1961年、大映京都、宇野信夫原作、橋本忍構成・監修、國弘威雄脚本、森一生監督作品。
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江戸時代の夏の昼間、蓮華寺の古井戸から小坊主の善竜(丸凡太)が水を汲んでいる所へ、遊び人の孝次郎(小林勝彦)がやって来たので、お師匠さんなら今寝ているよと、気をきかせたつもりで教える。
孝次郎が、寺の隣にある家に住む常磐津の師匠菊次(中田康子)目当てに来ている事を知っていたからだった。
ませた口を聞く小坊主に鼻白みながらも、自分も汗を拭こうと井戸から水をくみ出した孝次郎は、水色が悪い事に気づきそう言うと、和尚さんはもう水が枯れて来たのでそろそろ潰してしまおうかと言っていると善竜は答える。
菊次の家の前では、師匠の身の回りの世話をしているおろく婆さん(村田扶実子)が、肩が張る師匠から頼まれて按摩を呼びに出かける所に出くわす。
按摩なら、左目の下に痣がある按摩がいつも来ていたのではないかと好次郎が尋ねると、ここ一ヶ月ばかり姿を見せなくなったので、これから七軒町まで呼びに行くのだと言う。
菊次はやって来た孝次郎の目的がいつものように金目宛である事を知っており、嫌味の一つも言ってみるが、好いたらしい孝次郎がふて腐れて帰りかけると、すぐに折れて、言われるままに一両渡してしまう。
もともと、孝次郎は、常磐津の義太夫だったのだが、今はすっかりヤクザな生活に堕ちてしまっていたのだ。
その後、いつまで待ってもおろくが按摩を連れて来ないので、いらついて来た菊次に、おろくなら谷中に泊まって来ると言っていたと教えた孝次郎は、自分が呼んで来てやると外出してしまう。
その後、菊次は、蚊帳の仲でうとうとし始めるが、やがて、左目の下に痣がある按摩(船越英二)が突然家の中に現れたのに気づき目を覚ます。
顔色が悪いと菊次が案じて言うと、先月のはなから病んで寝込んでいたのだと言う。
やがて、菊次の身体に触り出した按摩だったが、その手の冷たさに菊次は声をあげてしまう。
やがて、風鈴が止まり、菊次は何時の間にか寝ていたが、善竜がやって来て声をかけるので起きていくと、寺の方に按摩が来ているのだと言う。
按摩なら、今までいたが、寝ている間に帰ってしまったのだろうとと思いながら、その寺で待っていると言う按摩を呼んでもらうと、やって来たのは先ほどまでいた馴染みの按摩ではないか!
しかし、不審がる菊次に、その按摩は、自分は、以前からこちらで世話になっていた辰の市の弟で、徳の市(船越英二-二役)なのだと言う。
言われてみれば、確かに、左目の下の痣がない。
その兄さんなら、先ほどまでここに来ていたと菊次が言うと、徳の市は驚いて、そんなはずはない、兄は三日前に死んだのだからと言うではないか。
昨日が葬式で、暮六時、隣の蓮華寺に埋めたばかりなのだと言う。
兄は、師匠にこがれて、こがれて、こがれ死んだのだと伝える徳の市は、その兄から師匠宛ての預かりものがあると紙片を渡す。
受取った菊次が、紙を開いてみると、そこには長い髪の毛が挟まれていた。
聞くと、それは菊次自身の髪で、兄が来る度に、落ちている髪を拾い集めていたものなので、こんな自分の事を哀れと思ってくれるなら、線香の一本でもあげてもらいたいと遺言されたのだと言う。
次の瞬間、いきなり蚊帳が落ちたので、思わず菊次は、側に座っていた徳の市にしがみついてしまう。
数日後、菊次が稽古にやって来た娘たちに三味線を教えた後、部屋に戻ると、そこに徳の市が座っている。
実は徳の市、あの夜以来、毎日のように勝手にやって来ては、黙って裏口から上がり込むようになっていたのだ。
しかも、その度に、頼みもしない土産物を持って来て、菊次に渡そうとする。
今日も、簪を持って来て渡そうとするので、これまでもらった品物を全部突っ返して、もう来ないで欲しいと言い渡す菊次。
しかし、そんな言葉は聞こえぬとばかり、上機嫌で帰って行く徳の市とすれ違う形でやって来たのが孝次郎だった。
菊次は孝次郎に、しつこい徳の市の事を話し、もうこんな所にいるのは嫌だから深川の辺りに移りたいとぼやくが、先立つものもないし、引っ越しても、すぐには弟子はつかないと孝次郎からたしなめられる。
しかし、その孝次郎が、又20両と言う金を貸してくれと言い出したから、菊次はかちんと来てしまう。
孝次郎が、呉服問屋の娘と付き合っている事は、弟子たちのうわさ話で知っていたからだ。
そこで、菊次は、孝次郎に交換条件を出して来る。
自分が何とか20両作る代わりに、金輪際、孝次郎を離さないと言うのである。
孝次郎は、不承不承それに応じる事になる。
ある日、風呂上がりの帰り道、古井戸の側で草むしりをしていた善竜をちょっとからかいながら帰宅した菊次は、座敷に座っている辰の市の姿を観て立ちすくむが、良く見ると、その顔に痣はなく、弟の徳の市であった。
しかし、菊次は騒がず、今日は兄さんの二七日だったので、線香を上げさせてもらったと話し掛け、ついでに身体も揉んでもらう事にする。
そして、その技が兄さんより巧いなどと誉めながら、自然に徳の市を挑発しながら身体を任せるのだった。
その日以来、夫婦同然となって居座った徳の市が仕事に出かけた隙にやって来た孝次郎は、菊次が普段はしない丸髷まで結っているのを観て、その変わり身の早さに呆れてしまう。
しかし、菊次は悪びれる様子もなく、座頭は十一の高利貸しもやっているので、纏まったものを掴むチャンスだと言い返す。
孝次郎が酒をねだったので準備している所へ、早々と帰って来た徳の市は、孝次郎がいる気配を察すると、わざと、昼日中から酒を飲むと言い出し、孝次郎の目の前で、わざと菊次といちゃいちゃした所を見せ付出す。
丸髷も、徳の市が菊次に頼んでやってもらったのだとのろける。
何度も、孝次郎に帰るように遠回しで言っていた徳の市だったが、今日限り、男弟子は取らない事にしてと言い出す。
近い内に、菊次を連れて引っ越すと言うのだった。
最初は我慢して言いたいように言わせていた孝次郎だったが、あんまり、しつこく嫌味を繰り返す徳の市の尊大な態度に切れてしまい、徳の市につかみ掛かり投げ付けると、菊次に荷物を返してやるように言う。
はいよと、あっさり答えて、箪笥の中から徳の市の荷物をまとめて放り出した菊次の態度を知った徳の市は、その時はじめて、自分が二人の計略に引っ掛かっていた事に気づく。
恨みつらみを浴びせながらも、孝次郎から追い出されてしまった徳の市。
その姿を観て菊次は、もう一月も辛抱していれば大金が手に入ったのに…と、孝次郎の短気な行為をちょっと悔しがるのだった。
ところが、その後、追い出されたはずの徳の市が又すごすごと戻って来て、今まで自分は金を全部吐き出してしまったと言いながら暴れはじめたので、孝次郎は、又、そんな徳の市を雨が降り出した表に放り出してしまう。
その後、金の卵を逃してしまったと少し後悔して孝次郎が落ち込んでいると、何と又、先ほど、孝次郎から頭を殴られ血を流した徳の市が、先ほどの自分の無礼を詫びた上に、ここを追い出されたのでは他に住む所がないので、どこへでも良いから置いてくれないかと、いやに低姿勢になって言いに来るではないか。
さらに、徳の市は意外な事を言い出す。
人の執念と言うのは恐ろしい。実は、自分は兄が溜めた50両という大金をあなたに渡すようにと言付かったのだが、その内の30両を他で使ってしまったので、兄の怨念で、こんな仕打ちを自分が受ける事になったに違いない。
ついては、今、20両しか持っていないが、座頭の借り賃として預けてある30両も取り戻して、全部渡したいから、その代わり、師匠を私に譲ると言う証文を一筆書いてくれないかというのであった。
この申し出に欲を出した孝次郎は、無言で嫌がる素振りを見せる菊次を目で制しながら、言葉巧みに了承したと返事するのだった。
ところが、20両と引き換えに菊次を私と言う証文をもらった徳の市は、翌日から、昼間も酒を飲んで、菊次が稽古中の隣の部屋まで聞こえるような高いびきをかいて寝るほど亭主気取りになってしまう。
寺の古井戸の水が完全に枯れたので、2、3日中に人夫に埋めさせると言う善竜の言葉を聞きながら、そんな菊次の家へ又してもやって来た孝次郎は、寝ていた徳の市を起こすと、もう残りの三十両を受取る約束の日を過ぎているが…と伝える。
ところが、徳の市は恐縮するどころか、約束の日時なんてものは、時によってどうにでも変わるものだ、俺を追い出せば、証文を持って奉行所に訴え出るぞ、殺すなら殺してみろと開き直り、孝次郎の事も、小馬鹿にしたように「孝的」などと見下げて呼ぶようになる。
すっかり、徳の市にはめられた事に気づいた孝次郎だったが、欲をかいた自分にも否があるので反論できない。
その後、徳の市が高利貸しの取り立てに出かけた後、菊次も、あんちくしょう…いっそ、一思いに殺してしまえば…などと、冗談とも本気ともつかない言葉を孝次郎に投げかける。
孝次郎の方も、その言葉を真剣に考えるような顔つきになる。
菊次は、もう一日だって辛抱できない、江戸から逃げ出そうと苛立つ。
孝次郎は、辰の市が死んだ化物なら、徳の市は生きた化物だと呟く。
その夜、孝次郎は、帰宅した徳の市の前で、川で釣って来たと言うナマズをごちそうしたいと、かいがいしくさばいていた。
すっかり、孝次郎が従順になったと思った徳の市は、ナマズは大好物だと喜ぶ。
しかし、さばき終わったナマズに、孝次郎は毒薬をまぶしていた。
それを横から見守る菊次。
やがて、鍋が煮上がり、酒と共に食べはじめた徳の市だったが、何時まで経っても毒が効いて来る様子がない。
すっかり、酒で上機嫌になった徳の市は、自分は意地もあって菊次と暮してきたが、本心ではその内別れるつもりだと言い出す。
自分にはもっと大切な願いがあり、それは、この目をもう一度開けてみたいのだと。
自分は房州の生まれだが、四つの時にソコヒを患い目が不自由になったが、実家にあった柿ノ木と、赤い実の事だけは覚えている。母親は七年前に死んだ…などと身の上話を始める徳の市だったが、やがて、持っていた盃をぱたりと落とす。
とうとう毒が効いて来たのだ。
壁を引っ掻きかがら倒れ込んだ徳の市の顔には、兄と同じように痣が出来ていた。
その徳の市のとどめを刺そうと、菊次にしごきを出させると、それを徳の市の首に巻き付け、孝次郎と菊次は二人で両端を引っ張りはじめ、徳の市を締め殺してしまう。
そして、夜の闇に紛れて死体を外に運び出すと、古井戸の中に落としてしまう。
その直後、誰かがいたようなので様子を見に行って来ると、孝次郎が道に飛び出して行ってしまったので、独り家に戻った菊次は、部屋の中に座っている顔に痣のある按摩の姿を観て立ちすくんでしまう。
一瞬にして精神のバランスを崩し、朦朧とした状態で外に歩み出た菊次は、古井戸の所に戻って来る。
翌日、古井戸の所にいた善竜に、師匠を見かけないかと聞いていたのは孝次郎だった。
夕べから菊次の姿が見えなくなっていたのだ。
さらに、何時からこの井戸は埋めるんだと尋ねる孝次郎に、善竜は、和尚さんが埋めるのを止めて、もう少し深く掘ってみると言っていたと返事する。
死体が見つかっては大変と、その夜、死体を引き上げる為、古井戸の中に梯子を下ろし、独り降りて行った孝次郎は、底に倒れている徳の市の死体と、その横に倒れていた菊次の死体を発見して驚愕する。
恐怖にかられ、慌てて梯子を登って行った孝次郎だったが、井戸の縁についたところで、顔に痣のある按摩が立っている事に気づき、その顔を観て絶叫しながら井戸の中へ墜落してしまうのだった。
按摩は、その途端、ぱっちりと目を見開く。
その翌日、筵を被された三人の死体が並んだ古井戸の横で、芝居の役者だと言う男が、役人(丹羽又三郎)から事情を聞かれていた。
何でも、自分は、孝次郎から頼まれて、按摩の格好をして菊次の家に現れてくれと頼まれただけなのだと言う。
つまり、夕べ菊次や孝次郎が観た按摩とは、その変装した役者の姿だったのだ。
孝次郎などは、自分が頼んだ芝居に、自分自身が引っ掛かって命を落とした事になる。
側で話を聞いていた寺の住職は、この井戸はどうするとの役人の問いに、すぐさま埋める事にすると返事をする。
役人が役者を引っ立て帰って行った後、残った善竜は住職に対し、先ほど役人が言っていたのは、死んだ人間より、生きた人間のする方が恐ろしいと言う事なのかと尋ね、何の返事もしない住職と共に三人の骸に手をあわせるのだった。
▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼
二枚目風の役柄が多かった船越英二が、ひどく癖のある按摩に扮して印象的な怪談。
高利貸しをやっている按摩、常磐津の師匠とその愛人など、何やら「怪談累が淵」をアレンジしたような展開になっている。
舞台も、墓場の側に古井戸がある寺とその横に住む師匠の家だけ、登場人物も酷く限られている。
基本的には、菊次と孝次郎と徳の市の三角関係だけの話と言っても良い。
シンプルと言えばシンプル、地味と言えば地味そのものの内容だが、これが結構面白く作られている。
面白さの原因は、何と言っても、徳の市の特異なキャラクターにある。
普通、目が不自由な人物と言うのは、弱く哀れな同情すべき人物として描かれる事が多いが、この徳の市は、そんな生易しい人間ではない。
卑屈さと図々しさを合わせ持った、実に人間臭いと言うか、はっきり言うと嫌な人間である。
後半、孝次郎が、徳の市を称して「生きた化物だ」と呟くのは、その証。
だから、観客は、決して、この徳の市に同情しない。
かといって、孝次郎や菊次にも同情できない。
三人とも、みんな欲深かで嫌な人間なのだ。
その悪人同士が互いに騙し騙され、結局、全滅してしまう…という、一種のピカレスクロマンとも読める。
シンプルな設定ながら、こうした奥深い人間模様をあぶり出した巧さは、橋本忍の手腕だろうか?
クライマックス、毒を盛られたのに、なかなか死なない徳の市の姿は、ユーモラスさと不気味さ、サスペンスを重ねた絶妙の演出。
徳の市が、馴れ馴れしく菊次に近づき、その内、亭主気取りになって居座ってしまう不気味さは、ヒュー・ウォルポールが書いた「銀の仮面」という奇妙な味の古典ミステリを思い出させる。
単なる「お化け映画」という枠を超えた面白さを感じた。