いた傷の多さに驚くと、馬蔵は、どの傷がいつ着いたものか全て知っているが、おれは全部忘れたと言いながら、又兵衛は弥助に背中を洗わせる。

身元を聞かれた弥助が豊前の百姓ですと答えると、目の配り方が違う。何か習っていたか?と又兵衛は見抜き、おれの太刀を持って来いと命じる。

弥助は、又兵衛の剣を手に取り、今なら斬れるのでは?とでも考えたのか、緊張しながら風呂場に持ち込むが、その剣を黙って受け取った又兵衛は、部屋の隅に下がっておれと言い出す。

その言葉を聞いた弥助は、風呂場に近づいて来た蓮池と池田の姿に気づく。

又兵衛は、湯船から下帯一つで出ると、着物を羽織った姿で表に出て、後藤殿、上意!お覚悟!と言いながら刀に手をかけた2人の刺客と対峙すると、おれが討てるか?斬れまい…と睨みつける。

その気迫に飲まれたのか、刀を抜く事さえ出来ない2人の刺客に、せっかく来たんだから土産を持たせよう。この又兵衛、日本国中、どこにいてもその居所は教えると、殿に伝えろ。御主たちも出直していいぞと言いながら、宿の方へと戻る。

黒田家に戻って来た刺客2人からその言葉を聞いた黒田長政は、又兵衛を討てるものが滅多にいようとは思えん…と呟いて諦める。

その場で、殿、ご免!と言いながら、着物の前をはだけ、切腹して果てようとした2人に、止めろ!と長政は制しながらも、奴はこれからどこへ行くのか?憎い奴…と呟くのだった。

一方、尼になる覚悟を決めた鶴姫から、宇都宮家で生き残ったのは私たち2人ですと言い含められ、別れの盃を酌み交わしていたのは、京の吉岡道場で剣を習い、父の恨みを晴らそうと考えていた花若だった。

花若は、若い身空で尼になろうとする姉の気持ちを思い計って涙していた。

時は移る。

まだ家来たちと共に旅を続けていた又兵衛だったが、もはや路銀も尽き果て、食うにも事欠く有様になっていた。

馬蔵は、河原で鍋に水を入れ、少しでも空腹をごまかそうと湯を焚いていた。

そこに、朝倉や夜須たち数名の家来が、鶏等食うものを持って戻って来ると、寝っ転がっていた又兵衛に差し出すと、今日は殿の誕生日でござると言うではないか。

聞けば、町民や百姓の手伝いをして得た金でこれらの食料を買って来たのだと言う。

それを聞いて感激した又兵衛は、おれの家来は馬鹿者ばかりだと笑い、朝倉たちも、殿が一番馬鹿者でござると答え、その後、帰って来た家来たちで河原に円陣を組み、飲み食いを始める。

そんな中から1人立ち上がって座を外した又兵衛に気づいたのは、近所から野菜を貰って戻って来た馬蔵だった。

馬の側にいた又兵衛に近づくと、明日からこの馬の世話はしなくても良い。乞食に馬はいらん。村に行って売って来い。その金で奴等に酒でも飲ませてやれ。これ以上あいつらの世話にはなりたくないと言う。

その時、弥助が走って来て、池田輝政からの使者林玄蕃様が来られましたと知らせる。

玄蕃の用向きは、池田家へ仕えてくれぬかと言う依頼だった。

すぐさま、旧知の池田輝政(島田竜三)に会いに出向いた又兵衛は、当地の首領はいかほどかと聞き、50万石と聞くと、では、25万石貰いたい等と言い出す。

唖然とする輝政に、今のは冗談と笑った又兵衛は、自分はいまだに黒田家から許されておらぬと言うので、輝政は、構わぬ。刀にかけても守ってやると答える。

すると、今、別の間に控えているおれの家来を預かってくれないか?いずれも合戦で役に立つ猛者ばかりだと又兵衛は頼む。

それを聞いた輝政が、で、貴様は?と聞くと、又兵衛は、乞食暮らしは気ままなもの…などと言うので、その覚悟を悟った輝政は、快く承知する。

その夜、又兵衛の元に集まった朝倉嘉兵衛たちは、殿は我らをお見捨てになさるのか!と迫るが、ならぬ!乞食はおれ1人でたくさんだ!と制止した又兵衛は、真、我を大将と思うなら、ここの所は聞き届けてくれと頼む。

黒田武士が死に花を咲かすまで、時を待つのじゃと言い聞かせた又兵衛は、しばしの別れ!と言い、馬蔵に槍を持って来させると、平四郎に歌わせ、自ら槍を持って「黒田節」を踊り始める。

それを観ていた家来たちは、次々に泣き崩れ、舞っていた又兵衛もまた、涙ぐむのであった。

翌日から、又兵衛、馬蔵、弥助の3人で旅を始める。

河原で洗濯物をしていた弥助が、又兵衛のいる小屋に近づいて行くと、中から念仏を唱える又兵衛の声が聞こえて来たので、戻って馬蔵に聞くと、今日はある方のご命日だからで、毎年ああやって殿さまは回向なさっている。そのお方とは宇都宮鎮房と言う方だと教えたので、弥助は驚いてしまう。

その後、京の吉岡道場に出向いた弥助は、すっかり成長し、今は宇都宮朝末となった花若に会う。

今や吉岡道場内でも10本の指に数えられるほどの腕前になったと自慢する朝末は、一日も早く、父親の仇後藤又兵衛を討ち果たしてやると逸っていた。

ところが、弥助が、もう少し待たれた方が良い。相手は逃げ隠れするような男ではございませんと助言すると、長く一緒にいるうちに情が移ったのではないか?と朝末は疑り出す。

弥助は、又兵衛は自分にとっても亡き殿さまの仇…と反論するが、もう良い、居場所だけ教えろと朝末が焦るので、もうすぐ殿さまの七回忌になるので、その時まで!と弥助は必死に止める。

七回忌と聞いた朝末は、ようやく高ぶった気持ちを鎮めたのか、その時まで、しかと又兵衛を見張っておれと弥助に命じる。

その頃、1人で歩いていた又兵衛の元に馬蔵が手ぶらで戻って来たので、弥助はどうしたと聞くと、京に知るべがいるとかで出かけたと馬蔵は答える。

又兵衛は、乞食になるにも修行がいるな等と言いながら、飯椀を道に置いて、その後ろに座ると、馬蔵もその横に座り込む。

やがて、そんな物乞いをしていた又兵衛に馬上から声をかけて来たのは、黒田藩の堀五郎左衛門(藤山浩二)であった。

久々の再会であった又兵衛が、殿は?と聞くと、筑前52万石になられたと言い、おれが取りなしてやるから、帰参せぬか?と五郎左衛門は勧めるが、もとより、素直に聞く相手とも思っていなかった。

乞食を辞めるときは、死に花を咲かす時だと答えた又兵衛は、これから江戸へお礼の使者として向かうと言う五郎左衛門に、おれを殺しに来た者たちは?と案じてみせる。

何のお咎めもなかったぞと五郎左衛門が教えると、では宇都宮家の2人はどうした?と又兵衛は聞く。

何でも、中国筋へ行ったらしいがとんと分からぬと五郎左衛門は知らぬ様子だったので、弟の方は、もう20になったろうか?…などと又兵衛は懐かしがるのだった。

慶長19年

馬蔵と平原を眺めていた弥助は、いよいよ戦だな…。日本中の大名は関東側に着き、食い詰めた痩せ浪人だけが豊臣に付く…等と呟くが、その言葉が侍のようだな…と指摘した馬蔵は、うちの殿さまはどっちに付くのかな?と首を傾げていた。

江戸城

徳川家康(清水将夫)は、どう言う連中が豊臣方に付くのか、本多正信(杉山昌三九)と協議していた。

正信が、真田、毛利、長宗我部などは豊臣方に付きそうだなどと話していると、家康は、そう言えば、黒田の家臣に後藤又兵衛と言う強者がいるそうじゃが、そ奴の同行は?と興味を示す。

今のところ、何とも…と、正信が逡巡していると、今噂していた黒田長政が挨拶にやって来る。

家康が、甲州の所の幕閣だった後藤又兵衛が、大阪へ加担すると言う噂があるが、その男はどう言う奴だ?と聞くと、そ奴が敵方に付けば、1年で落ちる城も2年かかりましょうと説明する。

それを聞いた家康は、後藤又兵衛に、播磨一国を与え、10万石を遣わすので、説き伏せてくれと長政に頼む。

その後、又兵衛が小屋にいると、外に出ていた馬蔵が、黒田の殿さまが来られました!と叫びながら、小屋に駆け込んで来る。

又兵衛が外に出ると、そこには、馬から降りた黒田長政が立っていた。

7年振りじゃの、又兵衛…、乞食同然の暮らしをしていると聞いたが…、返事はどうじゃ?関東に付いてくれ。又おれと一緒に暴れ回ってくれと、先に伝えておいた頼みの返事を迫る長政だったが、又兵衛はきっぱり、お断り申す!と答える。

ご覧なされ、陽は落ちる、西だ。東に陽の出る勢いの徳川家、日本中の大名はそちらに付くだろうと又兵衛が言うと、そちは落日の西に付くと言うのか?と長政は哀し気に聞く。

貴様、まだ、おれを憎んでいるのか?と聞くと、殿に敵対する気はないと応えた又兵衛は、自分の一分を通したいだけと言うので、又兵衛、貴様、死ぬ気だな…と見抜いた長政は、それ以上は何も答えぬ又兵衛に、負けたわ…、さらばじゃ!と言い残して立ち去って行く。

後日、文をしたためた又兵衛は、弥助を呼ぶと、相国寺の揚西堂と言う僧にこれを届けてくれと頼むと、お前は侍ではないので、戦のために、もうここへ戻って来なくても良いと言い添える。

その文を弥助から受け取った揚西堂(荒木忍)は、自分は、又兵衛の父親とは竹馬の友だったが、この文には、宇都宮朝末と言うものを探し当て、しかるべき藩に推挙して欲しいと書いてあるのでぜひとも力になってやりたいと、文を持って来た弥助に教える。

それを聞いた弥助は、又兵衛がそんな心遣いをしてくれた事を知り感激する。

又兵衛は、とある山の中の尼寺にやって来ると、ある方の七回忌をお願いしたいと応対に出て来た尼僧に頼むと、持参して来た位牌を手渡す。

ちょうど、うちでも七回忌を執り行っていた所なので、これも何かの縁でしょうと、その位牌を受け取った尼僧は、奥の仏間で拝んでいたもう1人の尼に手渡す。

受け取った尼がその位牌に書かれた名前を読むと驚き、これをどなたが?と言いながら立ち上がると、帰りかけていた又兵衛を呼び止める。

父の回向を頼むのはどちら様ですか?と問いかけた尼は、振り返った相手が又兵衛と知り驚く。

又兵衛の方も、声をかけて来た尼僧が鶴姫の変わり果てた姿と知ると驚き、姫のそのようなお姿を観ようとは…と絶句する。

弟殿はどうした?と聞くと、京の吉岡道場にいると教えた鶴姫は、回向をお願いできるか?と言う又兵衛に、喜んでと答える。

これでこの世に思い残す事はない。晴れて、この又兵衛を討ち取られる事を心よりお待ちもうしております…と呟いた又兵衛は、山寺を出て石段を下りて行く。

そのとき、1人の若武者とすれ違うが、両者とも相手に気づかない。

山寺に登って来たのは、鶴姫の弟、宇都宮朝末だった。

姉に会った朝末は、今日こそ又兵衛を討ちます、まだ弥助は参りませぬか?居場所を知らせに来るはずですと伝えるが、姉から、その又兵衛ならたった今、父の位牌を持ってやって来たと聞くと、ではそこで会ったのは…!と気づく。

鶴姫は、今まで黙って来たが、自分たちがあのとき助かったのは、後藤殿が命乞いをして下さったから。その恩は恩、仇は仇と考え、その仇をそなたに討ってもらいたかったのだが、ここで修行しているうちに浮き世の事を考える時間が出来た。侍たるもの、討つも討たれぬも是非もない。そう父の声が聞こえて来るような気がしますと言い聞かす。

しかし、それは違います!と否定した朝末は、又兵衛を追っ手、石段を駆け下りて行く。

そんな弟を案じ、鶴姫は仏壇の父の位牌に、父上、弟をお守りください!と願うのだった。

山寺の麓で待っていた馬蔵は、又兵衛が戻って来ると、これから姫路に行って、殿の御出陣を御家来衆に知らせてきますと申し出るが、知らせるだけで良い。大阪で死ぬのはこの又兵衛1人でたくさんだ。後は彼らの心に任せると言う。

そこに駆けつけて来たのが宇都宮朝末で、名前を名乗ると、刀を抜いて来る。

あの時別れた花若と知った又兵衛は、討て!だが、その方の腕でこの又兵衛が討てるか?と挑発する。

突きかかって来た相手の刀をいとも簡単に打ち落とすと、拾え!と怒鳴り、朝末が剣を拾って向かって来ると、また、その剣を打ち落とし、そんな事で仇が討てるか!と叱責する。

その腕では俺は討てん。また、討たれる訳にもいかん。時を待て!その時はもうすぐ来る。良いか?その時を待つのだぞ!と言い聞かすのだった。

姉の寺に戻り、自分の非力さに絶望した朝末が、自らの咽を突いて自害しかけていた時、揚西堂を連れて弥助が訪ねて来る。

揚西堂は、所司代の岩倉様が朝末を召し抱えたいと言っておられると伝える。

弥助も、偶然、朝末と入れ違いに京に出向いて、この揚西堂に出会った等と説明し、又兵衛がお膳立てをしてくれた事は触れなかった。

揚西堂は感激する朝末に、戦場であっぱれな巧妙を立てる事じゃと励ますのだった。

大阪の陣 決戦のときが迫っていた。

弥助は、又兵衛の元に戻ると、自分は実は宇都宮の間者で、これまであなた様を騙して来たと打ち明け、この場で成敗してくれと頼み込む。

しかし、又兵衛は、そちも宇都宮家では名のある侍であったのだろう。遺された姉と弟を助け、宇都宮家を再興しろと命じる。

ますます感激した弥助は、姫がお目にかかりたいと申されておりますと伝え、山寺にやって来た又兵衛は、弥助から全てを聞かされた鶴姫から、弟と自分に受けた恩を感謝される。

そして、戦に出られるはなむけにと、父、宇都宮鎮房愛用の兜を持って来ると、これがかぶれるのはあなた様しかおりませぬと姫が言うので、又兵衛はまたとなきはなむけ、お受けいたしますと言って受け取る。

その時、士官後、凛々しき若武者姿になってやって来たのが朝末で、又兵衛が父親の兜を持っているのを観ると驚くが、又兵衛は、朝末殿、いよいよ時が来た。この兜は渡さぬ。取りたくば、この又兵衛の御印を討った時だと言いながら、その兜をその場でかぶってみせる。

そなたが戦場で御印を取るのは、この父上の兜が目印だ!忘れるな!手柄を立てられい!と言いながら、兜をじっくり見せつけると、黙って立ち去って行く。

その後ろ姿を追いながら、鶴姫は、又兵衛殿!と呼びかける。

後日、その兜をかぶって、戦場へ向かう又兵衛の姿があった。