1950年、大映京都、八住利雄脚本、吉村廉監督作品。
▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!▼▼▼▼▼
富士山に積もる白雪のように美しく優しい白雪先生こと、雨宮先生(原節子)と、彼女が受け持つクラスの子供達との物語。
いつも遅刻をしているPTA会長の息子、原島君と、彼の宿題を代理でやってあげていた服部君は、雨宮先生から注意されます。
しかし、その夜、服部君のお母さんが雨宮先生の家に訪ねてきて、「自分は、原島君の父親に雇われている身なので、そういう事情を察してくれ」と訴えます。
ある放課後、帰宅する雨宮先生の姿に気付いた原島君ら子供達は、夢中になっていたベ−ゴマ遊びから、一目散に逃げ出します。
後に残って、一人後片づけをしていたのは、浮浪児の常次。
雨宮先生はそんな常次に、優しく微笑みかけると、どうして学校に来ないのか尋ねますが、常次は、そんな先生を睨み付け、自分なんか入れてくれないじゃないか!…と、叫ぶと逃げ出します。
浮浪児、常次の事は、学校の子供達に悪い遊びを教えると、かねがね、学校でも問題になっていたのです。
学校のそばにある池の鯉を盗み出していたのも、常次でした。
ある日、外で写生をしていた子供達は、木の上から彼等の姿を見つめていた常次を発見、雨宮先生は、逃げ出した常次が残した絵を見て、常次の気持ちを思いやるのでした。
やがて、常次が一人で住んでいたあばら屋に真新しいスケッチブックとクレヨンが…。
常次は、送り主を察し、さっそく憧れの雨宮先生の顔を描くのでした。
しかし、雨宮先生が彼を訪ねてくると、素直になれず、互いににらみ合ったまま、ただ涙
雨宮先生は、とうとう、そんな常次を自分が引き取り、学校に入れる事にします。
常次も雨宮先生の優しさに触れ、段々、真面目な生徒に変化していきます。
授業で顕微鏡に夢中になる常次。
しかし、ある日、雨宮先生と同居している妹の心無い言葉に傷付いた常次は、家を飛び出して行方知れずに…。
おりしも、教室では、顕微鏡が紛失する…という事件が。
顕微鏡箱の鍵の保管係りだった服部君は、責任を感じ落ち込みます。
さらに、ある日、生徒達が親しんでいた池に近所の川から汚水が流れ込み、魚達が全滅する…という事態に。
その汚水を出していたのは、何と原島PTA会長の会社でした。
悲しむ子供達の姿を見かねた雨宮先生は、単身、原島に会いに行き、善処を願い出ますが、原島は聞く耳を持ちません。
間が悪い事に、後日、クラスで独自に話し合った子供達が会いに来たのを、雨宮先生の差し金と誤解した原島は気分を害し、PTA会長を辞めると、校長に連絡してきます。
困惑する学校とPTAの父母達。
雨宮先生は、自らの責任を感じ、学校を辞める決心を…。
▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼
浮浪児の登場だけではなく、普通の子供達も全員貧しい身なりをしており、時代を感じさせます。
今では、至極真っ当に聞こえる雨宮先生の指導に、当時は「きれいごと」と反発していたらしき世間の姿が浮かび上がってくるのも興味深いです。
汚水を垂れ流ししている企業が、何の悪怯れた様子も見せない描写にも隔世の感が…。
「公害」という概念自体が、まだなかった時代でしょう。
名作「二十四の瞳」に先行する、教育テーマの秀作。
とにかく、この世のものとも思えない、原節子のオーラが立ち上るような美貌がすごい!
病気で、床に付いている雨宮先生の顔をアップするシーン等、まさしく童話の眠れる「白雪姫」そのものです。
余談ですが、本作に出演していた子役の中に、今は落語家となっている、林家木久蔵師匠がいたらしい。