作 品 名
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「雲取に生きる」 (新井 信太郎、1988年)
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感 想 等
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( 評価 : C) 昭和30年、初代富田治三郎氏の時代に山小屋に入ってから、この本が出版されるまで33年。その後も新井氏は小屋主を務めており、現在(2014年)まで59年間も小屋を守り続けている。気の遠くなるような長さだ。それだけ続けられたのは、著者の忍耐強さと、雲取を愛する心、そして今なお、「山と山小屋」(小林百合子)で取り上げられるような温かいキャラクターゆえであろう。 本書は、30年間、飽くことなく雲取の自然と登山者たちを見つめてきた著者ならではのエピソード、自然観、人間観察、半生が綴られている。山小屋での暮らしというものがよくわかり面白い。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「山は登ってみなけりゃ分からない」(石丸 謙二郎、2020年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
NHKラジオ「山カフェ」でおなじみの石丸謙二郎が語る 山のなかで見つけたこと、 知ったこと、 驚いたこと!! |
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感 想 等
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( 評価 : C) 俳優にして、ソフトな語り口のナレーター、そして山好きとしても有名な石丸謙二郎さんによるエッセイ集。NHKラジオで毎週「山カフェ」という番組をやっているだけあって、かなり山をやっているようで、登場する山も多彩。山の知識も豊富。洒脱でウィットの効いた文章も読みやすく、しかもエッセイ1つあたり4〜5ページ程度と手頃なので、あっという間に読めてしまう。所々に差し込まれている墨絵の挿絵も本人によるものだそうで、実に多才な方のようだ。 タイトルは、浅間山に関して、見た目はおまんじゅう形のズングリとした山だけれども、実際に登ってみると見えていたのは外輪山で、見た目も天候も美しさも登ってみないと分からない。そんな話から付けられたもの。本書の内容もタイトル通りに、山に登ったからこそ分かる・経験できる・知ることができる数々のエピソードが満載。コラムの落とし物シリーズ以外は、ほぼノーテーマだけれどおもしろい。ちょっとしたコーヒーのお伴や、空き時間の心の潤い代わりに、気軽に読んでみてはいかがだろう。。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「山と雪の日記」 (板倉 勝宣、1930年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
日本のアルピニズム揺籃・発展期に活躍し、風雪の北アルプスで遭難死したひとりの若き山男。自然を愛し山に志し、ついにはその山に自らの短き生を埋めるにいたった、優しくも、またひたむきな青春の軌跡。 | ||||||
感 想 等
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( 評価 : B) 本作の執筆時期は1914〜23年(大正3〜12年)。その後、遺稿集としてまとめられ、昭和5年に「山と雪の日記」として梓書房から出版された。 1世紀以上前に書かれたものなのに、なぜこんなに新鮮で瑞々しいのだろう。文章を読んでいて、古臭いという意味で時代を感じさせるものがなく、かつ非常に読みやすい。前半はまだ若い頃の文章だからなのか、明るく飄々としていてちょっとやんちゃな感じがするが、後半は思索的・哲学的な香りがする。 大正という時代に、これだけ岩や雪に親しみ、登山や冒険について一過言持っていたということは、恐らく最も先鋭的な登山家の1人だったのだろう。雪崩対策としての、積雪期の地図という発想は、今の時代としても面白い。改めて、早逝されたのが惜しまれる。 ちなみに、昭和5年版の巻頭言は槇有恒が書き、1977年の中公文庫版には甥・板倉勝正による「叔父・板倉勝宣のこと」という一文を収録。また、解説をみなみらんぼう氏が書いている。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「黒部の山賊」 (伊藤 正一、1968年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
山賊がいた!カッパもいた!? 北アルプス登山黎明期m、驚天動地の昔話。山小屋だけで買えた、山岳名著が復活! (山と渓谷社定本版の帯より) |
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感 想 等
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( 評価 : A) 北アルプス・雲の平は周囲すべてを山に囲まれており、どの登山口から行っても2日はかかる。そんな日本最深部ともいえる黒部源流にある三俣小屋を、戦後間もない頃に購入した伊藤正一氏が、「山賊」と恐れられたならず者たちと交流を深めながら、山小屋を再興していく。というのは話の序章。本書では、人間離れした山賊たちの逸話や、熊・イワナ・カワウソなど動物の話、山で起こる不思議な出来事、遭難事件など、いろいろなエピソードが綴られている。まるでお伽話を読んでいるような気持ちでいると、突然黒部ダムやヘリコプターの話などが出てきて、タイムスリップしたような違和感を覚えてしまう。どこがどうとはうまく説明できないが、こんな時代があったんだな、こんな人たちがいたんだな・・・・・という不思議な思いにとらわれてしまう。読む者を惹きつけて止まない面白さが本書にはある。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「私の北壁」 (今井 通子、1968年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
1967年7月、マッターホルン北壁を、女性だけのパーティとしては世界で初めて、今井通子を隊長とする4人が登頂した。 とまどいと不安、恐怖にうち勝って、ついに頂上をきわめたとき、なぜか静寂と虚脱のなかにいた。 アイガー、グランドジョラスとあわせ、ヨーロッパ三大北壁を完登、三冠王となった女性トップ・クライマーの初の登頂記。 |
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感 想 等
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( 評価 : C) ヨーロッパ三大北壁全てを登攀した女流登山家今井通子さんが、山を始めさらに岩へとのめり込み、そして女性だけのパーティの隊長として、マッターホルン北壁を登攀するまでの半生を振り返る自伝的登攀記。 新田次郎の「銀嶺の人」のモデルであり、まさに小説で描かれている部分と一致するので、両方読むと一層おもしろい。出番は少ないが、「銀嶺の人」で実に魅力的な女性として登場する若山美子さんが登場しているのもうれしい限り。 内容はマッターホルン北壁を始め、さすがと言わざるを得ない内容なのだが、文章自体は妙に淡々としている感じ、いや淡々とし過ぎているくらい。だから、そのすごさが伝わってこないのかもしれない。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「続・私の北壁」 (今井 通子、1972年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
アイガー北壁。垂直を超えた世界。岩質がもろいこの“赤い岩壁”の直登に世界で初めて成功したパーティに紅一点で参加。絶えまない岩なだれのなか、落石直撃で負傷した背中の痛みに耐えながらの登攀行。 グランド・ジョラス北壁への挑戦。女性として、医者としての目が描く、細密な人間記録。隊員の健康に細やかな心配りをしながら、登頂完遂へと極限的努力を傾ける。 |
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感 想 等
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( 評価 : C) 前作「私の北壁」に続いて、アイガーそしてグランド・ジョラスの北壁登攀記を収めた1冊。 今井氏の文章と言うのは、登攀そのものの苦しさとか大変さよりも、仲間と過ごすことの楽しさ、ふれあい、そういったものの喜びに重点が置かれている感じがする。ただ、仲間との楽しさを伝えようとするあまり、やや内輪受け的な話や、馴れ合いの世界に入っているような感があり、逆に読み手に疎外感を感じさせる。その辺は人によって感じ方が違う部分かもしれない。 ラストの方で、夫となるダンプさんとのグランド・ジョラス北壁登頂後の結婚記念行事は微笑ましい限り。クライマー同士ならではの素敵なエピソードだ。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「マッターホルンの空中トイレ」 (今井 通子、1995年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
ヨーロッパアルプスの名峰マッターホルンの山小屋には、標高四〇〇〇メートルに浮かぶ「空中トイレ」が存在した・・・・・!? 女性登山家として活躍した筆者が、登山中や旅先で遭遇したいろいろなトイレ問題をユーモアたっぷりに紹介する異色エッセイ。 |
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感 想 等
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( 評価 : D) 登山家・今井通子が、世界各地を飛び歩いている中で、見つけた変わったトイレ、排泄にまつわるさまざまなエピソードをまとめた1冊。正確には山行記ではないわけですが、登山家の人が書いたエッセーということで、こちらに分類しました。 で、内容はというと、まぁ面白くないわけではないけれど、ブツ切り過ぎて今一という感じ。こういった話は、山行記の中のエピソードの1つとして紹介するからこそ面白いのであって、それだけ集められてもねぇ。山の話が中途半端過ぎて、物足りなさが残ります。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「穂高小屋物語」 (今田重太郎、1971年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
穂高に生きる、今田重太郎さんの記録 山男ならだれでも知っている穂高岳山荘主人の重太郎さんは、ことし74歳。いまなおかくしゃくとして山小屋を守りつづけている。これは今田老が、壮大な穂高を背景にその峻厳な美しさ、小屋にまつわる哀歓を存分に語る、山を愛する者の必読の書だ。 |
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感 想 等
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( 評価 : C) 槍沢小屋(大正7年)、常念小屋(大正8年)、燕小屋・大槍小屋(大正10年)、殺生小屋(大正11年)に次いで、大正13年に穂高小屋を建てた今田重太郎の自伝。小屋開設以来50年に及ぶ穂高小屋(現穂高岳山荘)の歴史は、すなわち穂高・上高地の歴史でもある。 穂高岳山荘をめぐる話だけでなく、大正池を生んだ焼岳の噴火や、「スポーツの宮様」と親しまれた秩父宮の逸話、時代とともに変化する登山事情などが生き生きと綴られている。 序文を井上靖が書いているほか、上条嘉門次の弟子・内野常次郎や登山家・大島亮吉など著名人も登場しており、今田氏の人脈の広さが伺える。今田氏の人柄を映しているのか、文章も素朴で読みやすい。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「きのうの山 きょうの山」 (上田 哲農、1980年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
山歴四十年、日本の山々をこよなく愛した画家が、若い日の登山を回想し、そして、きのうきょうの心豊かな山行を語る。 | ||||
感 想 等
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( 評価 : D) 画家にして、第二次RCCの同人でもあった登山界の大御所、上田哲農氏の心温まるエッセイ集。 海外遠征の話も一部盛り込まれている割に、妙に古臭い印象を受けるのは、やはりエッセイの大半が、実際に書かれた時期が古いからだろうか。逆に、その古臭さが、どこか懐かしさを感じさせる独特の味を醸し出している。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「青春を山に賭けて」 (植村 直己、1971年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
家では手伝いをなまけ、学校では手のつけられないひとりのイタズラ少年が、大学へ進んで、美しい山々と出会った。 大学時代、ドングリとあだ名されていた著者は、無一文で日本を出発し、ついに五大陸最高峰のすべてに登頂する。大自然の中の「何か」に挑まずにはいられなかった、その型破りの青春を語り尽くした感動編。 | ||||||||||
感 想 等
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( 評価 : A) 登山家、というよりも冒険家である植村直己氏が、裸一貫で日本を飛び出してから、様々な苦労を経て、世界五大陸最高峰を征服するまでを、回想した1冊。 1つ1つの山についてはさほど多くのページを割いているわけではない(その部分については、後に出される書物に譲るとして)。しかし、植村氏が何を考え、いかにして自分の夢を実現していったかが描かれており、山行記と言うよりも、青春の記と呼んだ方がまさにピッタリくる。 後年の本も良いが、植村氏が最も植村氏らしく、夢や希望・感動に満ち溢れているという点で、植村氏の著作を代表する作品と言えよう。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「冒険」 (植村 直己、1980年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
「ダメだ、このままでは、ソリごと氷づめになってしまうぞ」 反対側の犬は必死に逃げようとするが、ソリの先端が海に突っこみ始めた。ソリの後ろに立っていた私は、四つんばいになり、ソリから逃げた。落ちた犬四匹は沈みかけたソリをつたってはいあがったが、逆にソリはズブズブと音を立てて氷の下に姿を消してしまった。手に残ったのはムチ一本。 「ああ、ソリが、食糧がなくては、オレは死んでしまう。なにもなくては凍死しかない。冒険なんか、もうどうでもいい」。 |
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感 想 等
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( 評価 : B) 世界五大陸最高峰登頂、北極点単独行、グリーンランド縦断、アマゾン川イカダ下り等々、植村氏が行ってきた数々の冒険について記されている。但し、五大陸の部分は、かなりが「青春を…」からの転載・抜粋となっている。 植村氏らしい飾らない朴訥な感じ、文章のうまさはさすがであるが、全体の構成にやや戸惑ってしまう。読む順番にもよるが、「青春を…」を読んでからだと、一部重複していることもあり、感動がやや薄れるかも。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「エベレストを越えて」 (植村 直己、1982年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
「私にとって良い山とはひとつの極限を意味している」 山を愛し、山に消えた不世出の冒険家にとって、エベレストこそは至上の“良い山”であった。1970年、日本人として初登頂したのをはじめ、五回にわたるエベレスト行の総決算としてつづった本書は、登山家・植村の<山への遺書>となった。 |
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感 想 等
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( 評価 : B) 1970年、日本人として始めてエベレスト登頂をなし遂げた日本エベレスト登山隊を含め、国際エベレスト登山隊、日本冬期エベレスト登山隊と、3度に亘って(偵察も含めれば5度?)エベレストに関ってきた著者の、エベレストだけを取り上げた1冊。 一部「青春を山に賭けて」と重複している部分もあるが、本作の方が山行記的な雰囲気が色濃くなっている。植村氏らしい人間的な優しさに溢れた名文はさすが。エベレストという世界最高峰が持つ独特の魔力が実感される1冊でもある。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「丹沢物語」 (碓井 昭司、2004年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
生きる喜びに満ちた20の短篇 “丹沢”は関東三県にまたがる雄大な山の連なりです。山並みは深く入り組んで多くの沢を擁し、都会に近いにもかかわらず四季ごとに美しい表情を見せてくれます。 著者は釣り竿を一本持って、山奥深くへ入ってゆきます。山に身をおきそこから街を振り返ることで、人の営みのはかなさと愛おしさが浮かび上がります。 季刊『フライの雑誌』掲載の連作に書下ろし作品を編みました。瑞々しい筆致と爽やかな読後感をお楽しみ下さい。生きものが生きる喜びに満ちた一冊です。 |
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感 想 等
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( 評価 : C) タイトルを見て、当初、登山に関する本かと思って買ったら、釣り、特にフライでの渓流釣りに関するエッセイ集で、「フライの雑誌」に掲載されたものだった。でも、渓流釣りなので沢登りにも似た部分があるし、自然に対する思いや趣味にのめり込む様は登山と共通している。 著者は自分より上の世代の方だが、スピード早く移り変わる世の中にあって、どこか共通した匂いのする郷愁が感じられた。何より、軽妙で洒脱な文章は、読んでいて楽しい。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「山と死者たち 幻想と現実の間に」 (遠藤 甲太、1979年)
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感 想 等
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( 評価 : C) クライマーにして芸術家とも言える遠藤甲太氏の著作。一応随筆というのが一番近い気がする。少なくとも山行記ではないだろう。 遠藤甲太という人は、照れ屋なのかもしれない。真摯で真面目なくせにいい加減さを装ったり、わざと抽象的な表現で人を煙に巻こうとしたり・・・・・。一方、時として凄く本能的な面を見せる。生と死、肉体と精神、さらには性というものに対して、あくまで本質を求め、真正面から見つめようとする。常に生きることの境を歩いてきたクライマーならではの感受性なのだろう。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「青春のヒマラヤ」 (遠藤 由加、1989年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
やれば、誰でもできる!20歳のときローツェに失敗して発奮、日本の山々を駆けめぐり、人間改造をして3年目に無酸素で8000メートル峰に登る。その挫折と栄光のドキュメント。 | ||||||||
感 想 等
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( 評価 : C) 日本人女性初の8000m峰無酸素登頂者。ナンガパルバットの後のガッシャブルム、チョー・オユーなどその後の活躍は衆知の通り。たぶん街中にいたら、小柄でボーイッシュな目立たない女の子、そのくらいにしか思えないような普通の女性が成し遂げた快挙。 登山史上の意味合いはさておき、目標を達成するための根性と気力と負けん気、その凄まじさには感服する。例えば自分の場合、8000m峰などはとても登れないものとしてハナから諦めているが、それは登れないのではなく、登ろうとしていないに過ぎないということがよくわかる。人間何ごとも、やる気さえあればできるものなのかもしれない。 また、8000m峰に向けて努力していく過程でいろんな人とぶつかっている遠藤氏が、登山を通して成長していく様子も興味深い。余談ではあるが、元旦那である遠藤晴行氏に対する呼称が、「遠藤さん」から「遠藤」、「晴行」へと変わってゆく様が、意図しているのかもしれないが面白い。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「山 -随想-」 (大島 亮吉、1930年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
山に憧れ、山に青春の情熱を注ぎ、昭和三年の春三月、前穂高北尾根で遭難死をとげた若き先駆者の遺稿集。 | ||||||||||||
感 想 等
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( 評価 : C) 若くして穂高で死した登山家大島亮吉の随想集。冒険・探検に近いような北海道登山から、有名な「荒船と神津牧場付近」や峠論に見る「さまよい歩き」、はたまた北穂登山がごときハードな山行までさまざま。 日本に近代登山というものが輸入され、浸透して行った時代の中で、登山に何を求めるのか。あくまで戦闘的に山に挑むのか、自らの内面的な幸福を求めるのかというジレンマにおいて、大島自身が試行錯誤、あるいは揺れ動いていたのではないかという気がする。やや理屈っぽ過ぎる感もあるが、登山思想史的にはおもしろい。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「南極大陸単独横断行」 (大場 満郎、2001年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
北極と南極、地球の両端に立って、かけがえのない“青い星”についてもっと考えたい―この想いから両極横断行はスタートした。北極横断中に凍傷で足の指すべてを失い、挫折も味わっても、けっして諦めることはなかった。世界で初めて両極を歩いて横断することに成功した冒険家の「南極行」ノンフィクション。 | ||||||||||||
感 想 等
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( 評価 : B) 北極そして南極大陸を、1人で歩いて横断した冒険家・大場満郎氏の、南極大陸横断時の記録である。 悪天候、強風、サスツルギ、クレバス等々過酷な自然との闘いの記録そのものも確かに凄いのだが、それ以上に大場さんの生きることへの姿勢が素晴らしい。まえがきや本文の随所に出てくる生き方へのこだわり、自分らしくあることへの固執は自分も学ぶべきであろう。 話は逸れるが、本書の所々に携帯電話が登場する。考えてみれば当たり前の話なのだが、過去のいろいろな冒険家の時代と比べて隔世の感がある。これによって大場さんの冒険の価値が下がるわけではないし、今の時代には必要なものだとは思う。が、やや寂しい気がする、などと言う発言は、自分で冒険をしていない人間の勝手な言い草なのだろう。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「本のある山旅」 (大森 久雄、1996年)
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紹 介 文@
(帯、裏表紙等) |
山と本と人に注ぐ愛情と、 あふれ出る登山の悦び 登山と本のふたつの世界を自在に往来しつつ、その限りない楽しみを綴る29編の紀行と随想 |
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紹 介 文A
(帯、裏表紙等) |
山を歩く時の、それも特にひとりで歩く時の道づれは・・・・・。私にとってそれは本である。まことに、本は最高最良の山仲間のひとりである。遠い国の山も、季節の違う山も、本の中でなら、いつでもたのしむことができる。 | ||||||
感 想 等
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( 評価 : C) 山を歩きながら、その山にまつわる山書の一文などを紹介する、ひと味違った山行記。著者が60歳前後に出かけた山行が多いせいか、静かな山歩きがい多い。「山と高原」の編集など長年雑誌編集を手がけた著者だけあって山書に関する知識は豊富で、山書好きにはうれしい1冊。 難を言えば、著者の年齢の関係か、古い本が多い点が気になる。「日本百名山」で組んだ深田久弥氏がよく出てくるのは仕方ないとしても、尾崎喜八、武田久吉、桑原武夫、大島亮吉など1930年代頃の本が多い。この時代が好きな人も多いだろうが、個人的にはもっと新しい山書の方が好みだ。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「北極男」 (荻田 泰永、2013年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
日本唯一の北極冒険家、荻田泰永のデビュー作。年々悪化する海氷状態、まったく前に進めない乱氷帯、極限の飢え、そしてホッキョクグマの恐怖。なぜそこまでして過酷な北極へ通いつめるのか?生きるとは何か、を探すうちにさまざまな出会いを通じて極地にたどりついた男は、やがて「考える脚」へと変貌を遂げる。その冒険の過程を描いた珠玉の青春記。 | ||||||||||||||||||
感 想 等
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( 評価 : A) 北極男・荻田泰永氏が、2000年から2012年にかけて出かけた北極への12回の冒険について振り返る1冊(以降については「考える葦」参照)。もしかしたら、荻田氏は周囲によくいる普通の人なのかもしれない。でも、経験した者、体験した者、実感した者だけが語れる言葉の重みがある。 できるかできないかの前に、やりたいかやりたくないかだ、という言葉が象徴的だ。誰にだって「やりたい」ことはあるが、普通の人は、お金や時間、将来や世間体、色々なことを考えて躊躇する。同時に考えてしまう。でも荻田氏は、まず「やりたい」「行きたい」が先にある。そして、できるかできないかではなく、どうすればできるかを考えて行動する。そこが大きな分かれ目だ。 自分が荻田氏の親だったとして、その行動や生き方を容認できるか。そう考えると、親御さんを含めて凄いと言わざるを得ない。冒険に社会的な意味はないかもしれない。でも、仮にそうだとしても、北極に行ったり、山に登ったり、壁を攀じったりする人がいるから面白い。何かが見つかる、何かが生まれる。 冒険とは、生きるとは、自由とは・・・。含蓄ある言葉に溢れている。冒険好き、山好きに限らず、誰が読んでも響く言葉が見つかることだろう。是非、読んでみて欲しい。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「ザイルを結ぶとき」 (奥山 章、1973年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
戦時派登山家として日本の山岳界に一時代を画し、みずから逝った奥山章の情熱的生き方を伝える遺稿集。 | ||||||||||||
感 想 等
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( 評価 : C) 第2次RCCの提唱者、ラッパ吹き・奥山章。本書は、奥山の死後に彼の死を悼んで編まれた追悼集であり、生前雑誌等に寄稿した文章が中心となっている。従って、若い頃の山行について記したものがあまりない。その意味では残念だが、巻頭の「ザイルを結ぶとき」はいい。ロマンチストの奥山章らしいというべきか。奥様による追悼文もまた、哀感のあるものとなっている。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「果てしなき山行」 (尾崎 隆、1983年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
登頂の感激と友情の喜びを求めてさらに困難登山へ。しかし挫折と悲しみが待っていた― 八〇〇〇メートル峰を五座登頂し、今もっとも注目されている若き登山者のさわやかな記録。 | ||||||||||
感 想 等
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( 評価 : C) エベレストを始め8000m峰を何座も登頂、90年代半ばにはカカボラジ初登頂など、長く登山家として活躍した尾崎隆氏の若かりし頃の山行記録。 これだけの記録を残しながら、文章からは謙虚な姿勢・人柄が滲み出ている。登山界の最先端で活躍し続けてきた人の大半が、道半ばにして山での死を余儀なくされている中、尾崎氏がこうして活躍を続けてこられたのも、この謙虚さゆえなのであろう。山に限った話ではない。常に自らを省みて、反省し、学ぶ姿勢・感謝する気持を忘れない。そんな人間的な魅力にも接して欲しい。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「山の辞典」 (織田紗織・川野恭子、2024年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
地形が美しい山(地)、山小屋が魅力的な山(荘)、花が微笑む山(花)、海が見える山(海)、紅葉が見事な山(紅)など。本書では「これを楽しむならここ!」という、おすすめの山を10の章に渡って、写真と文章で紹介しています。ページの途中には、 山にまつわるコラムやメッセージ、山の色々な表情を連想させる 龍山千里のコラージュも。すでに登山を楽しんでいる人も、まだ登ったことがない人も、山の風景にドキドキして、そこにいる自分を想像できる1冊です。 | ||||||||
感 想 等
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( 評価 : C) どのジャンルに入れるか悩ましい。「辞典」という名を冠しているが、写真集のようでもあり、エッセイのようでもある。各項目に筆者の思い入れ、経験が込められているので、一応ノンフィクションに分類した。 リトルレーベルyamadoriの2人が、これまで出掛けた好きな山を写真と文章により紹介。合間合間にコラムや1行メッセージが挟みこまれ、眺めるように気軽に読める1冊。地、荘、苔、水、光、花・・・など漢字一文字でジャンルを分けでいるが、特に意識することなくどこからでも読める。山の紹介文は、山名の由来や地形の特徴などに触れており、どちらかというと初心者向け。 難を言えば、百名山が多過ぎる気がするが、百名山は基本的に良い山ばかりなので仕方のないところ。また、もう少し写真が鮮明なら良かったのだが、これもコストとの兼ね合いなのだろう。やむなし。 |
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名 言 等
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作 品 名
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「栂海新道を拓く」 (小野 健、2010年)
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紹 介 文
(帯、裏表紙等) |
雲上の北アルプスから日本海へ。 全長27キロに及ぶ長大な縦走路を10年の歳月をかけて開拓したのは、小さな地元の山岳会だった……。 幻の著書『山族野郎の青春(昭和46年刊)』を全面的に改稿し、さらにその後、現在に至るまでの栂海新道の変遷を辿った待望の一冊。 |
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感 想 等
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( 評価 : C) 日本の屋台骨・北アルプスを、上高地から槍穂高連峰、後立山を通って日本海まで縦走してみたいと夢想したことのある登山者は少なくないことだろう。縦走するだけでも大変なルート、その朝日岳から北の30km弱の登山道を、民間の一山岳会が切り拓いたと知ってまず驚いた。普通、登山道と言えば猟師などの杣道や獣道を活用し、山小屋の方が登山者や小屋のために整備しているものだと思っていた。もちろん、それも並々ならぬ苦労を伴うものだが、それを本業の仕事を持ちながら、趣味の延長、ボランティアで実行してしまうのだから、その情熱と熱意、根気は凄まじい。元々、電気化学工業化という会社の化学工場で、石灰石採掘地区拡大のための伐採や測量を仕事でやっており特殊スキルを持っていたという点を割り引いても、自らパイオニアワークと呼ぶのも頷ける素晴らしさだ。著者の仕事の関係や、あるいは嗜好の問題なのか、地質・地層や高山植物に関わる記述が特に詳しい。 |
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名 言 等
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