#051 ファイルのようには片付かぬ

1999/03/04

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 WindowsだろうとMacOSだろうと、はたまたUNIXだろうとMS-DOSだろうと、コンピュータで扱われるデータは大概「ファイル」という概念によって管理されている。ファイルというと現実世界では書類などを挟んで保存するためのケース類を思い浮かべるが、コンピュータにおけるファイルも概念的には似たようなもので、扱うのに便利なひとまとまりのデータをファイルという形で扱っているわけである。ファイルと呼ばれるものには、人間が読んで分かる文字(テキスト)で記述された文書ファイルなどのほか、データベースファイル、画像ファイル、音声情報ファイル、はたまたそれらをコンピュータ上で扱うためのプログラムファイルなどがある。

 コンピュータを使っていると実に様々なファイルを沢山扱うことになるので、通常はフォルダやディレクトリなどと呼ばれる、ファイルをまとめていれておくための、これまた仮想的な「箱」を用意して整理することになる。大抵のOSでは「箱」の中に更に「箱」を作り、階層的にファイルを整理することが可能になっている。「箱」の下に「箱」がぶら下がっている、などと表現することもあり、おおもとになる「箱」(ルートディレクトリなどと呼ばれる)からいくつもの箱がぶら下がっている様子を逆さまに見立てて「ディレクトリツリー」などと言うこともある。

 いずれにせよ、ファイルというものはひとまとまりのデータという概念的な単位であるから、ファイルそのものは実体を伴わない、すなわち形も重さもないものである。もちろん、ファイルを保存するためのフロッピーディスクやハードディスクやテープなどといった媒体(メディア)には当然実体があるものだが、メディアの中にファイルが保存されていようといまいと、外見上は変わりないし大きさも重さも変化しない。

 大きさも重さもないものであるから、ファイルはある場所から別の場所へ動かしたり、別の場所に複製を作ったり、消し去ったりすることが大変楽に行える。更にネットワークを使えば、物理的に離れた場所にあるコンピュータへ転送したりすることも可能である。

 整理することが好きな人の中には、常にファイル類を整理整頓し、どのディレクトリにどのファイルを入れておくかなどということにやたら気を配る人もいる。そういう人の作るディレクトリツリーは非常に体系的かつ美しくまとまっており、さながら盆栽趣味のような趣もある。かくいう私もその一人で、ビジュアルシェルを使ってファイルをあちらへ移したりこちらへ移したりして、常にファイルの整理に頭を痛めつつ、実際それを楽しんでいるふしがある。

 だからと言って、では自分の住む現実の部屋や机の上の物が同じように綺麗に整理整頓されているのかと言うと、そうでもなかったりする。現実世界の物の場合は、すべて形も大きさも重さもあるものなので、コンピュータのファイルの場合と違ってあちこち移動して整理するのがつい後回しになってしまいがちなのである、などと言い訳している。誰に言い訳してるんだか。

 もっともよく考えてみると、私の場合、ファイルをそのようにこまめに整理しているのは、ビジュアルシェルを使い倒しているMS-DOSの常用システムのみで、それに比べるとWindowsやUNIXワークステーションの中身は結構散らかし放題だったりする。前にも述べたが、WindowsやUNIXマシンは、複数あるものがネットワークで繋がっているため、状況に応じて適当な場所を選んで作業をする結果、ファイルが散乱してしまっているということもある。それにWindowsなどの場合は、ファイルによっては別の場所に移すとシステムが不安定になるといったこともあって、簡単には整理できなかったりする。

 更にコンピュータのファイルの場合は、情報量を損なわずファイルサイズを小さくするという「圧縮」と言う技術も存在する。当面使わないようなファイルを圧縮してサイズを小さくすることによって、保存する際に必要となるディスクスペースを節約し、必要な時には展開(伸長、解凍とも言う)することができるというものである。これにより、そのままではメディア内に納まりきらないファイルを一時的に小さくして納めることができたりして非常に便利である。

 しかしながら現実世界の物の場合、圧縮したり展開したりできるのは、せいぜい布団圧縮パックに入れた布団くらいのものであり、大概の物は原則的に体積を小さくすることができない。筆者はこれまで転居の経験が何度かあるのだが、引っ越しの準備の度に、家財道具をコンピュータのファイルの様に圧縮して転送できたら楽なのになあ、などと思ったりする。思ったって片付くわけではないのだが。


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