山岳ノンフィクション(評論・ルポ)
〜詳細データ・は行〜
 
 
 
 
作  品  名
「写真で読む 山の名著」
 (萩原 浩司、2019年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
2010年に創刊されたヤマケイ文庫は、今日に至るまで130を超えるタイトルを刊行してきました。そのなかから「山の名著」と呼ぶにふさわしい50冊を、創刊当時からの編集長・萩原浩司が独断で選考。豊富な写真を使って紹介します。写真を見て読んだ気に浸れる、とっておきの推薦図書をお楽しみください。
内容・感想等
 ヤマケイ文庫の編集長であり、雑誌「山と渓谷」の元編集長、NHKテレビの百名山番組の塾長としても有名な萩原浩司氏が、ヤマケイ文庫に収録されている山書の中から、「これだけは知っておいてほしい」17冊を紹介する本。山書が紡ぐ名文・美文の味わいを、関連する写真により上手く伝えているのはもちろん、著者の解説が実に分かりやすくて的を射ている。
 大半の書籍は自分も読んでいるが、各書籍の中からチョイスされた文章が絶妙と感じるのは、個人的なフィーリングが合っているせいかも知れない。本書発売時点でヤマケイ文庫は130冊以上出版されているとのことで、上記17冊の他に、残り110数冊から選出した33冊についても、各冊1頁ごとの簡単な解説付きで紹介している。
 あとがきで著者が「本書はあくまでもヤマケイ文庫に収録された書籍の紹介本で、必ずしも山の本全体のベストセレクションというわけではありません。」と書いているのはその通りかも知れないが、山好きなら読んでおくべき名作が揃っているのも確か。少なくとも17冊は、全部読んでおきたい。

 
 
 
作  品  名
「空飛ぶ山岳救助隊」
 〜ヘリ・レスキューに命を懸ける男、篠原秋彦〜
 (羽根田 治、1998年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
“山に登れる営業マン募集”この小さな新聞広告からすべては始まった。大好きな山で仕事ができる、ただそれだけの理由でヘリ会社に入った篠原秋彦は、山小屋への物資輸送のかたわら、試行錯誤を繰り返しつつ、空からの遭難救助法を確立していく。(「BOOK」データベース」より)
内容・感想等
 タイトルが一連の山岳救助隊ものを想起させるので、救助隊ものはもういいかと思って読んでいなかったが失敗だった。山岳救助隊とはいえ、ヘリレスキューの話であり、警察ではなく民間救助の話。そもそも救助隊の話というより、篠原秋彦という一人の男の生きざまの物語なので、「山岳救助隊」という名称で誤認してしまったが、たしかに「山岳救助」の話でもある。
 今の山岳救助に欠かすことのできないヘリレスキューの第一人者であり、その方法を手探りで作り上げて行った男の物語。これを読まずして山岳救助は語れない。是非、知っておきたい。
 その篠原ですら、この本の出版後の2002年に、ヘリレスキューの最中に事故で亡くなってしまう。その直後に作られた映画も感動的。そういう世界に生きてきた男に敬意を表したい。ちなみに、マンガ『岳』に出てくる牧さんのモデルは、篠原秋彦氏である。

 
 
 
作  品  名
「生還 山岳遭難からの救出」
 (羽根田 治、2000年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山で遭難し、生死の境をさまよった後に生還した登山者に密着取材。厳冬の北アルプスから近郊の低山まで、ある者は重傷を負い、ある者は十七日間の長期に及んで、山に閉じこめられながら、彼らはいかにして生き延びたのか。悪天候や寒さの中、食糧も絶えた極限状態からの生還の理由を、遭難者の肉声から探る。初版時の七つのケースに、近年の丹沢での遭難事例を加えて再編集した文庫版。
内容・感想等
 不注意、準備不足、焦り、油断・・・・・ほんのちょっとしたことが原因で人は遭難してしまう。確かに事例によっては、本人のミスが原因の一部というケースもあるが、同じミスを犯しているであろうその他大勢の人々は、何事もなく普通に山行を終えている。本書で取り上げている遭難事例を読んでいると、同じことが誰の身に起きてもおかしくないということがよくわかる。
 特に、事例の大半が単独行であり、大抵の場合一人で山に行く自分としては、全く他人事ではない。山を始めた頃の慎重さや用意周到さに比べて、慣れっ子になっていないだろうか、と自らを省みた。食糧・地図・ストーブ・ツェルトなど万全の装備で臨むこと、山行計画を必ず出すこと、慎重に慎重を重ねて行動すること・・・などなど。何回・何年山に行こうとも、どんなやさしい山でも、山をなめてはいけない。時々本書を読んで、気持ちを新たにすることが大切だろう。

 
 
 
作  品  名
「ユージ★ザ・クライマー」
 (羽根田 治、2004年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
世界最強のクライマー、平山ユージのライフストーリー
内容・感想等
 日本が世界に誇るクライマー、フリークライミングの世界チャンピオン・平山ユージの半生記。
 10代半ばにしてのこの目的意識の高さ、長きにわたって世界のトップクライマーであり続けるモチベーションの高さ、ストイックなまでに自らを律していく自制心の強さ。どれをとっても、一流の人間は違うと感心せざるを得ない。言ってしまってはなんだが、自分には無理だ。1人のスゴイ男が出来上がっていくには、天賦の才能と、神のみぞ知る運命的な人との出会い、そしてその人自身の努力・堅固な意思、それら全てが必要なのだろう。
 内容とは関係ないが、本の装丁が洋書っぽくて格好いいと思ってしまう私は、海外コンプレックスを隠しきれない古い世代の人間なのだろうか?

 
 
 
作  品  名
「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」
 (羽根田治・飯田肇・金田正樹・山本正嘉、2010年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
2009年7月16日、大雪山系・トムラウシ山で18人のツアー登山者のうち8人が死亡するという夏山登山史上最悪の遭難事故が起きた。暴風雨に打たれ、力尽きて次々と倒れていく登山者、統制がとれず必死の下山を試みる登山者で、現場は修羅の様相を呈していた。1年の時を経て、同行ガイドに1人が初めて事故について証言。夏山でも発症する低体温症の恐怖が明らかにされ、世間を騒然とさせたトムラウシ山遭難の真相に迫る。
内容・感想等
 トムラウシ山大量遭難死事件について、山岳系ノンフィクションでは定評のある羽根田氏による総論・ツアー登山考に加え、医学・気象・運動生理学などさまざまな角度から遭難の要因を分析していく。何より衝撃的だったのは、こんなにも簡単に低体温症になってしまうという事実だった。この本を読むまでは、無責任なツアー会社・未熟なガイド・他人任せの参加者による不幸な事故程度に思っていたが、状況によっては誰にでも起こりうる身近なリスクだということがよくわかった。登山者なら、最低限、低体温症の知識は持っておくべきだろう。
 また、本書の目的からは外れるのだろうが、普段単独行の自分にとっては、集団登山の恐ろしさも感じさせられた。他人に合わせることで体力を消耗し、他人を助けるために自らも危地に陥ってしまう。1人だったら助かったかもしれないのに。仮に助かったとしても、結果的に他人を見捨てたというトラウマに苦しむことになる。集団登山ならではの難しさだろう。




作  品  名
「『槍・穂高』名峰誕生のミステリー」
 (原山 智・山本 明、2014年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
北アルプスにはいくつかの地質ミステリーがある。たとえば梓川には失われた清流伝説があり、高熱の火砕流で四方を焼き尽くした槍・穂高も火山噴火の謎に包まれていた。そうした北アルプスの造山構造に、「地質探偵」原山教授が踏み込み、従来の学説をくつがえすような最新の成果が解き明かされる。探偵ものにはつきもののワトソン役は、長年の友人であるライターの山本明が担当し、地質探偵ハラヤマとともに謎の解明に当たる。
内容・感想等
 高校時代からの親友で山仲間の、地質学者・原山智氏とライター・編集者である山本明氏。原山氏がホームズ役の地質探偵、山本氏がワトソン役の探偵団員となり、北アルプスの山々が生成された数億年から100数十万年前までの物語を、分かりやすく解き明かしてくれる。
 ちょっとしたドラマ仕立ての展開と山本氏の軽妙なタッチの文章で、小難しくなりがちな地質に関する専門的な内容を面白く読むことができる。何よりも、槍・穂高を始めとする数々の北アの山々に関する壮大な物語にため息をついてしまう。やっぱり自然って凄い。
 欲を言えば、写真がカラーで、地図がもう少し大きければなぁ・・・と思う。なぜなら、〇〇花崗岩とかいう名前が次々と出てくるうちに混乱してしまうのだ。
 ちなみに、本書は元々2003年に発売された「超火山『槍・穂高』」を底本にしているが、その後の研究成果や出来事を踏まえて書き直されているので、2014年発売とした。
 
 
 
  
作  品  名
「北岳山小屋物語」
 (樋口 明雄、2020年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
山岳小説の名手が描く山小屋ノンフィクションの新境地!
人気山岳小説「南アルプス山岳救助隊K-9」シリーズの主な舞台となる北岳。そこにある5軒の山小屋で繰り広げられる現実を鮮やかな筆致で綴る。
内容・感想等
 南アルプス山岳救助隊K-9シリーズを始め、北岳を舞台にした山岳小説を多く書いている作家・樋口明雄さんによる山小屋取材記。北岳にある5つの山小屋について、その成り立ちや小屋主・小屋番の人となり、こだわり、思いなどを綴るノンフィクション。テーマは「会いたい人がいる山小屋」「会いたい人がいる山」で、山小屋運営の苦労、登山事情、最近の若者、遭難救助など、山小屋を舞台にした人にまつわる様々な話を知ることができる。
 最近で言えば、故・宮田八郎や吉玉サキ、やまとけいこなど、小屋番や長期間山小屋でアルバイトしていた人の半生記やエッセイがいろいろ出ているので、山小屋の裏話的な内容に目新しさないが、山小屋ノンフィクションものと言えば北アルプスが中心で、両俣小屋や長衛小屋など一部を除くと南アルプスものは少ない。その意味ではレアだろう。
 樋口明雄さんらしい暖かな目線と人へのこだわりが感じられる点が良い。一方で、作家ならではの目線って何だろうと考えるとちょっと思い付かない。
 
 
 
 
作  品  名
「山を買う」
 (福崎 剛、2021年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
一山、たったの数十万円!?
ウィズコロナの時代
にわかにブームとなっている
「山林購入」のすべて
内容・感想等
 今、流行りの山を買うをテーマにした本。特に、山を買いたいと考えていたわけではないが、何となく興味があり、知っておいた方が良いかと思い購入。
 本書は、タイトルの「山を買う」ためのノウハウに特化した本ではなく、@コロナ禍での昨今の山・田舎事情、A山を買う楽しみに関する目的別事例集、B山林売買から管理までのノウハウ、CSDGsなど最近の環境問題、などについて解説しており、幅広く山や山林に関する知識・現状を知ることができる。
 山を買う目的としては、@プライベート・キャンプ場、Aキャンプ場経営、B投資・資産作り、C環境保全・里山作り、など色々あるようで、正直@以外考えたこともなかった自分としては、「なるほど、そういう考え方もあるのか」と感心する部分も多々あったが、どの目的であれ、管理の手間などを考えると、「山を買う」という選択肢はやはりないかなとの印象。実際に購入を考えている人にとって役に立つ本であろうし、知識として知っておいて悪くないように思う。
 
 
 
 
作  品  名
「山の名著30選」
 〜モダン・アルピニズムをリードした知性たち〜
 (福島 功夫、1998年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
「登るだけが登山ではない」
ことを教えてくれる名著の数々
内容・感想等
 内外の山の名著おすすめ30冊について、詳細な解説・コメント付きで紹介しているほか、読んでおきたい山の本50冊についても簡単に紹介している。
 選出された本のタイトルを見ると、恐らくいろんな意味でバランスの取れたものとなっているのではなかろうか。登山史という観点も加味しているため古典とも言える相当古い本も含まれているものの、山書入門にはうってつけだ。
 しかし、著者特有のこだわりがあり、それぞれの著作あるいは登山家の考え方が、登山思想史の中でどのように位置付けられるのか、どのような意味を持つのかということについてよく触れている。そういう考え方があるのは理解できるが、妙に理屈っぽくて個人的にはどうでもいいようにしか思えなかった。

 
 
 
作  品  名
「新・山の本 おすすめ50選」
 (福島 功夫、2004年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
登山家は読書家である!
山の専門誌「岳人」の書評子が誘う「冒険」の知的世界

「ここでとりあげた五十冊については、よほど趣味が合わないということがなければ、つまらないことはないはずだ、というくらいの自信はある。まあ、ぼくの評を読んで、面白そうだと思ったら、ぜひ買ってよんでみてほしい。」(本書「あとがき」より)
内容・感想等
 筆者の「山の名著30選」に続く、おすすめ紹介本である。
 この手の本はどうしても名著、悪く言えば古典にこだわってしまいがちであるが、今回は第二弾ということもあり、1994〜2000年の作品に絞ったものとなっている。長い間読み継がれている名作には、もちろんそこにしかない味があるのだが、古臭さは否めない。それに比べて本書は、同じ時代を生きている人間としての共感を覚え、今までの紹介本には入ってなかったいろんな本が並んでいるという意味での楽しさ、嬉しさがある。どうせなら、復刻や再販系のものも外してしまえばよかったのに・・・。
 それは別にしても、私的には、読んでみたい作品がいくつか見つかり、さらに楽しみが増えてしまった(^^)

 
 
 
作  品  名
「山の文学紀行」
 (福田 宏年、1960年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
名作の中に描かれた美しい日本の山の心象風景
内容・感想等
 タイトルから想像できる通り、本書は山について描かれた小説について論じている書である。とくれば、山岳小説ファンの自分としてはもうたまらない!と言いたいところであるが、2つの点で難がある。
 1つは本書の書かれたのが1960年で、ようやく新田次郎が登場し、また井上靖の「氷壁」が書かれたばかりだという点、あまりに古すぎる。
 もう1つは必ずしも登山の対象としての山だけに絞っておらず、心象風景として描かれている山も含まれており、その分山岳小説好きからすると物足りないというか、もどかしいのだ。従って、いわゆる山岳小説好きには、必ずしも本書はお勧めできない。

 
 
 
作  品  名
「ああ、南壁」 〜第二次RCCエベレスト登攀記〜
 (藤木 高嶺、1974年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
1958年の再結成以来、数多くの登山記録をたてたロック・クライミング・クラブ(第二次RCC)を母体に、1973年6月、「日本エベレスト南壁登山隊」が組織された。南壁からの初登頂を目指して、一線級の“垂直男”が選抜された48名の大部隊である。一億円投じた大規模な登山活動、石黒久・加藤保男隊員のポスト・モンスーン(秋)初登頂と頂上直下のビバークからの奇跡的生還、森田勝・重廣恒夫隊員による執念の南壁登攀など、報道隊員として快挙を見届けた著者が描く、エベレスト挑戦の感動の記録。
内容・感想等
 1973年の日本エベレスト南壁登山隊に朝日新聞の随行記者として参加、RCC(第1次)の創立メンバー藤木九三氏の息子で、自らも第2次RCCの同人でもある筆者による遠征の記録である。
 取材等によって書かれるいわゆる山岳ノンフィクションと違って、実際に遠征に参加している分、ベースキャンプでの出来事や隊員の裏話などおもしろい情報が詰まっている。一方で、実際の登頂隊員ではないので、迫力という点ではクライマー自身の書にはかなわない。とはいえ、石黒・加藤両登頂隊員が標高8,650mという死のビバークから奇跡した際のベースキャンプとの交信など、冷静な第三者によって残された記録とも言えよう。
 余談ではあるが、文中に、極地法ゆえの物量や遠征費用をことさら強調するような描写、あるいは自らのことを棚に上げてイタリア隊のゴミを批判するような記述などがあるが、これらが今の評価と異なるのは時代背景のせいであろうか。

 
 
 
作  品  名
「冒険と日本人」
 (本多 勝一、1958年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
本多氏は冒険、あるいは冒険家と対峙させて日本という社会を置き、冒険家の行動そのものというよりは日本という社会の冒険家にたいする反応をつぶさに検証している。その意味で、本書は冒険に関する本の中では異色のものだといっていい。
内容・感想等
 堀江謙一、植村直己、斎藤実…本多氏の評価する冒険家を中心に、真の冒険とは何かについてのエッセイ、冒険家との対談などをまとめた1冊。
 本多氏による冒険の定義は、@命の危険があること、A主体性があること、B加えて人類にとって歴史的・記録的で社会的な意味が大きい方が良い、といったところか。人間には冒険的人間と非冒険的人間がいるという。自分は明らかに非冒険的人間だとわかるが、それがやや淋しい。
 それはそれとして、本書には冒険の定義や堀江謙一氏らの話などについて、しつこいくらい繰り返し出てくる。あちこちに寄稿したものの寄せ集めなのでしょうがないとは思うし、主張が首尾一貫していると言えばその通りだが、あまりのしつこさは鼻につく。

 
 
 
作  品  名
「新版 山を考える」
 (本多 勝一、1993年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
いまの登山界は、非常に危険な時代にある。実に拙劣な遭難がふえている。本多さんは、ときには非常とも思えるほど、鋭い切りこみで、遭難を分析している。これをよく読めば、甘い気持ちで山へ出かけるようなことはできなくなってしまうだろう。
内容・感想等
 パイオニアワークについて、山での遭難について、遭難報道についてなど、本多氏らしいスルドイ切り込み、批判・批評が書かれている。しかし、・・・である。
 本書のなかでしばしば「パイオニアワークとしての山は死んだ」的発言が見られる。いくらバリエーションといったところで、それはエベレスト登頂によって喪われた真のパイニアワークの代替に過ぎないと。著者の言うことは理解できるが、一方で反発もある。著者も反論を理解したうえで言っている。また、一般的な登山愛好者に対してまでこの議論を持ち込んでいるわけではない。にもかかわらずやり切れない思いが残るのは、著者自らが「極端なことをいうなら、最高峰としてのエベレストが登られたとき、もう私には山の意義は消えた」と言っているように、著者の山に対する又は自分自身に対するニヒリスティックなあるいはサディスティックな自慰行為を見せつけられているせいではないかという気がする。
 しかし、救いはある。後半の「50歳から再開した山歩き」では著者の山に対する考えが大きく変化している。「新版」で最近のエッセイが加わったお陰だが、これがなかったら、私は本書を嫌いなまま終わったかもしれない。

 
 
 
作  品  名
「リーダーは何をしていたか」
 (本多 勝一、1997年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
本書を読まれた方は、リーダーや引率教師がいかに山を知らないかを示す事実が次々と出てくるのに驚かれると思います。大変、重く、つらいテーマの本書ですが、これから山に向かう人たちにも、わが身を守るための警鐘の書として大いに役立つと信じています。
内容・感想等
 顧問に引率された高校山岳部パーティの遭難、一般公募された春山登山での遭難など、周りからベテランと見られている人、あるいは自称ベテランによる初心者引率登山における遭難の実態を描いたドキュメント。
 本多氏のするどく的確な分析が、遭難の原因を作った自称ベテランたち、本書で言うところの“バスの無免許運転手たち”の罪を容赦なく暴いていく。また、その過程において明らかにされる日本の裁判における問題点には、やるせなさを感じざるを得ない。
 本書は本多氏にとっては後年の著書ということもあり、「パイオニアワーク」や「冒険」にこだわっていた旧著よりも個人的には好感を持って読める。

 
 
 
作  品  名
「K2に憑かれた男たち」
 (本田 靖春、1979年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
K2。エベレストに次ぐ世界第二の高峰。ひたすら山好きの一匹狼たち、よせあつめの雑兵集団が、日本登山界の正統派を尻目に、反目とエゴをむきだしにしながら、1977年みごとK2登頂に成功した。戦後日本の高度成長期の経済力をバックにした、人間的なあまりにも人間的なその悲喜劇を描いた痛快ノンフィクション。
内容・感想等
 1977年、日本山岳協会K2隊登頂。そのためだけに全てを捨て、全てを賭けた男たちを描く山岳ノンフィクション。K2登山隊員自身によって描かれた登頂記はいくつかあるが、それを客観的な立場から記したものは他にないのではなかろうか。その意味で貴重な記録であるが、個人的に気になる所が3点ある。
 1つは人間関係に焦点を当てているため、登山そのものの記述が少ないことである。とはいえ、本書の目的がもともと人間模様を描くことにあったこと、著者自身が山をやらないことを考えれば批判としては適切ではない。
 第2点は登場人物が多すぎて、誰が誰やら分かり難い点。少しでも多くの人物に触れたかったのであろうが、絞っても良かったのではなかろうか。
 第3点は、これまた本書の目的に外れるかもしれないが、著者自身の思い入れが今一つ感じられないことだ。例えば、新貝隊長について、好意的見方も批判的な言葉も両方記述する。客観性から言えばそれで良いのだろうが、「ヒマラヤ登山と日本人」で「好もしい人物」と言うのであれば、批判的な発言に対して新貝隊長を擁護してもいいのではないか。これまた的外れな批判ではあるが、著者が後ろに隠れ過ぎているのが残念だ。

 
 
 
作  品  名
「評伝 今西錦司」
 (本田 靖春、1992年)
紹  介  文
(帯、裏表紙等)
学問と探検の世界に独自の足跡を残した今西、彼のグループからは、梅棹忠夫、中尾佐助、川喜田二郎、藤田和夫、伊谷純一郎氏等の錚々たる人材が育った。自然と人間が共生する世界観をもとに、卓抜した指導力と行動力を発揮した巨人の業績をたどりながら、自由奔放に生きた生涯を描いた力作ノンフィクション!
内容・感想等
 登山家(というより探検家というべきか・・・)にして生物学者・自然学者で、稀代リーダー・今西錦司氏の伝記。
 正直、今西錦司氏についてほとんど知らないに等しかったので、なぜこの本を読もうと思ったのか自分でも思い出せない。読み終わってみて、今西錦司氏の人物像がわかったかというと、やっぱりよくわからない。単なる金持ちのお坊ちゃんが、我が儘に、勝手気ままに生きたようでありながら、そのリーダーシップや人を惹き付ける人間性には不思議な魅力があったらしいことはわかった。ただ、本当に魅力的な人物だったのか、単にその奔放さが他人にとって無いものねだりだったのか・・・。
 400頁弱にも及ぶ評伝を読んだにも係らず、自分の中の今西錦司像が曖昧模糊としているのは、それだけ今西錦司という人物が破天荒で枠を超えた人間だったということなのかもしれない。あるいは、筆者の描写力か自分の想像力が欠けていたか、いずれかであろう。