八丈小島太平山登頂


 八丈島北西部の沖に一つの島がある。まるで海上にスフィンクスが構えているかの如き泰然とした山容。その凛とした様は、見る者に強烈な印象を与えるだろう。「島=山」と言ってもいいようなその島こそ八丈小島、そして太平山だ。
 最近伊豆諸島の山を登ることに凝っている自分は、地図を見ていてたまたまこの島を見つけ、何となく気になっていた。登れないのかな・・・と思って調べているうちに、益々興味を惹かれることとなった。古くは平安時代からの歴史を持ちながら、昭和44年に全島民強制離島となり、以来無人島。ネットで調べても、登頂記録は驚くほど少ない。
 今回、その八丈小島太平山にチャレンジし、幸いにも頂上まで足跡を記すことができた。八丈小島登山は期待に違わぬ面白さを備え、プチ冒険気分を味わえる実に楽しい山行だった。普段は細かい山行記録を作らない自分だが、今後行かれる方の参考になればとの思いと同時に、自らの想い出のために記録を残すことにした。
 なお、八丈小島は人間やヤギの影響で、まだ状態が変化しつつある山のようだ。もし参考にされる方がいらっしゃるようであれば、2010年11月時点の記録ということを心に留め置いて頂きたい。
 
●八丈小島登頂に向けた選択
選択@ シーズン
 折角行くからには、少しでも登頂可能性を高めたいと思うのは当然のこと。そう考えると、八丈小島へ行くのはいつでも構わないというわけではない。下表に八丈島のデータを示してみた。
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
@
9.8
9.9
11.7
15.5
18.2
20.9
24.6
26.1
24.2
20.5
16.4
12.1
A
195.7
180.1
294.8
225.4
226.7
389.7
204.9
195.1
362.9
443.5
238.7
169.6
B
18.8
16.7
16.5
13.4
10.5
10.2
5.7
5.2
8.8
12.4
12.7
15.7
  (注)@気温の月別平均値、単位:℃、A降水量の月別平均値、単位:mm、
     B日最大風速10m/s以上の日数の月別平均値、単位:日
  (資料)「理科年表 平成22年版」国立天文台編

 考えておくべきことは、船が出るかどうかということと、登山に適しているかどうかの2点。Bのデータからわかるように、12〜3月までの冬期は風の強い日が多く、その分、船が出ない可能性が高くなる。あと台風の多い9月も避けた方がいいかもしれない。また、登山に適しているかという意味では、雨の多い6月や9,10月は避けたいところ。八丈島は意外と10月に雨が多いようだ。さらに6〜9月もパス。暑いからというのもあるが、草木の成長が著しい時期で、自然に任せたままの八丈小島はより険しくなり、それだけ登り難くなる。特に、7,8月はダニが多いとのこと。
 以上、上表で@〜Bごとに望ましい時期を青くしたが(色が濃いほどより望ましい)、全てを満たすのは4,5,11月といったところか。本当にこれで正しいかは、行く前に現地の方に聞いてみて下さい。
 
選択A 渡船
 八丈小島までどうやって行ったらいいのだろうか。無人島なので定期船など出ているわけもない。そこで利用するのが、釣り人が使っている船のチャーター。ただ、渡船のできる船は限られている。不動丸、正丸、優宝丸、海女屋丸・・・など一部の船のみ(今後変わるかもしれません)。釣りは素人なのでよくわからないが、船の先端が長く、ショック吸収用のタイヤを付けてる船でないと、渡船はできないのかもしれない。
 では、渡船をやっている船ならどれでもいいのかというとそうでもないようだ。自分は全く事情に詳しくないので益々よくわからないのだが、最初に渡船の相談をしていた船は「人数が集まらないと船が出ない」ということをしきりに言われた。単独行の自分にとっては頭の痛いところ。残念ながら2010年11月に3連休はなかったが、23日の“勤労感謝の日”が火曜日だったので、この日ならば月曜日に休みを取って4連休にする人がいるかもしれないと思い、20,21日の土日をターゲットにした。最終的には、諸般の事情から別の船にも相談したところ、その土日は天気が悪くない限り船を出す予定だというので、そちらに変更した。これは想像なのだが、釣り客はリピーターが多いので、長年の営業で固定客の多い船とそうでない船とで、集客に差が生じているのではないかと思われる。自分の使った優宝丸は当日13名が乗船。あちこちの釣りのポイントである岩場に客を降ろしていく船長の腕は確か。ちなみに優宝丸の奥山船長は、昭和44年の全島民離島時に小島の小学校に通っていたそうだ。
 八丈島まで行ったはいいけれど渡船が出ないということにならないように、できるだけ運行可能性の高い船を選びたい。少なくとも、大勢のパーティで行く人以外は、曜日は人数が集まる土日をお勧めする。なお、自分がお世話になった優宝丸は、渡船の行きが6:30なので金曜日夜の東海汽船でも土曜のANA一便でも間に合わない。帰りは八丈小島発16時なのでANA最終便に間に合うかはかなり微妙なところ。金曜日か月曜日の休暇取得は必須だろう。
 
選択B 出発ポイント
 八丈小島太平山に登ろうと思った場合、出発地点は旧宇津木村か旧鳥打村のいずれかしかない。自分は鳥打から登ったが、一方からしか登っていないので、どちらが良いかは正直わからない。2万5千分の1の地形図でみると、どちらから登っても水平距離では1.5km程度とほぼ同じ。宇津木側の山頂付近が緩やかになっている分、それ以外の箇所の平均斜度は、鳥打の方が幾分緩やかなようだ。いずれにしろ、どちらから登っても斜度はかなりきつい。
 市販の書籍に乗っていた八丈小島登頂記録は、「秘境ごくらく日記」(敷島悦朗)と「島の山旅」(敷島悦朗)の2冊のみ。実は、両方とも同じ山行をベースに書かれたもので、敷島氏は宇津木から登っている(蛇足ながら、敷島氏が登ったのはヤギが多数生息していた1990年代のことと推測され、現在とは状況が違っていたと考えられる)。一方、ネットで2,3個見かけた登頂記録は、鳥打から登っているようだ。自分が八丈島で泊まった長戸路旅館の主人も、鳥打からの登山を勧めていた。
 結局どちらが良いかはわからない。
 
●八丈小島太平山ルート図
 さて、肝心のルートであるが・・・・・。書いてはみたものの、正直全く自信がない(GPS持ってないからなぁ・・・)。イメージだけでも掴んでもらえればと思って作ってみた。
 下図の赤線@は「人跡ゾーン」。学校や石垣、あるいはその後訪れた廃村マニアなどによる踏み跡等も含めて、人がいた痕跡が比較的残っているエリア。青線Aは「沢筋ゾーン」。実際、沢は流れていないが恐らく雨が降れば沢になる感じで、ルートファインディングの感じも沢登りと似ている。橙線Bは「篠竹ゾーン」。そんなに距離はないのだが、突然竹藪に行く手を阻まれ、まさに人跡未踏となる。緑線Cは「藪漕ぎゾーン」。藪漕ぎとは言うものの低草で見通しが利くので不安はないが、傾斜がかなり急だ。

 
●八丈小島太平山 山行記録
 
タイムスケジュール
6:30
優宝丸にて八丈島八重根港 発
7:05
八丈小島鳥打港 着
7:15
鳥打港 出発 人跡ゾーンへ
7:55
標高160m 人跡ゾーン→沢筋ゾーン
8:50
標高340m 沢筋ゾーン→篠竹ゾーン
9:05
標高380m 篠竹ゾーン→藪漕ぎゾーン
10:13
八丈小島太平山(617m)山頂(10:45まで休憩)
10:45
帰路 藪漕ぎゾーンへ
11:35
藪漕ぎゾーン→篠竹ゾーン
11:50
篠竹ゾーン→沢筋ゾーン
12:40
沢筋から離れ人跡ゾーンへ
13:50
鳥打港 着
16:05
優宝丸にて八丈小島離島

 
 2010年11月19日(金)八丈島空港に降り立った。天候は曇り。初日は特に予定なし。翌20日(土)に八丈小島へと向かう予定だったが、天気予報は朝まで雨。仮に明け方に晴れたとしても、八丈小島の草木が相当濡れていることは容易に想像できる。幸い翌々日21日(日)の天気は曇りのようなので、意を決して20日(土)は停滞日とした。代わりに八丈富士に登っても良かったのだが、先の見えない八丈小島を控えていたので、体力温存の意味もあってその日は観光だけに終始した。
 停滞後の11月21日(日)の朝6時半、八重根漁港に集合。幸い、宿泊していた長戸路旅館のご主人が、優宝丸の奥山船長と懇意にしている方のようで、漁港まで車で送って頂いた。ご主人からはいろいろなアドバイスも頂戴した。
 優宝丸の付近に集う人々は見るからに釣り人ばかり。自分一人やや浮いてる感じはあったが、そんなことは気にしていられない。6:25乗船。12トンという優宝丸は決して大きくない。念のため買っておいた酔い止め薬を事前に飲み、万全の体調で臨んだ。
 6:30定刻に出航。始めこそ全く揺れなかったが、港を出てスピードを上げた途端に揺れが大きくなった。それでも、薬のお陰か気が張っていたせいか、はたまた乗船時間が35分と短かったせいか、酔うことは特になかった。

我らが優宝丸の雄姿
 途中、横瀬根、カンナギと言ったポイントごとに釣り人を降ろして行く。当初13人乗っていたが、鳥打で下船したのは、自分と2人組の釣り人の3人。それにしても、あんな小さな岩場で一日中釣りをするとは、なんて酔狂な人たちだろう。という話も鳥打で降りた釣り人にしたら、「オタクの方がよっぽど酔狂だ。」と言われてしまった。それもそうかもしれない。
 ついに、八丈小島上陸である。

@ 人跡ゾーン
 7:05鳥打上陸、目の前に太平山が聳えている。鳥打の港付近には猫の額ほどの平地があり、その真ん中数十メートルだけ、コンクリートの道が通っている。
 簡単に身支度をして7:15出発。門、石垣、壁・・・かつて人が住んでいた痕跡がはっきり残っており、その合間を縫うようにして登っていく。7:30(標高80m)、右手に小学校の門と、校庭だったらしき野原が見え、その奥に校舎の壁らしきコンクリート片がわずかに残っている。ここを左折し、山に分け入る。

朝、鳥打から太平山を見ると、逆光になる
 小学校前までは明確に道がついている。恐らく釣り人や散歩で上陸した人などが、ここまでは多数入り込むせいであろう。その先は急に山道っぽくなる。それでも人の痕跡は明白だ。時々草木に覆われた箇所もあるが、少し掻き分けるとすぐに踏み跡がわかる。何より旧民家の石垣らしきものが随所に残っている。
 失敗したなぁと思ったのは、ズボンをレインウェアに変えなかったこと。一昨日はずっと雨だったが、昨日は曇り空。草木や地面が少しでも乾くようにと昨日一日を停滞としたのに、結構ジメジメしていた。ズボンはあっというまに草木の露でビショビショになってしまった。
 しばらくは古い痕跡を辿りながら、少しずつ登っていく。
上の地図では赤い線の部分は2,3回しか曲がっていないように描いたが、実際は何度も右へ左へと移動していたと思う(曖昧ですみません)。
 7:55(標高160m)、右手に鳥打港と海が見える見晴しの良い場所。ここを左に折れて山に向かったあたりから、民家等の人の痕跡がほとんどなくなった。

小学校跡地。門と壁の一部しか残っていない

石垣跡を見ながら進む。人の痕跡は明確だ

A 沢筋ゾーン
 なんとなく道らしき所を辿っていくと次第に沢筋のような場所に入り込む。植生が先ほどまでの草・つる草といった感じから、少し背の高い木に変わり、海も山も全く見えなくなる。視界が利かない。
 水は流れていないが、恐らくは雨が降ったら沢に変わるのだろう。全体的にジメジメした感じだ。この沢筋らしき場所がかつての登山道ではないかと思われる。時々入る登山者のものだろうか、所々に明らかな人間臭が残っていて、道の確からしさを感じることができる。
 そのまま進んでいくと、途中3,4箇所ほど登るのに苦労する場所に出くわす。えっ、こんな所が登山道なわけないしなぁと思って見回すと、ちゃんと巻き道らしきものがついている。まさに沢登りの巻き道と同じ感じで、それとなく感じられる程度の踏み跡だが、恐らく正解だろう。ちなみに、巻き道はほとんどが左岸についていた。
 沢筋ゾーンは約1時間。8:50(標高340m)、何回目か巻いたあと、突然竹藪に出くわした。

草木に覆われた沢筋に残る人間臭を辿る

かつての登山道だろうか・・・

B 篠竹ゾーン
 突然現れた竹藪。見回しても道らしきものが見当たらない。ここを突っ切るしかないのだろう。竹自体は細いので掻き分けられないことはないが、かなりの高密度で密生しているのと、先が全く見えず不安になる。
 意を決して踏み出す。目指すはただ高い方というだけの曖昧なもの。竹と竹の間の隙間を縫うように登っていくが、あまりに狭くて時にはバキバキッと竹を折ってしまう。所々に折れた竹があるのは、今まで通った誰かが折ったものなのだろうか。そんな折れた竹が突然顔に刺さりそうになったり、捻じ曲げた竹が反発して戻ってきて腕を叩いたり、前に進まないと思ったらリュックの紐が竹に引っ掛かっていたりと、次々とアクシデントが起きた。夜、宿に戻ってから体を見たら、あちこちに赤い傷や痣があったが、その大半がここでできたものだろう。
 藪漕ぎが想定されたので、リュックはできるだけコンパクトにし、でっぱりは一切なくしたつりでいたが、えっ!?と思うような細かいものがも引っ掛かった。要注意だ。

こんな感じの篠竹がずっと続く
 篠竹ゾーンはさほど長くない。約15分ほど漕ぎ続けると、突入した時と同様に、突然竹藪から抜け出した。頂上が見える!
 9:05(標高380m)、竹藪を抜けたところで今日初めてのちゃんとした休憩。10分間休みながら行動食を摂った。
 
C 藪漕ぎゾーン
 竹藪を抜けてしばらくは頂上が見えたり隠れたりという感じ。鳥打港から見上げた時は、左側の稜線沿いを登ればいいのではないかと感じたので、左斜め上に向かって登り稜線を目指した。ところが、左側稜線の先はかなり切れ落ちた感じで、近付きすぎると危ない。方針を変更し、斜面をジグザグに登る。
 このエリアに生えているのは、ほとんどがアジサイとアザミ。背が高くない分見渡せるのは助かる。とはいえ、かなり急斜面なので、場所によっては両手を使いながら登っていく。

振り返ると鳥打港と窪んだ沢筋がクッキリ
 
 

アジサイとアザミの低草木地帯
 
 この頃から空も晴れ始め気持ちいい。振り返ると、青々とした海に今朝上陸した鳥打港、そして登ってきた沢筋がはっきりとわかる。
 小ピークを2つほど回り込む。登っている時は小ピークと感じたが、後で写真で見ると、稜線が少し出っ張っている程度だ。
 ・・・・・9:40(標高480m)・・・・・
   ・・・・・9:50(標高520m)・・・・・・
     ・・・・10:05(標高580m)・・・・・
 もはやどこが先人の道なのかはわからない。傾斜が急なので、適当に斜めにジグザグしながら登っていく。標高からしてそろそろかな、と思いながら上を見上げる。と、ふっと空がよく見えたと思ったら、木の向こうに八丈富士の姿が目に入った。頂上だ!
 
山頂
 10:13、標高617mの八丈小島太平山山頂着!
 所要時間3時間、時間的には思ったよりもだいぶ早く着いた。だが、先の見えない不安感と闘いながら道なき道を辿る山行は、プチ冒険気分と程良い達成感が味わえる。見渡せば八丈富士と三原山が仲良く並んでいる。ひょうたん島の手前、白い波を立てながら東海汽船が通ってゆくのが見える。ちょうど東京へ帰る時間だ。
 山頂で30分休憩。一人喜びを噛みしめた v(^^)v

ひょうたん島と青い空・青い海・白い雲

八丈小島太平山にある三角点

帰路
 帰りは来た道を戻るだけ・・・、なのだがそう簡単にいかない所が小島の小島たる所以だ(!?)。実は、帰りに備えて登る時に目印を付けてきた。雪山で言うところの赤布や赤テープみたいなものだが、回収漏れを懸念して、下の写真のようなピンク色の紙テープにした。これを沢筋の巻き道や、藪漕ぎを抜けた場所などに目印として付けておいた。結果的にはあまり使わなかったが、沢筋では役に立った。ちなみに、3つほど回収し損ないました。スミマセンm(..)m
 10:45山頂発、帰路に着く。
C藪漕ぎゾーン
 下が見渡せるので方向は大丈夫だが、とにかく急なので、滑らないように気を付けた。草木を掴む時は、アジサイの根元、幹が分かれる手前のところを掴むと安定性が高い。アザミは抜けるので注意。11:35篠竹ゾーン突入。
B篠竹ゾーン
 登り同様に、竹藪を掻き分け、バキバキとへし折りながら進む。心配だったのは、竹藪を下に抜けた時、沢筋に出るかどうかということ。偶然のなせる技か、必然だったのか、今もってわからないが、竹藪を抜けたらちょうど沢筋のドン詰まりだった。11:50沢筋ゾーンへ。
A沢筋ゾーン
 ここは沢に沿って下っていくだけ。

環境に配慮しピンクの紙テープです
注意点は巻き道を間違えないこと。その点で、目印の紙テープが役に立った。
 さて、事件が発生したのはその先のこと。沢筋をひたすら下ること50分。そろそろ人跡と合流するはずと思っていると、気のせいか沢の両岸が深くなってきた。ふと不安に駆られた。もしかして行きすぎてしまったのでは・・・・・。このまま進んで海まで達したら、海岸線が切り立っている八丈小島のことだから、海岸線沿いに鳥打に出ることが出来ないかもしれない・・・・・。そう思って右岸を越えて上に出てみた。すると、青々とした海が広がり、海に突き出した鳥打の海岸線と小学校跡地がよく見えた。目指すはあそこだ!
@人跡ゾーン
 このまま沢を下っても間違っていたら登り返すことになる。だったら、多少強引でもこのまま小学校方面に直登ならぬ直下(?)した方が確実だ。そう思って、藪漕ぎよろしく斜面を強引に下ることにしたのが12:40のこと。しかしこれが大失敗だった。人跡ゾーンの草木は頂上付近とは比べ物にならないくらい逞しく複雑に成長していた。いくつかの草木が、ツタのようなツルのような植物で絡みついていた。強引に下ろうにも前に進めない。乗り越えたり、くぐったりしながら進んでゆく。しかも、既に人跡ゾーンに入っており、下は石垣により2mくらいの段々畑状態になっていた。植物を掻き分け掻き分け進むと、いつの間にか石垣を越え足元に地面がなくなっていた。それでも絡みつく植物のお陰(?)で下に落ちることはなく、空中に浮かんだままもがき続ける。下に行けばどこかで踏み跡にぶつかるはずと思ったが、下るのも容易ではない。それならと石垣に沿って、(海に向かって)右方向に進む。石垣沿いに匍匐前進すると比較的草木の妨害が少ない。掻き分け、這いつくばり、乗り越え・・・・・そんな格闘を続けること50分。小学校の少し上で、ようやく踏み跡に達した。
 そこから鳥打港まではわずかに10分。13:50、鳥打港に到着した。結局、下りも登りと同じく3時間を要した。
 優宝丸の迎えは16:00ちょうど。それまでグショグショになった服・靴を乾かすとともに、岩場でオカヤドカリと戯れたり、貝殻を拾ったりしてノンビリと過ごした。定刻を少し遅れて迎えに来た優宝丸に乗って離島。沈みゆく夕陽が八丈小島太平山を照らしている。船の上から今日一日お世話になった小島をじっと眺める。消えゆく古の人々の暮らしに想いを馳せながら、遠ざかる島影を見つめていた。
 
●その他
 上記に書き切れなかったいくつかについて、下記に補足しておきます。
服装等
藪漕ぎを想定すれば、言うまでもなく長袖・長ズボン、手袋は必須。また、天候にもよるが、上下ともレインウェアを着ておいた方が無難かもしれない。篠竹ゾーンを考えると帽子なども重要。目の悪い人はコンタクトよりも眼鏡の方がいいかもしれない。篠竹が突然目に突き刺さるというアクシデントを防げるからだ。あと、自分は失敗したがスパッツは絶対に必要だ。
携帯電話
八丈島に面している宇津木側の斜面は携帯電話が通じるようだが、太平山の陰となる鳥打側から登ると、携帯電話は全く通じない。唯一通じるのは山頂のみ。
山羊について
以前の八丈小島は、全島民強制離島の際に残されてしまった家畜のヤギが野生化・異常繁殖し問題になっていた。曰く、ヤギのせいで島の環境が悪化し崩落が起き、漁場も荒れてしまったと。その真偽のほどは定かではないが、野ヤギの駆除は2006,2007年頃に完了したそうである。実際、山行中に山羊の姿や痕跡を目にすることはなかった。ちなみに、自分が泊まった宿のご主人曰く、以前は野ヤギのケモノ道や、駆除のために猟師が通った道があったが、現在はそれもなくなってしまったとのこと。ひょっとしたら、今後八丈小島はより登るのが難しくなるのかもしれない。
オカヤドカリ
余談ですが、八丈小島にオカヤドカリがいた(八丈島にもいるそうですが・・・)。我が家でも飼っているが、なかなか愛い奴です。ちなみに、オカヤドカリは天然記念物なので、勝手に採集できません。
 


八丈小島、楽しかった。