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子連れ狼 冥府魔道

1973年、勝プロダクション、小池一雄+小島剛夕原作、小池一雄+中村努脚本、三隅研次監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

拝一刀(若山富三郎)は、滝に打たれている修行中の僧と出会う。
子連れ狼への仕事依頼を意味する牛頭馬頭の絵を印した顔隠し布を傘に付けているので、その男に声をかけた拝に、その僧衣の男は、いきなり斬り掛かってくる。

拝の刃に倒れた綾部右近(戸浦六宏)と名乗るその男、息も絶え絶えに、依頼金の五分の一の額である百両を差出しながら、仕事依頼を始める。
残りの依頼金四百両は、自分と同じように、牛頭馬頭の顔隠しを傘に付けた4人の男達が、腕試しをさせてもらい、それら全員に守備良く勝ったら、その依頼金全てと仕事依頼の内容全てを知る事ができるという。

承知した拝は、その後、道中で出会った泉数馬(志賀勝)、最上俊作(石山律)、菊池弥門(天津敏)、小石勘兵衛(山城新伍)らを次々と打ち倒し、依頼の全貌を聞き出す事になる。

筑前黒田藩の元城主、黒田斉隆(加藤嘉)は、妾のおたえの方を溺愛するあまり、彼女の生んだ浜千代という五才の女児を正妻の嫡子である松丸と欺き、城主として幕府に報告したばかりか、その事を自ら印した御墨付きを慈恵和上(大滝秀治)に託すという愚行を犯していた。

その慈恵和上とは、実は西海道一体を束ねる草(地元に根を下ろした忍者)であり、その御墨付きを柳生烈堂(大木実)に渡そうと旅立ったで、その慈恵和上を道中で暗殺し、御墨付きを奪い返して欲しいというのであった。

難無く慈恵和上に近づく事に成功した拝だったが、本人を前にして刃を抜く事ができなくなる。
「無であるものを斬る事はできぬ」と禅問答のような言葉をつぶやく慈恵和上。
催眠術なのか、どうしても刃を抜けない拝は、一旦その場から立ち去るしかなかった。

その後、拝は、松丸付きくノ一、不知火(安田道代)から、追加の五百両と共に、奪い取った御墨付きは、拝自身が黒田藩に出向いて直接手渡す事、さらに元城主、黒田斉隆、おたえ、浜千代三人の暗殺するよう依頼されるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

お馴染み、若山富三郎主演「子連れ狼」シリーズ5作目である。

風変わりな仕事依頼段階から目的達成までの一連の拝の行動は、相変わらずの奇想とスプラッタ(血しぶき)と、息を付く間も与えないノンストップアクションの連続になっている。

その殺伐とした見せ場の合間を、大五郎(富川晶宏)の愛らしさと、さりげない地方の風物描写などが埋め、観るものの気持ちを一時和ませる。

そうした中、本作で一番印象深いのは、祭礼が行われているある村での、女掏摸の早変わりのお葉(佐藤友美)と大五郎の触れあいの場面である。

江戸からお葉を追ってきた目明かしの洗蔵(山内明)の目をくらますために、逃げる途中、盗んだ財布をたまたま見かけた大五郎に手渡したお葉は、その大五郎が洗蔵に捕まり、幼子ながら衆人監視の中、鞭打ちの拷問まで受けながら、頑として、お葉をかばおうとする姿に衝撃を受け、真人間になる事を誓う。

鞭打ちの刑を受けながら、声一つ上げない大五郎の姿は、さすがに実写で見ると不自然さが気にならないでもないが、腹掛け一つの裸にされた大五郎をお葉が抱き締めるシーン、大五郎役の坊やが、丸出しになったおチ○チ○をさすがに恥ずかしかったのか、下がった手で隠そうか…と逡巡する微妙な動きをするのが観ていて微笑ましくも愛らしい。

黒田藩の家老として、岡田英次が登場する。
くノ一、不知火を演じる安田道代が、なかなか魅力的である。

理屈抜きに楽しめる、痛快娯楽時代劇の一本。