荒川遡行紀行 |
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多摩川、と来たら当然次は荒川でしょう。というわけで、今度は荒川遡行です。甲武信ヶ岳に源流を発し、秩父湖や長瀞などの景勝地を経て、下流では隅田川を分岐するなど人工河川としての歴史も持つ荒川。葛西臨海公園から遡ってみました。 |
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●荒川データファイル
流程の長さ | 全長173km、日本第15位 |
流域面積 | 2,940平方キロメートル |
川幅 | 約2,.537m(御成橋付近)、日本最大 |
水源 | 埼玉県、甲武信ヶ岳(2,4751m)山腹、真ノ沢(しんのさわ)を水源とする |
主な支流 | 隅田川、入間川、高麗川、中津川、綾瀬川、ほか |
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●荒川全域図
| 葛西臨海公園 → 鹿浜橋 | 6時間30分 | 30,180歩 |
| 鹿浜橋 → 秋ヶ瀬橋 | 5時間20分 | 27,790歩 |
| 秋ヶ瀬橋 → 指扇踏切 | 3時間 | 16,020歩 |
| 指扇踏切 → 鴻巣駅 | 7時間30分 | 45,207歩 |
| 鴻巣駅 → 植松橋 | 7時間30分 | 45,041歩 |
| 植松橋 → 野上駅 | 6時間50分 | 36,762歩 |
| 野上駅 → 浦山口駅 | 6時間15分 | 38,035歩 |
| 浦山口駅 → 秩父湖 | 6時間15分 | 34,413歩 |
| 秩父湖 → 柳小屋 | 6時間45分 | ― |
| 柳小屋 → 荒川源流点 | 7時間 | ― |
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●荒川遡行記録
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第2日目(2010年5月16日) 鹿浜橋→秋ヶ瀬橋(5時間20分、27,790歩) |
9:55 鹿浜橋
王子駅からバスで新田二丁目へ。そこから前回終了地点の鹿浜橋へと向かい、荒川遡行2日目の開始です。
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10:20 岩淵水門
知ってる人には当たり前、知らない人はビックリ! この岩淵水門から向こうが隅田川となるんです。
1907年、1910年と立て続けに大洪水が起きたことをきっかけに、旧荒川(今の隅田川)への水量を減らすために、1911年から1930年まで足掛け20年もの年月をかけて作られたのが荒川放水路(今の荒川)と岩淵水門です。
江戸時代には、利根川に流れ込んでいた荒川を切り離したとのこと。荒川の歴史は洪水との闘い。荒川は人類の英知の結晶、血と汗の産物なんですね。 |  |
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10:30 荒川知水資料館
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赤羽岩淵の水門近くにあるのが荒川知水資料館です。
荒川の歴史、生態系がわかる様々な展示物がいっぱい。個人的に気に入ったのは流域模型のモニター。河口から源流までの空撮映像を約3分でみることができます。
資料館はもちろん無料。サイクリストやキャンパーの憩いの場ともなっています。
11:15 赤水門と青水門
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奥が1982年にできた現役の青水門、手前が初代の赤水門。この赤水門を作ったのが、青山士(あきら)さんという方です。当然、荒川知水資料館にも「青山士コーナー」があるのですが、そこで青山さんの紹介ビデオを見て、ちょっと感動してしまいました。今とは全然事情が違うであろう明治時代に、大学卒業後すぐに自費で単身渡米、日本人でただ一人パナマ運河建設に参加、帰国後内務省で荒川や信濃川の治水工事に従事、水門の近くにある記念碑には自分の名前を入れず・・・。其の他知れば知るほど興味が湧いてきます。青山さんを思いながら見る岩淵赤水門は、感慨ひとしおです。
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12:30 戸田漕艇場
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戸田橋と首都高速5号の間、2.5kmほどに亘って真っすぐ伸びているのが戸田漕艇場です。もしかしたら、戸田競艇場の方が有名なのかもしれませんが、競艇場は端っこ1/5ほどを時々使っているだけです。
私も、学生時代に2回だけここに来て、フォア競技に参加してことがあります。今となっては懐かしい(?)想い出ですが・・・。 |
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13:40 彩湖・幸魂大橋
戸田漕艇場を越えてからほどなく見えてくるのが、彩の国さいたまの彩湖です。もちろん、湖とは言っても人工湖。荒ぶる川の洪水を防ぐために作られた調整池、荒川第一調整池です。
彩湖の周りは市民の憩いの場になっていて、ランニング、サイクリング、サッカー、野球、犬の散歩やキャンプなど思い思いに休日を過ごしています。彩湖では、カヌーやウィンドサーフィン、ラジコンヨットや釣りなどこちらも様々。近くにはサクラソウ公園もあり自然がいっぱい。彩湖に沿って歩いているだけで、1時間以上掛かってしまいまいした。
こんな場所の近くに住みたかったなぁ・・・などと思ってしまいますが、忘れてはいけないのはここは調整池だということ。いざ、荒ぶる川のご機嫌がナナメになった際には貯水に使われますし、普段は水道水も供給しているという優れものなのです。スゴいぞ、彩湖! |

15:15 秋ヶ瀬橋
本日はここまで。
歩いて西浦和駅へと向かいます。 |
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第3日目(2010年6月20日) 秋ヶ瀬橋→指扇踏切(3時間、16,020歩) |
10:00 秋ヶ瀬橋
西浦和駅から桜草公園を通って秋ヶ瀬公園との境目へ。ここが前回終了地点です。ここまでで5,500歩超。段々前回地点までが遠くなってきた。
秋ヶ瀬公園からは公園沿いの道を羽根倉橋目指して歩く。左手に土手は見えるものの、残念ながら川は見えない。 |
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10:50 羽根倉橋 〜
羽根倉橋を過ぎてしばらく行くと、急に辺りが田んぼになる。あれ?ここってさいたま市のはずでは・・・。この辺りは、JR大宮駅から西に6,7kmほどの場所。車なら10分程度で来れるはず・・・。
田んぼ脇の用水路では、パラソル立てて釣りをするおっちゃんたち。「何が釣れるんですか?」と聞くと、「小鮒です」とのこと。覗きこむと、カエルやらエビやらもいっぱい。上空からはモーターパラグライダーのエンジン音が・・・。
のどかだぁ。意外と田舎だぞ、さいたま!! |  |
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12:00 治水橋
まだまだ荒川下流域という感じですが、この辺りは広い河川敷にゴルフコースが多く、なかなか川を見ながら歩くことができません。緑は多いものの、折角の川が見えず残念!
写真右上が治水橋。手前はグラウンドです。
上で紹介した田んぼは、治水橋を過ぎた後も続きます。田んぼ越しに見える大宮、さいたま新都心の遠景。なんともシュールだなぁと思うのは、私が埼玉県人じゃないからでしょうか・・・。 |  |
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13:00 川越線踏切
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土手のようなの感じのサイクリングロードを歩いて行くと、川越線とぶつかる所に踏切があります。踏切の両側は車両通行禁止の道なので、ほぼ人間様専用の踏切って感じですね。
東京近郊では、最近こういう踏切を見かけなくなりました・・・。
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本日は所用につき、少し早いけれどここで終了。
指扇駅へ向かいます。荒川って駅に近い所が少ないのが難点ですが、ここは割と近いです。 |
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第5日目(2012年2月18日) 鴻巣駅→植松橋(7時間30分、45,041歩) |
9:30 鴻巣駅
1年ぶりに荒川に戻ってきました。去年は、人生初の本『山岳マンガ・小説・映画の系譜』を出版し、雑誌「山と渓谷」で1年間の連載。それはそれで楽しかったのですが、お陰さまですっかり引きこもりです。
2時間以上かけて鴻巣まで到達、荒川歩きの再開です。そこから、コイン精米所(?)やら天ぷら油回収所(?)とかいう見慣れない街並みを通り過ぎて、とりあえず糠田橋へ。堤防沿いを久々に歩きます。 | | |
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11:00 荒川水管橋
荒川の上を、浄水された利根川の水が流れていく荒川水管橋。なんだか不思議ですね。1.1kmの長さは、水管橋としては日本一だそうです。
下の写真はすぐ隣にある大芦橋です。荒川中流域の橋は、なぜか機能性を重視したシンプルな橋ばかりで、今ひとつ美しくないです。その点、水管橋は素晴らしい! | |
それにしても今日は寒いです。2月中旬。気温1,2度のうえに強風で、体感温度は恐らく氷点下でしょう。川沿いはとにかく風が強いです。空気が澄んでいるせいか、遠くに雪を頂いた山並みが見え、富士山も顔を出しています。 | |
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11:40 決壊の跡
昭和22年、カスリーン台風で堤防が決壊し、埼玉・東京一円が大被害に遭ったそうです。その時に建てられたという記念の碑。下流域でも洪水を偲ばせるものがいろいろありましたが、荒川は文字通り荒ぶる川なのですね。

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14:15 押切橋
押切橋で左岸から右岸へ移動。橋を渡るだけで15分近くかかります。こうして眺めていると、とても氾濫するような川には見えませんが、広い川幅も荒れた時に備えてのものなのでしょう。 |
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15:15 鹿島古墳群
土がこんもりしているのが7世紀頃の円墳で、全部で50以上あるそうです。当時は石がむき出しになっていて、今とは見た目も全然違ったとの説明書きがありましたが、円墳に木が生えていると冬虫夏草みたいで不気味です。 | |
14:45 白鳥飛来地
今回一番楽しみにしていたのが、この白鳥飛来地。場末の温泉街みたいなゲートに出迎えられ、少し歩いて河原に出たのですが、白鳥さん・・・いませんでした。鳥インフルエンザ流行以降、餌付けをしていないとのこと、その影響かもしれません。

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16:00〜16:40 白鳥発見!
鹿島古墳群を過ぎ、「さて今日はどこまで行こうか・・・」と右岸を歩いていたら、植松橋を過ぎたところで、なんと白鳥発見!しかも、結構たくさんいるではないですか。右岸から近づいたものの足場が悪くあまり近寄れず。仕方なく、植松橋で左岸へ移動しました。 |
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シベリアから遠路はるばる飛来しているという白鳥さん。お顔の感じからするとコハクチョウでしょうか。立派なカメラを構えた人が餌をあげていたので、先ほどの飛来地ではなくこちらへ来るようになったのかもしれません。
飛び立つのが苦手らしく、足をバタバタさせながら水面から羽ばたいていく様子がかわいいです。 |
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16:55 武川駅
しばし白鳥さんに見とれたあと、秩父鉄道の武川駅へ移動。本日はここまで。寒い一日でした。 |
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第6日目(2012年3月20日) 植松橋→野上駅(6時間50分、36,762歩) |
10:20 武川駅
秩父鉄道の武川駅から植松橋へ移動。3月でまだ肌寒いものの、歩いているとちょうど良い気温。もうすぐ春です。道すがら、白や赤の梅の花が咲いていました。今年は遅いようです。
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10:40頃 植松橋付近

植松橋を過ぎて歩き始めるとこんな看板が。「 がいます」って、見えないから余計怖いよ。よく見ると、『マムシ』と書いてありました。目立つように赤(?)で書いたら、陽に焼けてしまったのでしょう。で、どう注意すれば・・・? | |

11:30頃
突如現れた「バキュームカー専用出入口」。なんじゃ?と思ったら汚泥再生処理センターでした。バキュームカーの存在も処理センターも忘れて生活していただけに、改めて感謝して通り過ぎました。
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11:50 秩父鉱業採砂場
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何の変哲もない河原です。植松橋から関越自動車道、花園橋と適当に川沿いを歩いていたら、何やら砂利道に変わり、どういうわけかダンプカーとすれ違うようになり、違和感を感じつつも砂利山を横に見ながらひたすら歩いて行ったら、河原にぶつかりました。後で調べたところでは、この場所は秩父鉱業の採砂場だったのです。河原から先は道がなく、引き返すしかない状況。でも、この写真見てください。川は浅いし、少し先に向こうの河原が見えて、なんか渡れそうでしょ。そう突入したんです。
靴と靴下を脱いでザックにしばりつけ、裸足で川に入りました。・・・・・つ、つめたい!冷た過ぎる!5秒も足を入れてい |
たら、感覚がなくなるくらいの冷たさでした。3月、山はまだ雪。雪解け水なのでしょう。私が浅はかでした。仕方なく河原に引き返し、靴を履き直して、採砂場の脇を歩いて戻ったのでした(;;) |
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13:00〜14:10 川の博物館
今回のメインイベント「川の博物館に到着です。まず目に飛び込んでくいるのが、直径23mの大水車。残念ながら自然の川の流れで回っているわけではなく揚水式で回しているようですが、さすがに迫力があります。しかし、私が一番楽しみにしていたのは、荒川の模型です(右の写真)。
この模型、なんと1000分の1で作ったとのこと。つまり、全長173kmの荒川が、173mに凝縮さ |
れているわけです。173mって結構長いんです。模型の荒川沿いに歩いてみると、これを企画・設計・造形した方々のこだわりを感じます。アッパレ! |
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このほかに、アドベンチャーシアターで「荒川 森と海を結ぶ旅」を見たり、“渓流観察窓”で川の生き物を観察したりと、それなりに楽しめました。ただ、ここは子供向けに作られている施設なのですが、肝心の子供にとっては正直どうなんでしょう? |
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14:40 鉢形城跡
 | 寄居駅近くの正喜橋を過ぎると、鉢形城公園があります。見にくいのですが、「鉢形城跡」という石塔があり、歴史館もあるのですが、城そのものはありません。「ふーん」くらいに思っていたのですが、日本百名城のひとつだと知って、ますます「ふーん」。百名山とか百名水とか、日本人って百が好きですね。 | |
15:30 玉淀ダム
赤いアーチ橋が末野大橋。その下に見えるのが玉淀ダムです。ダムの必要性はよくわかりませんが、荒ぶる川ですから、きっと必要なのでしょう。
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17:10 野上駅
玉淀ダムを見ながら折原橋を渡ったあとは、ひたすら秩父鉄道沿いを歩きます。1時間に1,2本しかない電車の時間に合わせて駅を目指したら、野上駅まで来てしまいました。本日はこれまで。 |
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第9日目(2012年9月15日) 秩父湖→柳小屋(6時間45分) |
10:10 秩父湖
前回の到達点、秩父湖バス停から再開。秩父湖沿いをテクテク歩く。この夏の渇水のせいで、秩父湖の水はカツカツ。地肌がむき出しになっていた。陽射しは強いが、ダム沿いの道は木影になっていることが多く、暑さはさほど気にならない。
途中、万歩計を忘れてきたことに気付いた。これまで歩数を数えてきたのに意味ないじゃん!が、実は今回、ミスの連続、アクシデント続き。万歩計がないくらい、たいした問題ではなかったのです・・・・・。
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11:30 川又
妙に早く川又到着。キレイなトイレがある。水洗式なのは当然として、入口が自動ドアなのには驚いた。このあと甲武信小屋までトイレが全くないので、無理矢理寄っていった。
さて出発!と、ここで道を間違えた。川又で右折、と頭にあったので、予定通り右折した。やや戻り気味に坂道を上がって行ったら、15分ほどしてバス停が現れた。あれ?おかしい・・・。正解は川又の少し先を右へ向かうのだった。しかも、道の左側から川の方へと降りて、元の道をくぐって右へと向かうのが正しい道。この間30分のタイムロス。またミスった。10分もしないで入川林道に入る。 |
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14:00 赤岩沢出合
入川林道入口から1時間40分ほどで、赤岩沢との合流地点に到着。正式な登山道ではないはずなのに、時々「十文字峠」などと書いた指導標が立っているのはありがたい。
赤岩沢出合で急に雨が降ってきた。山の天気は変わりやすい。服装はそのままに、ザックカバーだけ掛けて出発。ここまでの道はそれなりの広さがあり、アップダウンも少なかったが、ここから一気に険しくなる。

指導標で右に折れて赤岩沢沿いに少し登ると橋が掛かっており、右岸へと渡る。そこから道は登り始め、沢から離れていく。渓流釣りの人がよく入るらしく、踏み跡は割合はっきりしているが、足場はザレて悪い上に狭い。足を踏み外したら、どこで止まるかわからない。時折、倒木や落石の跡が見られ、あまり手入れされていない様子が伺える。神経を使うこんな道を延々2時間も歩いていると、いい加減疲れてくる。釣りのためとはいえ、釣り人もよくこんな道なき道を歩くものだ。 |  |
トロッコ軌道跡
キャンプ場を横目で見ながら入川林道を進む。この辺の山は、東大演習林と言って、森林科学研究のために東大が所有しているらしい。
矢竹沢が合流する付近で、林道から沢沿いの道に入る。地図では林道が登り始めた最初のカーブから山道に入ることになっているが、それらしき道が見当たらない。もう少し上がってみたが、道はワインディングしながら登っていく。仕方なく来た道を戻り、「十文字峠」という道標のある場所から左へ入る。道は沢伝いとなる。どうやら正解らしい。

沢沿いを歩いていると、ほどなく軌道跡に出くわす。狭い道の上を延々と軌道が続いている。これ、材木を運び出した森林軌道の跡だそうである。よくぞまぁ、こんな所に敷設したものだと感心するが、同時に驚いたのが、この軌道が戦後に作られ1970年まで使われていたものだという事実。もっと年代物かと思っていました。日本経済の発展は、かくも急速なものだったのでしょう。 |
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16:00 大崩落地帯
柳小屋はまだかなぁ〜・・・。歩くのに少々ウンザリし始めた頃、突然目の前に大きな岩がゴロゴロ転がっている地帯にぶつかり、道がわからなくなった。上から落ちてきた大量の岩と、それに流された木の枝など散乱し、一帯を埋め尽くしてしまったらしい。崩落地沿いに上に登ったり、下に降りたりしてみたが、どこから越えたらいいのかわからない。
写真では大きさや高度感が出ないのでわかりにくいが、左の写真が崩落地帯を目の前にしたところ。写真上の土の部分のさらに上に、元の道がある。崩落に巻きこまれて、道が土ごと崩れてしまったようだ。崩落の瞬間に現場にいたら、助からないだろう。写真右は無理矢理登った後に、上から崩落地を写したところ。今ひとつ迫力が出ない(;;) |
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崩落地を上からも下からも回り込むことができなかったので、仕方なく元の道の延長線上をまっすぐに越えることにした。ぐずぐずの土と砂の上に、だましだまし体重を乗せ、かすかな摩擦と気合いで高度をあげていく。落ちたらただでは済まないかもしれない。登り切った時には、よく落ちずに済んだと安堵のため息をついたが、同時にもう戻れなくなったことに気付いた。仕方ない。前に進むしかない。
大崩落地からさらに歩くこと約1時間。ビバークが頭を掠めた頃に、突然、柳小屋が目の前に現れた。やっと着いた〜。 |
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17:00 柳小屋
疲労困憊で柳小屋に辿り着いてみると、中は1人だけ。いつも釣り人で満員と聞いていたのでツェルトを持ってきていたが、皮肉なことに大崩落のお陰で空いていたようだ。
そこにいたのは若いK氏。到着してすぐにミルクティーをご馳走して頂いた。疲れた体にはたまらない。ありがとうございます。しばらく動く気力もなかったが、時間はもう夕方5時過ぎ。夕飯の準備や片付けを始めないと、すぐに暗くなってしまう。
夕飯を食べながらK氏と話をしていると、“伊豆諸島”という意外な共通の関心事項が見つかった。K氏も島好きであちこち行っているそうだが、最近は小笠原諸島の父島で1ヶ月ほど働いていたそうだ。すごい行動力! |
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第10日目(最終日)(2012年9月16日) 柳小屋→荒川源流点(7時間) |
6:15 柳小屋 発
5時半にも出るつもりだったが、9月のその時間はまだ暗い。結局出発は6時15分。真ノ沢新道を通って甲武信小屋のテン場まで行くというK氏と、小屋での再会を約して出発。
柳小屋正面の吊り橋を渡ってすぐに沢へと降り、いよいよ沢登りスタート。渇水で水は少ないのだろうが、それでもそれなりに水量がある。しばらく河原を歩いていると、ものの10分で股ノ沢との分岐に到着。ここは間違える心配はなさそうだ。
真ノ沢に入ってからもしばらくは河原歩きが続く。約30分後、小さな滝と大きな釜が見えてきた。おそらくここが「通らずのゴルジュ」だろう。左岸に着いた巻き道をたどる。 |

↑吊り橋越しに見る柳小屋 |
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7:25 F2/8m
真ノ沢に入ってから1時間強でF2(たぶん)。ここは右岸の巻き道を越える。思ったより沢屋が入るのか、それとも釣り人が来るのか、想像していたよりもルートファインディングは難しくないが、ザレた岩やぐずぐずの土が多く、細心の注意が必要だ。
小さな滝を越えながら進むこと約1時間。8時半ころに、ついに千丈ノ滝が出現した。2段20m、真ノ沢一番の大滝だ。近付いてみないと、この迫力はわからない(下の写真も、人間が滝から少し離れているため、滝の大きさがわかりにくい・・・ 残念!)。
滝を見ながら、しばし休憩。

↑F3千丈ノ滝20m |

↑た、たぶんF2です・・・
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千丈ノ滝は左から大きく巻く。滝の近くは巻くことすらできなさそうなので、少し戻って崖を上へと攀じっていく。といっても、ここも脆い崖なので、木の根や草をつかみながら、多少強引にいくしかない。すぐに真ノ沢新道にぶつかる。新道も“道”とは言うものの、狭く危なっかしい道で、いわゆる登山道としてはオススメしがたい。
真ノ沢新道を歩いていくと、上から千丈の滝が少しだけ見える。上から見ただけでも迫力が伝わってくる。そのまま真ノ沢新道を歩くと、千丈ノ滝の上部にぶつかる。そこで新道と別れて、再度沢に戻る。 |
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8:55 千丈ノ滝 上部
千丈ノ滝を越えると、しばらく滝もなく、比較的倒木の多い河原を歩きながら、少しずつ高度を上げていく。次の目印は約1時間先の木賊沢出合いだ。
千丈ノ滝を越えてから、ちょうど1時間後、想定外の事態に遭遇した。いくつか集めた遡行 |

↑ナメ滝なのだが・・・

↑F5不動ノ滝 |
図には載っていない滝が出現したのだ。10mはないかもしれなが、8mはありそうな、そこそこ大きな滝。踏み跡らしきものを探して、右から巻くことに成功したものの、この滝はなんなのだろう?真ノ沢にこんな滝はないはず。だとすると、いつの間にか間違って木賊沢に入り込んでしまったのか・・・。幸い木賊沢の遡行図も持ってきていたのでそれを見ると、木賊沢F2/10mのようにも思えてくる。
そのまま遡っていくと、いくつかナメ滝が現れた。普段はナメ好きの自分も、現在地が分からないだけに今ひとつ楽しめない。ここが木賊沢だとすると、F2の後にナメが出てきてもおかしくない。一方、真ノ沢にもナメ滝はある。どっちのナメ滝なのか、これではわからない。不安を抱えたままさらに遡行を続けた。
やがて段々になった滝が登場(10:40)。後で判明したところでは、これが真ノ沢F5不動ノ滝8m。木賊沢F3の可能性もあったが、どっちにしろ左から越えるとなっているので、そちらから攻めてみた。滝のすぐ横を越えよう少し段を上がったが、苔で滑りやすくなっていたため下まで戻り、やや大きめに左から巻いた。
滝を越えて25分。右から沢が流れこんでいる合流地点に到達。右の沢は何本もの滝がかかっているのが見える。ここに来てようやく確信した。これは三宝沢の25m4段スラブ滝だ。ということは、どうやら正しいルートを辿っていたようだ。はぁー、焦った。(結局、先ほどの滝が何だったかは、分からず仕舞いですが・・・)
安心して思わず休憩。ここから小屋まで2時間はかかるため、食糧をお腹に入れておく。 |
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11:10 三宝沢合流地点・駒鳥ノ滝
三宝沢出合で左側の駒鳥ノ滝を越えると、沢は次第に狭くなる。そして、それまでも多かった倒木が沢に覆いかぶさり、邪魔になってくる。それどころか、倒木のせいで沢がどこを流れているのかさえわからなくなってくる。
苔むした倒木の上を渡るようにして、沢の上を歩いていく。大きな滝はないが、2〜3mの滝が時折現れ、巻き気味に越える。
〔以下はGAMOの滑落譚。お急ぎの方はパスして下さい〕
いくつ目の滝かはわからない。2mくらいの小滝が段になって続いている感じの場所で、大きなミスを冒してしまった。直登は難しそうだったので、滝のすぐ横に、へつるように付いている左側の巻き道をたどった。足元はザレた岩で、しっかりとしたフットホールドがない。手許は根っこや草。手足両方が不安定な状態だったので、慎重にトラバース。途中、少し大きめの根っ子が出っ張っている場所があり、根をつかんだまま体をせり出すようにして越えようとした瞬間だった。「パキッ」と乾いた音がしたかと思うと、体が壁から離れた。一瞬、時間が止まる。しまった!ヤバい!と思ったが、次の瞬間には体が落下しており、頭をかばうとか何かを考えるヒマもなく地面に叩きつけられた。左肘と尻を、したたかに打ちつけたように感じた。滑落したのは、わずかに3m程度だが、頭が真っ白になった。しばらく落ちた時の状態のまま、周囲を見回した。沢のすぐ横、岩場の上に落ちたようだ。目の前には脆い壁、上方に折れた根が見える。クソー! なんとか立ちあがってみると、左手がしびれてうまく動かないが、それ以外は無事なようだ。
冷静なつもりだったが、すぐにその滝を再度越えようとしたのだから、あまり冷静ではなかったのかもしれない。先ほどとは反対側の壁沿いにへつってなんとか滝を越えて上に出た。まだ左腕がしびれていたので、肘を触ろうとして気が付いた。長袖の服の肘部分が破れ、直径10〜15cmくらいが真っ赤に染まっているではないか。急いで服を脱いでみると、肘の辺りが切れているようだ。沢の水で洗うと、血の量の割には大きな傷ではなさそうだ。ただ、血は出続けている。とりあえずハンカチをガーゼ代わりに当て、テープでグルグル巻きにし傷口を保護した。ここでは、これ以上のことはできない。とりあえず進むしかない。 |
↓原生林の様相を呈し始めた沢
↓倒木が多く、沢がよく見えない
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13:15 荒川源流点
怪我をした時間がはっきりしないが、おおよそ11:50頃のこと。そこから1時間半ほど荒川源流を歩き、ついに13時15分、「荒川源流点」という碑のある場所に到達した。
実は、下の左側の写真を見るとわかるが、碑のある場所はまだかすかに水が流れていた(写真右の部分)。厳密に言えば源流ではないのかもしれなが、その時々の天候・状況によって源流点はずれるので、この碑を以て源流としよう。 |
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思えば、葛西臨海公園を出発してから延べ10日間。すいぶんと時間がかかってしまったが、その分だけ、荒川の雄大さや厳しさ、有難みを感じることができた。足で歩いた荒川173km。これが全部つながっていて、川として流れているのか思うと、なんだか嬉しくなってくる。 |
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荒川源流点から甲武信小屋までは30分弱。この日は遅くなったので小屋泊まり。翌朝、雨のなか山頂を越えて、毛木平まで下山した。毛木平では、暖かい方に車に乗せて頂き、信濃川上駅まで送ってもらうという嬉しい想定外もあった。山では多くの想定外の事態が起こる。でも、想定外だからこそ楽しいこともある。反省すべきは反省して、また次の山、沢へ行こうと思う。 |
| ・・・・・The End |
〔御礼と後日談〕
甲武信小屋で傷の手当てをするため救急箱を借りようと思ったら、偶然看護士さんがお手伝いに来ていて、洗浄や包帯巻きなど手当てをして下さった。小屋の方も、その後の状況など何かと気にかけて下さり、大変よくして頂きました。ありがとうございました。今後、ご迷惑をおかけしないように、十分気を付けて登山します。
ところで、家に帰ってからシャワーを浴びていたら、腰が痛くて体が前に曲がらないことに気付いた。さらに、左肘が痛くて、伸ばし切ることも思いっきり曲げることもできない状態だった。滑落直後は出血の多さに気を取られていたが、実は腰と左肘を痛打していたらしい。その後しばらく不自由な生活を送りながら、整骨院に通う。2週間経った今現在、まだ完治はしていない。 |
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