「推認」、間接証拠による工藤會総裁死刑判決について

 前回に引き続き、昨年8月の工藤會・野村総裁に対する死刑判決等に対する批判的意見について見てみたいと思います。

1 工藤會総裁に対する死刑判決への批判的意見

  死刑判決を受けた野村悟総裁(以下、野村被告)は裁判長に対し「全部推認、推認、こんな裁判あるんか」と発言したそうです。
 今回の判決に対しては、刑事裁判における事実認定、特に「推認」による事実認定に対する誤解もあるようです。
 批判的意見を見ると、
 (1) 物証がない
 (2) 直接証拠が無く間接証拠だけで有罪
 (3) 警察に便宜を図ってもらった元組員の証言などに基づき判断
 (4) 暴力団だからトップの指示をあったはずと決めつけている
といったものがあります。
 以下、この批判に対し、実際の捜査状況、今回の判決における裁判所の認定がどうだったか見てみたいと思います。
 なお、以下の内容については、既に今回の裁判、その他工藤會組員らによる凶悪事件の公判の過程で明らかになっていることばかりです。

2 今回判決を受けた4事件の概要

 (1) 元漁協組合長射殺事件  

 野村被告及び工藤會・田上不美夫会長(以下、田上被告)は、実行犯の組員らと共謀し、平成10年(1998年)2月18日午後7時頃、北九州市小倉北区の路上で、元漁協組合長の梶原國弘氏(当時70歳)に至近距離から拳銃5発を発射し殺害した、と認定されました。
 北九州市若松区の漁協の元組合長だった梶原氏は北九州地区の港湾建設工事などにおける下請け業者の選定などに強い影響力を持つと見られていました。
 工藤會(当時は二代目工藤連合草野一家)側が梶原氏やそのご家族に再三にわたり接触したり圧力をかけたりし、執拗に利権獲得のため交際を求めていましたが、梶原氏らはこれを拒絶していました。
 野村被告は、梶原氏がいる限り、利権に食い込むことは困難であることを認識していました。
 もし被害者一族が交際の要求に応じていれば、利権の相当部分を野村被告が取得することが見込まれ、野村被告に犯行を行う動機がありました。
 福岡地裁は、実行犯らに犯行を指示できる組織の上位者として、野村被告の意向を受けた田上被告がまず想定される、両被告の関与がなかったとは到底考えられず、両名が本件犯行を共謀した事実が優に認められると判断しました。

 (2) 福岡県警元警部銃撃事件

 この事件は平成24年(2012年)4月19日午前7時ころ、北九州市小倉南区の路上において、長年、工藤會の捜査に従事し、定年退職後、再就職先に通勤途中の福岡県警元警部H氏(当時61歳)に対し工藤會田中組幹部・中田好信が拳銃を発射し重傷を負わせたものです。
 元警部は長年、工藤會捜査に従事し野村総裁ら最高幹部と直接話のできる数少ない捜査員でした。
 福岡地裁は、もし元警部を銃撃すれば、最高幹部を含む工藤會の関与が疑われ、警察の取締りがより一層強化されるなど工藤會にとって重大なリスクが想定できる、このような事件を実行犯らが両被告に無断で起こすとは到底考え難い、と判断しました。
 元警部が銃撃された原因については、野村被告が元警部が自らを批判する発言をしていることを聞いたこと、田上被告は元警部の指揮で自宅の捜索を受けたことに立腹するなど、両被告と元警部との間には犯行の動機となり得る事情も複数認められる、としています。
 一方で、両被告が被害者との関係を絶った後も、野村被告は元警部のことを愛称で呼び続けていたことなどから、犯行の直接の動機は不明というほかない、としています。
 そして、本件犯行実行の決定は工藤會にとって極めて重要な意思決定と言うべきで、両被告が意思疎通をしながら、最終的に野村被告の意思によって決定されたと推認されると結論しました。

 (3) 女性看護師刺傷事件

 この事件は平成25年1月28日午後7時ころ、福岡市博多区の路上で田中組幹部・大石薫が、美容整形クリニックの女性看護師(当時45歳)の頭部や頚部に刃物で斬り付け重傷を負わせたものです。
 事件には大石のほか、田中組主要幹部や組員、田中組系列の工藤會瓜田組長・瓜田太や瓜田組員の関与がありました。
 女性看護師が襲撃された理由として、野村被告が小倉北区のクリニックで陰部の増強手術、脱毛手術を受けたが、施術結果が思わしくなく、担当看護師である被害者の対応に不満を感じており、襲撃に及ぶ動機があった、と福岡地裁は判断しています。
 今回の事件に関与した組員の1人が、事件と取りまとめ役だった工藤會田中組幹部・中西正雄の指示で、被害者の顔を確認するため、患者を装いこのクリニックを受診したことが明らかになっています。しかし、実行犯らの中でこの組員以外に、被害者と何らかの接触があった者は1人もいません。
 また、事件報道では被害者は匿名でしたが、事件の2日後、野村被告は被害者が被害にあったことを知っていました。そしてクリニック関係者に「あの人は刺されても仕方ない」と犯行を肯定的に捉える発言をしています。
 福岡地裁は、田中組の組織的犯行であることが発覚すれば、野村被告に強い嫌疑が及ぶこの犯行について、組員らが田上被告に相談なく実行に及ぶとは考え難く、両被告が意思疎通をした上で野村被告が最終的な意思決定をしたものと推認できると結論しました。

 (4) 歯科医師刺傷事件

 この事件は平成26年5月26日午前8時半ころ、北九州市小倉北区の駐車場で、車を駐車し降車した男性歯科医師(当時29歳)に、田中組幹部・中田好信が刃物で被害者の胸や腹などを突き刺し重傷を負わせたものです。
 被害者は(1)の元漁協組合長のお孫さんです。(1)の事件後も田上被告は北九州地区の港湾建設工事などに強い影響力を有するとみられていた被害者一族、特に梶原氏の息子さんで、歯科医師の父親に工藤會との交際に応じるよう執拗に要求していました。
 しかし、父親はこれを拒否し続けていました。田上被告は事件後、自らと親交のあった父親の従兄弟U氏に「工藤會の要求に応じないから、歯科医師を見せしめに襲撃した」と事件の理由を説明しています。この従兄弟は公判でこのことを証言しています。
 事件に関与した組員らは何れも被害者や父親と面識もありません。まして動機もありません。福岡地裁は、田上被告が指示し組員らに実行させたと推認できると判断しました。
 また福岡地裁は、野村被告の関心事である利権介入に大きく関連し、多数の組員を組織的に動かすため、田上被告が野村被告の関与なしに指示するとは到底考え難いとしました。そして、野村被告に犯行への十分な動機があったことなどを踏まえると、 本件犯行は両被告が意思を相通じ、最終的には野村被告が意思決定をしたものと推認できると結論しました。

3 事件の実行犯等

 この4つの事件で共通していることは、何れも田中組及び田中組一門と呼ばれる田中組系列の工藤會傘下組織による組織的事件であるということです。
 そしてその田中組ですが、元漁協組合長殺人事件当時は三代目田中組で組長は野村被告、そのナンバー2若頭が田上被告でした。 田上被告は平成15年に四代目田中組長を継承しています。残りの3事件当時は五代目田中組に代替わりし、五代目田中組長は現在の工藤會ナンバー3・菊地敬吾理事長です(以下、菊地被告)。
 互に深く関連する元漁協組合長殺人事件と歯科医師刺傷事件を中心に見てみたいと思います。
 なお、平成25年12月20日、北九州市若松区の路上で同区の漁協組合長・上野忠義氏(当時70歳)が、何者かにより拳銃で殺害されています。上野氏は梶原氏の弟さんです。 上野氏に対しても工藤會は圧力を加えていましたが、上野氏はそれを拒否していました。
 (1) 元漁協組合長殺人事件

 次の図は、元漁協組合長殺人事件の主要関係者について、その関係を表したものです。
 図1 元漁協組合長殺人事件
元漁協組合長殺人事件  実行犯は、田中組若頭補佐・田中組中村組長(当時)・中村数年ともう一人の男です。福岡県警そして検察はそれは田中組田上組本部長だったNと判断しています。
 しかし、Nは「無罪」が確定しており、その後、病死しています。今回の判決でもNの関与について福岡地裁は消極の判断を下しています。
 残念ながらNについては有罪となるだけの証拠を獲得できませんでした。この事件の捜査に関わった者として、未練がましいですが「無罪」と「無実」は違うということを申し上げたいと思います。
 この元漁協組合長事件の被疑者として福岡県警は、平成14年6月、中村数年と工藤會古口組長・古口信一、田上組幹部N、そして田上不美夫被告 (事件当時は二代目工藤連合草野一家三代目田中組若頭・田上組長)を逮捕しました。
 中村、古口、Nの3名は起訴されましたが、このときは田上会長は証拠不十分で不起訴となりました。
 警察そして検察は、中村とNが実行犯、古口は犯行使用車両の入手等に関わっていたと判断しています。
 中村と古口については平成18年(2006年)、福岡地裁が中村に対し無期懲役、古口に対し懲役20年、Nについては無罪の判決を下しました。Nについては検察も控訴せず無罪が確定しました。 翌平成19年、福岡高裁は中村、古口の控訴を棄却し両名の有罪が確定しました。なお、その後、服役中の古口、Nとも病死しています。
 この図で関係者を実線と点線でつないでいます。実線は「直接証拠」があるものです。また、点線は「間接証拠」はあるものの、以前は、直接証拠や決め手となる間接証拠が不十分だったものです。
 しかし、福岡県警は、その後もこの事件の捜査を続け、それが平成26年9月、野村被告、田上被告の逮捕、そして今回の有罪判決に繋がっていきました。

 そして次の図は、歯科医師刺傷事件の主要関係者について、その関係を表したものです。
 図2 歯科医師刺傷事件
歯科医師刺傷事件  この事件の実行犯は田中組若頭補佐(組長付)の中田好信です。
 同じく若頭補佐の丸本木晴は中田を車で送迎し、田中組員の和田は犯行に使用されたバイクを盗むとともに犯行時、中田をそのバイクで事件現場に送迎しています。
 この3人に直接犯行を指示したのが、この時、田中組本部長だった中西正雄です。
 この3人とも自らの犯行や幹部の中西から指示を受けたことなど正直に認めています。
 ただ、中田は元警部銃撃事件の実行犯のほか看護師刺傷事件等にも関与しており、懲役30年が確定し服役中です。 丸本、和田も複数の襲撃事件等に関わっており、丸本が懲役23年、和田は懲役18年8月が確定し服役中です。
 中西は現在公判中ですが、本件について中田や丸本らに指示したことは認め、自らはある同一人物から指示された旨供述しています。
 図にあるように、当時、中西の上には五代目田中組ナンバー2である田中組若頭・田口義高、更には工藤會ナンバー3である工藤會理事長(五代目田中組長)・菊地敬吾がいます。
 事件当時、田口は既に別の複数の事件で逮捕、拘留中でした。このため、中西に直接指示できるのは田中組長の菊地敬吾、あるいは図にはありませんが、 同じ田中組一門である工藤會理事長補佐(瓜田組長)・瓜田太しかいません。
 瓜田組長は看護師事件など複数の襲撃事件に直接関与しており公判中です。
 また他にも複数の田中組員等が関与しています。

4 事件の背景

 今回の判決でも明らかにされたように、元漁協組合長事件と歯科医師事件の背景には、北九州地区の大型工事等に関する多額のみかじめ料が背景にあります。
 最近まで、北九州地区で大型工事等が行われると、工事を受注した業者等から工藤會に対し、地元対策費名目で多額のみかじめ料が流れていました。
 しかも、その多くの部分が工藤會総裁である野村被告、会長である田上被告に流れるようになっていたのです。
 野村被告は脱税でも有罪になっていますが、私が工藤會担当当時も、野村被告のものと認められる口座には毎年、億単位の金が積み上がっていました。
 (1) 北九州地区の利権独占

 福岡県には全国最多、5つの指定暴力団が存在しています。
 しかも、彼らは互いに縄張りを定め、棲み分けを行ってきました。
 その結果、北九州市を中心とする北九州地区は工藤會の縄張りとされ、我が国最大の暴力団・山口組もそれを認め北九州の利権には手を出しませんでした。
 結果的に北九州地区の利権は工藤會が独占してきました。

 (2) 大型工事等に関するみかじめ料の流れ

 今回の公判では、北九州地区の大型工事に関する建設業者からのみかじめ料(地元対策費名目の工藤會への上納金)について、 実際、その徴収等に関与した2人がその状況を具体的に証言しています。
 1人は、以前、北九州地区の大型工事に関するみかじめ料の徴収を担当していた工藤會親交者(裁判では匿名のG)で、もう1人は、 自らも建設業者からのみかじめ料を野村被告に持って行ったことがある元工藤會田中組幹部K氏です。
 この2人が公判で証言した内容については、私が工藤會を担当していた当時から県警も把握していました。しかし、それを供述調書等証拠化することはできませんでした。 今回の公判で2人がその実態を証言してくれた背景には担当捜査員や検察のご苦労があっただろうと思います。
 元漁協組合長事件当時、田中組では、組幹部らが建設業者からみかじめ料を得た場合は、その全額を組長である野村被告に持って行くことになっていました。
 なお、平成15年に田上被告が四代目田中組長そして工藤會理事長に就任後は、田上被告に持って行くようになりました。
 G氏とK氏の2人は自ら、直接、野村被告にみかじめ料を持参したときの状況を具体的に公判でも証言しています。
 G氏らが持参したみかじめ料は、4分割されました。1つは「山」と呼ばれた溝下秀男工藤會総裁の分、1つは工藤會会長である野村被告の分、1つがみかじめ料を建設業者からの受け取った組幹部らの分、 そして残りが工藤會経費です。G氏やK氏は野村被告が自分の眼の前でみかじめ料を分けた様子などを具体的に供述しています。
 G氏は公判供述では、野村被告と溝下総裁、そして窓口となった幹部の受取額は、それぞれ全体の3割、工藤會の経費が1割です。
 なお、田上被告が田中組長就任後は、窓口となった幹部の取り分を田上被告と折半するようになりました。

 (3) 被害者一族の大型港湾工事等への影響力

 元漁協組合長事件の被害者・梶原國弘氏は、昭和30年代には三代目山口組傘下の梶原組組長として活動していました。 しかし、遠賀郡芦屋町にあった草野組(※工藤会草野組とは全く別組織)との抗争を機に、警察の摘発を受け、梶原組を解散しました。 出所後は若松区の漁協幹部、そして組合長として活動していました。
 そして昭和50年代、國弘氏は工藤會の二代目会長となった草野一家・草野高明総長と親交を結ぶようになりました。 このため、福岡県警は國弘氏に対する取締りを強化し何度も検挙しています。昭和57年には証人威迫・横領容疑で逮捕され組合長を辞任しました。
 なお、一部に梶原氏が梶原組長当時、工藤組草野組と抗争を起こし、草野高明組長の弟の殺害に関与したとの主張があります。それは間違いです。 梶原組が抗争を行ったのは、北九州市の西隣、遠賀郡芦屋町にあった別の草野組です。当時、草野組は2つありました。 芦屋町の草野組組長は草野徳雄です。昭和25年、梶原組員が草野徳雄組長の実弟を殺害する事件が発生しています。
 北九州市は山口県下関市と関門海峡を挟み九州の玄関口、港湾都市です。その港湾関連工事は数千億円規模の工事もざらです。
 大型の港湾工事では地元漁協の同意が重要です。また、工事に際しては多額の漁業補償が支払われるのが通常です。
 そして、判決にもあるように、当時、梶原氏の弟・上野忠義氏や梶原氏の息子さんは港湾工事関連企業を経営していました。
 このため判決にあるように、梶原氏やそのご家族は、北九州地区の港湾建設工事に関連し、その下請業者選定や漁協への保証金の配分等に関し強い影響力を有すると見られていました。

 (4) 草野高明総長の死と警察の取締り等

 平成3年4月、梶原氏と親交のあった草野高明総裁が病死しました。以後、工藤連合若頭(三代目田中組長)であった野村被告は、田上被告(当時・田中組若頭) と梶原氏や梶原氏の息子さんと会食するなど関係強化を図ろうとしました。
 一方、福岡県警は梶原氏への取締りをさらに強化し、平成4年、その関連で、梶原氏の弟や息子さんが関係する港湾工事関連企業を暴力団関係企業として北九州市などの行政機関に通報、 各行政機関はこれら企業を指名停止処分としました。
 恐らく、梶原氏やそのご家族は、梶原氏が親しくしていた草野総裁の死、福岡県警による取締り、さらには行政機関からの指名停止処分などを受け、 野村総裁、田上会長ら工藤會との関係遮断を決意されたのではないでしょうか。
 元漁協組合長事件に関しては、被害者の梶原氏が元暴力団組長であったことを強調する人もいるようです。梶原氏やそのご家族が執拗なまでに狙われたのは、梶原氏が元暴力団組長だったからではありません。 梶原氏やそのご家族が、北九州地区の港湾工事に強い影響力を持ち、しかも、野村総裁らの不当要求を拒否し続けたからです。
 梶原氏やそのご家族が、工藤會の要求に従い続けていれば、一連の卑劣な事件は決して発生しなかったでしょう。
 歯科医師刺傷事件の被害者は、港湾建設工事に関する利権には全く関係ありません。
 梶原氏のご家族が工藤會側の不当要求を断り続けていたため、直接利権とは関係のない歯科医師の方まで狙われたのです。
 梶原氏のご家族が工藤會の言いなりになっていれば、北九州地区の大型港湾工事に関わる多額の地元対策費や港湾関連企業の売上金の一部が、 工藤會トップの溝下総裁、ナンバー2の野村被告、後にはナンバー3の田上被告に流れるはずでした。
 しかし、元漁協組合長やそのご家族は、工藤會の不当要求を断り続けました。それが、工藤會その中核である田中組一門による組織的襲撃事件が繰り返された原因です。

 (5) 野村被告は被害者の大型港湾工事等への影響力を認識していた

 港湾工事に関連する砂・砂利の採取販売事業者の代表ら幹部2人が、元漁協組合長事件3月前の平成9年11月、 北九州で事業をするための工藤連合への挨拶として、若松区の料亭で野村被告と会食しています。
 この代表ら事業者幹部2人は公判においても、この会食事実を認め、その際の野村被告の発言についても証言しています。
 それによれば、野村被告は「砂利事業は若松の梶原が絡んでいるから大変ですよ。あそこには、私どもも何も絡めないんです」と被害者に対する不満を語ったとのことです。
 その後の捜査により、この頃には既に元漁協組合長襲撃が計画されていたことが判明しています。

 (6) 野村被告の絶対性

 「暴力団だからトップの指示をあったはずと決めつけている」との批判もありましたが、そのようないい加減なことは当然ありません。
 野村被告は、工藤會総裁としての自分の立場について、公判において(會の運営に関し)「一切関わっていない。隠居ですね」「飾りですよ。何の権限もありません」と供述しています(※1)。
 本年1月25日に行なわれた菊地敬吾理事長の公判でも、菊地被告は総裁についての弁護側の質問に対し「もちろん、見守っていただけるような存在」と答えています。 また、野村被告の工藤會での権限についても「権限がないとかではなく、口出しはしません」と述べています(※2)。
 実際はどうでしょうか。
 私は工藤會対策を担当していた現役当時、溝下秀男総裁、野村被告、田上被告と直接会話する機会もありました。
 溝下総裁とは平成16年に一度直接会って話をしました。もちろん、工藤會の重要事項についてはその都度報告、指示を受けているようでしたが、 溝下総裁は工藤會の実質的な舵取りについては会長である野村被告に一任していることを語っていました。
 今回の判決で、工藤會内における野村被告の絶対性を裏付ける間接事実として、工藤會本部事務所の売却決定と慶長委員長を総裁名で絶縁処分としたことが上げられています。

  ◯ 工藤會本部事務所の売却  

 令和2年2月、工藤會は本部事務所を自ら解体後、当時私が勤務していた福岡県暴力追放運動推進センターに売却しました。 暴追センターは同日付で福岡市内の企業に売却し、その後、購入企業は北九州市のNPO法人・抱樸に売却しました。
 暴追センターが一旦購入したのは、民間企業が工藤會から直接購入すると、その企業が工藤會と何らかの関係があるのではないか等の誤解を避けるためです。
 この工藤會本部事務所の所有者は工藤會が昭和60年代に設立した有限会社で、この売却当時、その代表取締役は野村被告、もう1人の取締役が田上被告です。
 今回の売却は有限会社代表取締役である野村被告本人が、自らの損害賠償請求訴訟に対する賠償金、和解金の一部にする目的で最終決定したのです。
 元々、この本部事務所は、工藤会(当時)から分裂し工藤会と抗争を行っていた草野一家の本部事務所でした。昭和62年に工藤会と草野一家が大同団結後は工藤會の本部事務所として使用されてきました。
 野村被告、田上被告が有限会社の取締役に就任したのは平成16年7月です。
 実はそれまでの代表取締役は溝下秀男総裁でした。私が、溝下総裁は工藤會の実質的舵取りを野村総裁に一任していると考えた理由の一つがこの取締役交替です。 溝下総裁は総裁職に留まったまま工藤會本部事務所の処分権限を野村被告に一任したのです。
 一方、野村被告は、平成23年7月に会長を退き総裁に就任しましたが、それ以降も有限会社の代表取締役に留まり続けました。
 田上被告に工藤會の運営を一任したのなら、溝下総裁のように有限会社代表取締役を辞任するはずですが、それは行わず、今回、本部事務所を売却するという重要事項を決定しました。
 工藤會が本部事務所を売却した理由は幾つか考えられます。
 一つは工藤會が全国で唯一特定危険指定暴力団に指定され、その後、本部事務所等の使用制限命令が続いたため、本部事務所が使用できなくなったことです。
 二つ目は、平成26年9月以降、野村被告ら工藤會主要幹部が検挙された後、工藤會は本部事務所の固定資産税を滞納するようになったため、平成30年12月、北九州市が本部事務所を差し押さえたことです。
 三つ目は、今回判決が下された元警部銃撃事件と歯科医師刺傷事件に関連し、被害者側が野村被告らに対し損害賠償請求訴訟を提起し、これが認められたことです。
 野村被告らは歯科医師に対してはその後、和解しています。また、元警部に対しては最高裁まで争いましたが、最高裁は野村被告の上告を棄却しました。
 野村被告、田上被告とも自らの刑事責任は一切認めていませんが、この賠償金、和解金の一部に当てるため、本部事務所として利用できず、無用の長物と化した工藤會本部事務所を売却したのです。

  ◯ 工藤會慶長委員長の絶縁処分

 五代目工藤會に代替わりをした平成23年7月、野村被告、田上被告と工藤會最高幹部会である執行部幹部らが、他の主要暴力団を訪問し挨拶を行いました。
 この時、関東の主要団体幹部に挨拶する際、工藤會執行部慶長委員長のT組長が野村被告を紹介することを失念してしまいました。怒った野村被告は直ちに総裁・野村悟名でT組長を絶縁処分にしました。
 絶縁は暴力団社会では最も重い処分で、組織からの永久追放を意味します。そして通常は最高幹部会である執行部名で行なわれることが一般的です。 でなければ、名目上の工藤會トップである会長名で行なわれるのが通常です。
 ところが、この時は本来名誉職のはずの総裁・野村悟名で処分が行なわれ、主要団体に絶縁状が送付されたのです。
 弁護側は、事務処理上の間違いだったと主張したようですが、その間違いを行った者が処分を受けたりはしていません。
 工藤會の内部情報からもT組長の絶縁処分は、野村被告が独断で決定したものに間違いありません。

5 刑事裁判における証拠 ~ 直接証拠と間接証拠、物証と人証

 (1) 直接証拠と間接証拠

 今回の判決に対する批判の中に「直接証拠が無く間接証拠だけで有罪にした」といったものがあります。
 これについては、直接証拠、間接証拠に対する誤解があるようです。
 「証拠」とは、刑事訴訟上確認すべき事実(犯罪事実)を認定するための合理的推論の根拠となる資料のことです。刑事訴訟上確認すべき事実は、証明を要する事実という意味で「要証事実」とも言います。
 刑事裁判で裁かれる犯罪は、過去の事実です。それを完璧に再現することは誰にもできません。しかし、多分そうだろうといったいい加減な推測で有罪と決めつけられてはたまりません。 そのため、我が国の刑事裁判では有罪とするには、合理的な疑いを生じる余地のない程度の心証(確証)が必要とされています。
 「直接証拠」とは、要証事実(犯罪事実)を直接証明する証拠のことです。具体的には被告人や共犯者の自白、目撃者の供述、被害者の供述等です。
 一方「間接証拠」は「状況証拠」とも呼ばれ、要証事実を推認させる一定の事実(間接事実。これも「状況証拠」と呼ばれることがあります。)を証明する証拠のことです。

 (2) 直接証拠の危険性

 「直接証拠」というと何だか証拠として証明力が高いように思われるかもしれませんが、多くの場合、それは供述証拠であり、供述証拠独特の危険性を有しています。
 被告人や共犯者が嘘をついたり、自らの刑事責任を逃れようとするのはざらです。被害者や目撃者についても勘違いや記憶違いは珍しくなく、時には嘘をつくこともあります。
 直接証拠だから証明力が高いということは一概には言えません。

 (3) 今回の裁判の争点

 今回の裁判での最大の争点は、野村総裁や田上会長が、実行犯らに指示したか、実行犯らと共謀が認められるかという点です。暴力団社会では、「黒い烏も白い」と言われるように親分は絶対です。 カラスは黒色ですが、親分がカラスは白いと言えば、それに従うのが子分として当然のことなのです。
 だから、「有罪」となった訳ではありません。
 今回の一連の事件でも、実行犯やその共犯者の多くは事実を認めています。そして彼らは、自分たちに直接指示命令した幹部に関しては公判で証言したり検察官調書に応じています。
 今回の裁判では中西被告や田口被告、元漁協組合長事件などでは、田上被告までは「直接証拠」が存在していることになります。
 一方、実行犯らに直接指示命令を行った幹部は、自分が指示命令を行ったことまでは認めても、より上位の工藤會理事長、さらには野村被告、 田上被告の関与については黙秘又は否認しています。それが暴力団(ヤクザ)のあるべき姿だからです。
 しかし、検察は間接証拠(状況証拠)を積み重ね、また、多くの関係者が勇気を出して公判で証言するなどしてくれたため、今回の有罪判決に繋がったのです。

 (4) 田上被告関与の「直接証拠」

 歯科医師刺傷事件について、被害者の父親の従兄弟U氏が公判で次のように証言しています。
 事件後の平成26年7月、U氏が小倉北区で直接田上被告と面会し、この事件について田上被告に質問したところ、田上被告は、被害者の父親が工藤會側の要求に従わないため、 息子である歯科医師をやるしかないだろうと答えているのです。
 この従兄弟の証言は、この証人が田上被告のそのような発言を聞いたという点では直接証拠です。
 U氏は元々、田上被告と親交があり、田上被告からの不当要求、脅迫を、梶原氏の息子さんで歯科医師の父親である従兄弟に直接伝達していました。県警から見れば工藤會親交者であるU氏を県警はある事件で逮捕しました。
 U氏が勾留中、港湾工事の利権には全く関係のない歯科医師が襲撃され重傷を負いました。恐らくこの事件がU氏が工藤會との関係を絶つことを決意させたのでしょう。
 公判では田上被告も、U氏が田上被告の発言を聞いたとする日にU氏と会ったことだけは認めざるを得ませんでした。

 (5) 「推認」間接証拠による事実認定

 刑事訴訟における「証拠」とは、刑事訴訟上確認すべき事実(犯罪事実)を認定するための合理的推論の根拠となる資料のことです。
言い換えると、間接証拠による合理的推論により過去の犯罪事実を認定していくことが「推認」です。
 合理的推論とは、論理則、経験則に従ったものである必要があります。単なる推測は合理的推論ではありません。
 刑事事件だけではなく、民事の裁判においても「推認」は決していい加減な手続ではありません。
 最高裁は、民事訴訟における「推認」についてですが、次のように判断を下しています。

 「推認」の語を用いたことを非難する部分があるが、右の用語法は、裁判所が、本件のように、 証拠によつて認定された間接事実を総合し経験則を適用して主要事実を認定した場合に通常用いる表現方法であつて、 所論のように証明度において劣る趣旨を示すものではない(昭和43年2月1日最高裁判決)

 また、証拠の判断は、あくまでも裁判官の判断に委ねられますが、独断は許されず、合理的な疑いを生じる余地のない程度の心証(確証)が必要とされています。
 そして、今回の福岡地裁の判決のような一審判決は、被告あるいは検察の控訴、上告により、高裁さらには最高裁での判断を受けることになります。
 一審や二審(高裁)で有罪とされたものが、「推認力が弱い」「推認できない」と最高裁で無罪となったり、逆に一審、二審で無罪とされた事件が最高裁では「推認できる」として有罪となることもざらです。

(6) 「物証」がない?

 今回の判決に対しては、「物証がない」との批判的意見もあるようです。
 野村総裁、田上会長が配下の幹部や組員に指示して一連の事件を敢行させたという事実に対する「物証」がない、ということなら確かにそうかもしれません。
 「物証」とは、犯行に使用された凶器や犯行によって得られた被害品のように、その物の存在及び状態が証拠資料となる物体をいいます。
 また、「人証」とは証人、鑑定人、被告人のように人が口頭で証拠を提出することを言います。
 ところで、野村総裁や田上会長が配下の工藤會幹部らに一連の犯行を指示したという「物証」が仮に存在するとすれば、それはどのようなものなのでしょうか?
 正直なところ、私には全く想像がつきません。
 総裁、会長以下関係者が自署し、血判でもした血判状や、総裁らが幹部らに指示しているところを撮影した動画でもあれば、それが「物証」になるでしょう。 しかし、そんなものをわざわざ残す者など、暴力団はもちろんのこと誰もいないでしょう。
 被告人が素直に指示命令したことや共謀を認めれば、それは直接証拠になりますが、特に暴力団による組織的事件でトップやそれに準ずる地位の幹部が認めることはまずありません。
 そのため、今回の判決やその他工藤會による組織的凶悪事件の裁判では、検察側も様々な間接証拠等を組み合わせ、共謀や上位者の指示を立証しようとするのです。
 一方、元漁協組合長事件等に関しても確実な「物証」はいくつも存在しています。

  ◯ 実行犯の1人が犯行使用拳銃を事件前夜に暴発

 私が工藤會取締りを直接担当するようになったのは平成15年3月からです。同年6月、実行犯の1人である中村が事件当時住んでいたマンションの壁から、拳銃の弾丸1個を押収しました。
 当時、既に中村らは一審の福岡地裁小倉支部で公判中でしたが、担当した捜査員らは事件検挙後も、事件関係者の多くと良好な関係を維持していました。 この時、そのうちの1人から、元漁協組合長事件の前夜、中村が犯行に使用した拳銃をマンションで暴発させ慌てていたという供述を得ることができたのです。
 今回の判決でも、工藤會を恐れて最初は捜査協力に積極的でなかった人たちも、トップらが長期間社会不在となっていることや、工藤會による一般市民、ときには女性らを狙った様々な凶悪事件に対する反発などから、 検察側の立証に協力してくれるようになりました。この時もそうでした。
 この供述に基づき、このマンションの部屋に対し令状による検証及び捜索差押を行いました。この関係者の供述によると、暴発した弾丸は壁に入り込み取り出すことができなかったため、 中村は弾の回収を諦め、工藤會関係の業者に頼んで壁板を張り替えたとのことでした。
 マンションには既に別の方が住んでいましたので、その方の立ち合いで捜索を実施しました。その結果、壁の内側から鉛の弾丸1個を発見しました。 鑑定の結果、元漁協組合長の体内から摘出された弾丸4個のうち2個と、そして事件当日に現場路上で発見された弾丸1個と同一拳銃から発射されたものであることが判明しました。

  ◯ 犯行使用車両等の裏付け

 また、犯行には盗難車の日産サニーが使用されたのですが、県警は事件後間もなく北九州市小倉北区内に放置されていたこの車を発見、押収していました。
 このサニーは、既に有罪が確定している古口信一が、事件当時に親交者のKに命じて盗ませたものでした。当時の捜査員らの努力により、このKやKの共犯者2名を逮捕し、 しかもKらは取調べに対し素直に事件を認め、古口の指示によるものであることなど具体的な供述をしてくれたのです。
 先程の図の右下の「古口組親交者K等」がそれです。
 Kらの供述に加え、当時、古口組若頭補佐だった元組員Pもその後、捜査に協力し、検察官調書の作成に応じています。
 実行犯らは犯行に使用した盗難車を小倉北区内に放置して逃走したのですが、それがまずかったようです。
 Pの供述から、犯行使用車両が小倉北区内に放置されていたことに関し、古口の上位幹部である田中組本部長のF組長、 さらにはその上に位置する田上被告とが田中組本部事務所で何らかの打ち合わせを行ったことなども明らかになっています。
 なお、今回判決の下った他の事件でも、犯行に使用された盗難バイクや犯人の衣服等の入手、処理に田中組員あるいは田中組系列の瓜田組員多数が関与しています。 そして、その多くが正直に事実関係を供述し、犯行使用バイク等を押収するなど、物証による裏付けも行われています。

 (7) 野村被告等に関する間接証拠

 私は、平成25年3月に工藤會対策担当の暴力団対策部副部長から久留米警察署長に転任し、工藤會対策から外れました。
 私が担当していた当時は、実行犯である中村や古口の有罪までしか力が及びませんでした。今回の判決内容を見ると、福岡県警はその後も、多くの間接証拠を積み重ね、それが今回の有罪判決に結びついたことがよくわかります。
 先程の図を見ていただいたら分かると思いますが、実行犯らは当時の工藤連合草野一家三代目田中組の幹部やその親交者です。
 中村は田中組若頭補佐、古口は田中組行動隊長という幹部で、それぞれ自らの組を持っていました。ただ中村は子分らしい子分を持たない、いわゆる一人組長だったため、自ら犯行に及んだのでしょう。
 中村自身は被害者と面識もありました。ただ、中村と古口は当時の田中組内では同格、対等で、中村が古口に指示命令することはあり得ません。
 2人の上には田中組本部長(F組長)F、さらには田上被告、野村被告と続きます。
 強調しておきたいのは、だから野村被告、田上被告の指示命令、共謀があっただろうと決めつけた訳ではない、ということです。
 犯行使用車両の入手、処分については、関係者の証言からF組長の関与があったことが「推認」できます。
 また、F組長は本件事件前に被害者の息子さんに「お前と親父(梶原國弘氏)とY(梶原國弘氏の実弟・上野忠義氏の息子さん)がターゲットになっている」と脅迫しています。
 被害者の息子さんは、今回の一連の公判で、本件事件後、野村被告の舎弟K組長や田中組幹部が工藤會の要求に従うよう脅迫していたこと、従兄弟のU氏を通じ田上被告から脅迫されていたことなどを証言しておられます。
 それも単なる記憶ではなく、当時、作成していた手帳のメモに基づき証言しています。
 少なくとも漁協組合長事件、歯科医師襲撃事件については、田上被告までは繋がっているのです。

  ◯ 下の者が勝手にやった?

 本年1月25日、菊地被告の公判で、予想どおり菊地被告は元警部銃撃事件へのトップ3人の関与を否認しました。
 また、この事件で実行役に指示した田中組若頭・田口義高被告について、弁護側の「どうして起こしたか心当たりはある?」との質問に対し、「事情は分からない」と供述しています。 少なくとも田中組ナンバー2の田口被告が事件に関与したことについては認めざるを得なかったようです。
 そして、弁護側の「田口被告は指示なくこんなことが起こせるのか?」に対しては、「だから起きたんじゃ?」、「指示がないから起こせたのでは?」、「私たちが知れば止める立場にある」と申し立てています。
 元警部銃撃事件では、実行犯である中田好信のほか、被害者の行動確認を行った組員や犯行に使用された盗難バイクを盗んだ組員、 そのバイクや実行犯の衣服などを処分した組員など多数の組員が正直に証言しています。
 その指示を行ったのは田中組ナンバー2の田口被告です。
 菊地被告は「私たちが知れば止める立場にある」と申し立てていますが、実際には本件犯行の約1年前に自ら被害者方を下見しています。

  ◯ ボーナスの支給

 何よりも事件後、自らの財布から実行犯の中田に対し田口被告を通して現金50万円入りの封筒を渡しています。
 工藤會、中でも田中組一門は今回のようにジギリと呼ばれる工藤會組織のための襲撃事件や銃撃事件を行わせた場合、一種のボーナスのように関係組員に数十万円程度の小遣いを渡すことが多いのです。
 看護師刺傷事件、歯科医師刺傷事件でも、事件に関与した複数の組員に15万円から25万円位の現金が渡されており、彼らの多くはその事実を認めています。
 「私たちが知れば止める立場にある」とのことです。実際には今回の4事件を含め、工藤會、特に田中組一門による一般市民襲撃事件など凶悪事件が繰り返されました。それらの事件を、菊地被告だけではなく、 田上被告、野村被告はなぜ止めなかったのでしょう。野村被告、田上被告らに楯突くような田中組組員などいません。そして「勝手にやった」組員らを誰一人処分しなかったのはなぜでしょう。

  ◯ 関東二十日会による民間人、警察官等への危害禁止

 暴力団社会ではトップは絶対です。
 今回の判決の1年前、令和2年8月4日の公判で野村被告に対する被告人質問が行なわれました。
 その中で「工藤會で堅気を襲うことは処分の対象にならないのか」という質問に対し、野村被告自身は「なりません。根本的になりません」と答えています(※3)。
 続く「工藤會ではやってはいけないこととされていないのか」とい質問に対しても、野村被告は「それはないです」と答えています。
 少なくとも工藤會では、組員が堅気である市民や元警察官を襲撃すること自体は、そのトップも容認しているようです。
 しかし、全国的に見ても暴力団が取締りにあたる警察官や元警察官の命を狙うような事件は稀で、特に最近は聞きません。
 それは、彼らがそれを配下組員らに厳禁しているからです。別に暴力団が仁侠団体だからではなく、取締りを行う警察をできるだけ刺激したくはないだけでしょう。
 大分前、昭和58年(1983年)のことですが、当時、東京など関東地区に拠点を置く主要暴力団が「関東二十日会」という親睦会を作っていました。
 この時、そのメンバーである稲川会と住吉会(当時は住吉連合会)の傘下組織が抗争を行った際、関東二十日会では、民間人、警察官等抗争に関係ない人等に危害を加えた者は破門又は絶縁する旨通知し、傘下組織に徹底しました。
 ところが同年10月、住吉会と極東会(当時は極東関口一家)との抗争が発生し、東京池袋の極東関口一家前で住吉連合会池田会組員が発砲し、 通りがかった専門学校生が負傷、組員を逮捕しようとした警察官が重傷を負う事件が発生しました。
 住吉会は実行犯が所属していた池田会を解散させ池田会会長を絶縁処分としました。
 工藤會では考えられないような厳しい処分ですが、全国暴力団は表向きとはいえ仁侠団体を標ぼうしていますから、このように一般市民や警察官に直接危害を加えることに対しては敏感なのです。

  ◯ 野村被告・田上被告以外には動機がない

 今回の4事件のうち、特に女性看護師刺傷事件と元警部銃撃事件については、公判でも明らかになったように、野村被告、田上被告以外には動機を持つ者はいません。
 女性看護師刺傷事件では、被害者の氏名が公表されていないにも拘わらず、事件の2日後に野村被告は看護師が被害に遭ったことを知っていました。
 元漁協組合長事件や歯科医師刺傷事件で、被害者のご家族が工藤會に屈服すれば利益を受けるのはこの2人です。
 2人とも、あるいは菊地被告などは、配下組員らが勝手にやったことと言いたいのでしょうが、工藤會トップ3人の誰かがひと言、今後、このようなことは一切するな、と厳命すればそれで終っていたはずです。

6 なぜ多くの組員たちが証言したのか

 (1) 警察に便宜を図ってもらった?

 今回の判決に対する批判の一つに、警察に便宜を図ってもらった元組員の証言などでに基づき福岡地裁が判断した、というものがあります。
 元警部襲撃事件の主要関係者の図にあるように、この事件では実行犯の中田が懲役30年、事件に関与した他の2人が懲役23年、同18年8月と極めて重い判決を受け、既に服役しています。
 彼らは複数の組織的殺人未遂事件に関与しており、ある意味やむを得ない処分です。この3人は逮捕後、自らの関与のみならず、彼らに直接指示を行った田中組ナンバー2の若頭・田口義高被告、 事件当時実質ナンバー2だった中西正雄についても具体的にその関与を証言しています。
 彼らは決して警察・検察に便宜を図って貰ったから、それらの証言を行ったわけではありません。
 彼らの行った行為は許されざるものですが、私は彼らも暴力団組織の犠牲者だと思っています。
 また、元田中組幹部K氏が大型工事等に関するみかじめ料について、自らも野村被告にその金を持参した等を証言しています。そのK氏について、今回の裁判で弁護側は「Kが工藤會を離脱するに当たり、 警察が協力して生活保護を受給する手続を早めてくれたことに恩義を感じ、捜査機関に迎合する素地があった」と主張しています。
 K氏は40年以上前に、当時の工藤会二代目田中組員となり、ジギリと呼ばれる工藤會による組織的事件にも関与し服役しています。また田中組傘下組織組長として大型工事に関するみかじめ料を直接、 野村被告に提供するなど工藤會、中でも田中組に貢献してきた人物です。
 一方、K氏は工藤會、そして野村被告の恐ろしさも十二分に承知しているはずです。単に生活保護受給の支援を受けたくらいで、野村被告に都合の悪い虚偽の証言を行うことは考えられません。
 工藤會を離脱した一因に大病を患ったことがあると思われます。ある意味、工藤會に長年貢献したにも拘わらず、生活保護受給を希望するまで追い詰められたK氏を工藤會は助けようともしませんでした。
 また、福岡県警では、工藤會を初め暴力団を離脱し、真面目に生きようとする暴力団員に対しては、離脱、就職の支援を積極的に行っています。 病気などで就労が困難な者に対しては生活保護受給の支援をこれまでも行っています。暴力団を離脱後5年経過していない者でも必要に応じ口座開設の支援を行っています。
 これら支援を受けた元暴力団員が、殊更警察に迎合し、工藤會に不利益な供述をする、まして今回のように工藤會総裁らを眼の前にして工藤會に不利益な供述を行うなどといったことはありません。 暴力団を離脱し真面目に頑張ろうとしている元暴力団員に対する支援と事件捜査は全く別個の問題です。
 弁護側はK氏が虚偽供述を行っていると主張していますが、そもそもその根拠となるような証拠は間接証拠を含め何一つ示していません。

 (2) ジギリ事件に対する工藤會従来の対応

 福岡県では暴力団員が自分が所属する暴力団組織のための襲撃事件や抗争事件をジギリと呼んでいます。工藤會では工藤會のため、そして工藤會トップである野村被告のために襲撃事件等がジギリ事件です。
 今回の裁判でも明らかになったように工藤會は、ジギリ事件を行い、仮に警察に逮捕されても自分限りに止めた者に対しては様々な便宜を図ってきました。
 工藤會ではジギリ事件を起こした組員に対しては、毎月組員から徴収する会費の中から積立を行っていました。それとは別に各傘下組織ごとに残された家族に生活費を支給することもありました。 積み立てた金は、本人が出所時、組長らが本人に渡していました。
 その具体的内容について、やはり公判において元工藤會事務局員などが証言しています。それによれば、中村、古口のためには毎月20万円が積立られていました。
 また、田中組からも中村の内妻に毎月5万円を持参し、服役中の中村に対しては内妻名義で一度に50万年あるいは100万円程度の現金を送っていました。
 私が現役当時関わった工藤會によるジギリ事件では、実行犯らのほとんどは逮捕され自分たちの有罪が逃れない場合、しぶしぶ自らの犯行を認めていました。しかし、より上位の指示・命令を認める者はほとんどいませんでした。
 特に田中組員が関与した事件では、服役中の家族に毎月10万円から20万円の現金が支給されていました。
 また、出所時には多額の報奨金を受け取るとともに、その多くは工藤會直轄組長に昇格し、中には執行部と呼ばれる工藤會最高幹部に昇格する者もいました。
 また、元漁協組合長事件の中村、古口は何れも、平成12年1月に四代目工藤會に代替わりし野村被告が会長になった時、2人とも直轄組長に昇格しています。

 (3) なぜ多くの組員らが証言したのか?

 彼らが正直に供述したことに対し、検察、裁判所とも現行法の範囲内での一定の考慮はしていただいただろうとは思います。
 しかし、歯科医師刺傷事件の実行犯らがそうですが、正直に供述した彼らは決して軽くはない刑を下されています。
 彼らが警察・検察に便宜を図って貰ったなどと、具体的な間接証拠の一つすら示すことなく主張する人がいます。ふざけるな、と言いたくなります。
 個人的な経験から言えば、犯罪を繰り返す者、暴力団員などは可哀想な生い立ち、経歴の者が多いようです。
 犯罪者になるために、暴力団員になるために生まれてきた者など1人もいません。
 取調べにあたっても彼らの犯罪行為は厳しく追及しても、彼らの同情すべき点は認め、彼らの悩みや苦労にも耳を傾ける、そのような人間対人間の取調べが行なわれた場合、 彼らの多くは心を開き、自らあるいは組織に不利益となることであっても供述してくれます。
 また、単に自供を得て終わりではなく、その裏付け捜査も徹底して行ってきました。
 暴力団員となった者の多くは、暴力団が仁侠団体などとは思っていないでしょう。ただ、そこに彼らの居場所があったのは間違いありません。
 暴力団と呼ばれても、ヤクザは社会にとっても一定の役に立っているなど自分に言い聞かせて生きてきたはずです。
 それが裏切られたのが、特に野村体制になって工藤會により引き起こされた数々の凶悪事件ではないでしょうか。それが彼らが工藤會に失望し、工藤會を見限った最大の理由ではないかと思います。
 実行犯などの関係者が正直に供述するようになったのは、直接取調べを担当した捜査員や検察官の真摯な取調べもあったでしょう。
 野村被告、田上被告、菊地被告はもちろん、田口被告や中西被告も、自らの犯行を素直に認めることはないでしょう。中西被告は他に建設会社役員射殺事件の実行犯として公判中です。死刑が求刑されることもあり得るでしょう。
 今の工藤會には彼らに応えるだけの資金力もないでしょうが、彼らは工藤會にしがみついて行くことでしょう。
 彼らは兎も角、自らの犯行を後悔し、素直に事実関係や上位者の指示・命令を認めた者に対しては配慮が行なわれるべきだと思います。
 個人的には、イタリアのマフィア対策で効果を挙げた改悛者制度のように、真に反省し真実を供述してくれた者に対しては、刑を軽減する措置が必要だと思います。


 今回の野村被告、田上被告に対する福岡地裁の判決は以上のように、決して、いい加減な判断が行なわれたものではありません。