#030 文章を書く道具

1998/11/06

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 私の場合、学生時代はもっぱらシャープペンシルであった。中学に入るときに入学祝いでもらった「フレフレ」という名前の、振ると芯が伸びてくるシャープペンシルがお気に入りであった。よく学生時代の勉強では「憶えるべきことは書いて憶える」という事が言われるが、私はまさにそれを徹底的に実践するタイプであった。気がつくと、高校時代だけで150冊以上のノートを消費するほど、ひたすら書いて憶えていた。

 それはそれで悪いことではなかったのだが、あまり大量に字を書くと、「手が疲れる」という当然の症状が起こる。恥ずかしながら、私はペンの持ち方が正確ではないので、長期にわたる長時間の筆記によって、右手の親指の第2関節と中指の爪の左脇に硬いペン胝ができてしまっていた。

 さて一方、我が家では私が高校生の頃にワードプロセッサいわゆるワープロを初めて購入した。我が家の初代のワープロはHW-700というCASIOのワープロであった。ちなみになぜCASIOのワープロを選択したのかというと、当時やっていた和田アキ子が出ていたCASIOのワープロのCMを親父が好きだったからというのが理由である。外部記憶装置(フロッピーディスクドライブ)もオプションで購入したのだが、確か2.5インチだかの、なぜかカセットテープのようにA面とB面が存在する独自仕様のフロッピーディスクを採用していたので、今となっては当然生産中止となり、後継機種でのサポートもない。かつてはこれで高校の文化祭の演劇の脚本などを清書していたりしたのだが、当時はワープロ自体も私のタイピング速度も今とは比べものにならないくらい遅く、打つのに相当な時間がかかっていた。まだまだ文章を書く道具としては、機械も私のタイピングも未熟であった

 大学の頃にはワープロも二代目となり(やっぱりCASIOだった)、レポートなどをワープロで書いていたが、それはやはり自宅での作業となるわけで、大学など出先での筆記はやはりノートにシャープペンシルというスタイルであった。講師の盤書をノートに書きながら「手が疲れないように持ち歩いて使えるワープロがないかなあ。でも数式とか図とかはワープロでは書きにくいからやっぱり手書きの方がいいのかなあ」などと考えたりしていたものである。

 さて社会人になると、職場ではパソコンが文書作成その他の目的に当然のように使われていた。大学時代にプログラミングの講義以外の目的でパソコンに触ったことがなかった私は、パソコンでもワープロと同じように、文書を書くことが出来るのだという当たり前の事実にようやく気がついたのであった。そんな調子だから当時はパソコンのことなどほとんどわかっていなかったのであるが、周囲の人にいろいろと使いこなしを教わって自然と憶えていったのであった。当然そのころには、パソコンにインストールされた「一太郎」だの「松」だのといったワープロでばりばり(?)文章を書いていた。

 社会人2年目の年末に、ようやく冬のボーナスでノートパソコンを購入した。自宅でも職場でも同じ環境で文章が打てるようになると、もはや紙とペンで文章を書くことがほとんどなくなってしまった。そして今年(1998年)3月に、何度も出てきてしつこいがHP200LXという携帯端末を購入し、もはや自宅と職場以外に、出先でもパソコンで文章が書けるようになってしまった。私の場合、今や「文章を書く道具」としての紙とペンは、パソコンにすっかりとって替わられてしまった。

 そういえば学生時代はペンで手紙をよく書いていたものだが、それも今ではすっかりメールにとって替わり、メールはまめに書くものの、手紙の方はすっかり筆不精になってしまった。学生時代に作ったペン胝もすっかりなくなった。もしかしたら数年後にはペンの持ち方すら忘れてしまうのではないだろうか。どうせ今でも正しく持てていないのだから、忘れて憶え直した方がいいかも知れぬ。そうでなくてもIMEのおかげで漢字をどんどん忘れていっているというのに。

 ちなみに実家の親父には、退職祝いに三代目のワープロを買って贈った。パソコンという線も考えたのだが、トラブルの度に私にレスキューを求められることは目に見えていたので、製品として枯れている(完成度の高い)ワープロを選んだのである。ちなみに三代目もやっぱりCASIOのワープロであった。なんだかCASIOの宣伝みたいになってしまったな。


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