殺人事件全国最多『修羅の国』から安全安心の街へ ~ 福岡県

 『修羅の国』?福岡

 以前、福岡県、特に北九州市が『修羅の国』『暴力の街』と呼ばれたことがありました。
 平成24年9月以降、警察庁では暴力団等による意に沿わない事業者等への襲撃事件などを「事業者襲撃等事件」と呼び、平成19年以降の発生件数を公表しています。平成25年版の警察白書に平成20年から平成25年までの間に発生した事業者襲撃等事件と抗争事件発生件数が掲載されています。発生件数が上位の3都県は次のとおりです。何れも福岡県が他を圧倒しています。
  事業者襲撃等事件:1位 福岡県57件 2位 佐賀県7件 3位 東京都・岡山県5件
  抗争事件:    1位 福岡県18件 2位 山梨県7件 3位 埼玉県4件
 ただし、抗争事件は平成24年12月、道仁会と九州誠道会(現・浪川会)が特定抗争指定暴力団に指定後は発生もなく、両団体は平成25年、抗争終結を宣言しました。
 事業者襲撃等事件については、平成26年9月以降、福岡県警が工藤會総裁や会長ら主要幹部を次々と検挙、隔離した後は激減しました。筑後地区では暴力団によると思われる放火事件等が発生しましたが、福岡県警による更なる取締り強化後は県下全域で発生がありません。  

 暴力団による凶悪事件と「頂上作戦」 ~ 殺人事件全国第1位『修羅の国』福岡

 昭和31年以降、警察は暴力団に対する実態把握と取締りを大幅に強化しました。
 これは、山口組を初めとする主要暴力団が勢力拡大を図り、その過程で全国的に抗争事件と暴力団による市民への凶悪事件が多発したためです。
 凶悪事件の最たるものが殺人ですが、昭和元年(1926年)以降、殺人の認知件数が最も多かったのは、昭和29年の3,081件、次が翌昭和30年の3,066件です(図2)。
 その後殺人事件は大幅に減少し、最近は1,000件以下が続き昨年は929件でした。
 昭和31年以降は、殺人事件検挙人員中の暴力団員検挙人員も公表されています。同年の全検挙人員2,862人中、暴力団員は1,078人、全体の3分の1以上を占めています。
 このころ福岡県の刑法犯認知件数は、東京、大阪に次いで第3位、しかも昭和30年代前半は殺人事件全国第1位が続いていました。まさに『修羅の国』でした。
 昭和31年の全国の殺人事件認知件数は2,617件、うち福岡県は241件と全国の1割近くが発生しています。同年の福岡県の殺人事件検挙人員は299人ですが、そのうち236人は暴力団員、全国の暴力団検挙人員の4分の1近く、まさに『暴力の街』でした。
 昭和39年以降、全国警察は、主要暴力団のトップや主要幹部に重点を置いた「頂上作戦」と呼ばれる強力な暴力団取締りを行いました。図1は全国の暴力団勢力の推移です。
 暴力団員と暴力団準構成員等を合わせた暴力団勢力が最も多かったのは昭和38年末で、約18万4,100人、当時の全国警察官13万7,000人を大幅に上回っていました。
 図1 全国暴力団勢力の推移(昭和33年末~令和2年末) 暴力団勢力グラフ
 昭和33年の警視庁を皮切りに主要府県警察は暴力団取締り担当課を新設、福岡県警も昭和40年に捜査第四課を設置し取締りを強化しました。
 「頂上作戦」は、昭和39年、45年、50年と三次にわたって行なわれ、一定の効果があったのは間違いありません。しかし、暴力団は馬鹿ではありません。同じような失敗は繰り返しません。暴力団側は犯罪手口を巧妙化し、特に主要幹部の検挙は難しくなっていきました。そして頂上作戦後しばらくすると、暴力団は再びその勢力を盛り返してきました。

 「取締り」から「取締りと暴力団排除」、暴力団対策法の制定

 昭和48年1月、警察庁は全国警察に、従来の取締りに加え「暴力排除活動の高揚」を指示しました。この頃から、暴力排除(暴力団排除)が暴力団対策の一つの柱となりました。
 昭和56年7月、三代目山口組組長の死を契機に、山口組から一和会が分裂し、「山一抗争」と呼ばれた激しい抗争事件が続きました。この間、各地の地方公共団体、各種地域・職域団体等により暴力団追放決議が行われるなど、国民の暴排意識が高まっていきました。
 それに伴い警察では関係機関等と連携し、公共工事や公営競技場、ホテル・旅館等からの暴力団排除、暴力団事務所撤去活動の推進等、暴力団排除をさらに強化していきました。
 福岡県でも、昭和61年12月以降、福岡地区への進出を図った道仁会と、福岡地区に拠点を置く山口組伊豆組との間で抗争事件が発生しました。福岡県内だけでも死者7名、傷者17名、計61回の襲撃事件が発生しました。昭和62年1月には多数の買い物客がいた久留米市内のスーパ店内で、道仁会組員2名を伊豆組員2名が射殺する事件も発生しました。
 これに対し福岡県警は、同月、福岡地区の中央警察署、博多警察署と道仁会本部を管轄する久留米警察署に「集中取締現地本部」を設置し、あらゆる法令を駆使した取締りと、暴力団事務所の看板や食料品までも差し押さえる徹底的な捜索を行い、抗争を終結させました。
 県内では、山口組、道仁会対策に加え、北九州地区で抗争を繰り返していた工藤会(当時)と草野一家が合併し工藤連合草野一家を結成、筑豊地区は太州会がほぼ全域を勢力下に置きました。このため福岡県警は、同年9月、小倉北警察署に北九州ブロック暴力団特別取締本部を、飯塚警察署に筑豊ブロック暴力団特別取締本部をそれぞれ設置し、各地区の捜査員を結集し取締りを強化しました。
 全国の暴力団は当時のバブル経済を背景に、民事介入暴力や企業対象暴力を繰り返し、市民社会へ巧妙に浸透し資金源活動を活発化しました。更には暴力団同士の抗争で市民や警察官が巻き添えで殺害される事件が繰り返されました。
 そこで誕生したのが暴力団対策法です。暴力団対策法により、従来はグレーゾーンだった暴力団の威力を背景にした暴力的要求行為に対し、中止命令、再発防止命令を行えるようになり、抗争事件に際しては事務所の使用制限も可能となりました。
 暴力団対策法は間違いなく大きな効果を発揮しましたが、図1にあるように、暴力団員が減ると暴力団準構成員等が増加し、暴力団勢力は横ばい状態が続きました。

 「暴力団 対 警察」から「暴力団 対 警察、行政、そして市民」へ

 平成22年4月1日、福岡県暴力団排除条例が施行され、学校や幼稚園から200メートル以内に暴力団事務所を新設することなどが禁止されました。条例施行直前の3月、工藤會は北九州市小倉南区の幼稚園の目の前、小学校近くの豪邸に事務所を開設し、当番員を置くようにしました。
 付近住民の皆さんが立ち上がり、北九州市、警察も協力して事務所撤去運動が始まりましたが、工藤會は暴追パレードに参加した小倉南区の自治総連合会会長のご自宅にけん銃を撃ち込みました。更には北九州市長に脅迫状が送りつけられました。しかし住民の皆さんは屈することなく事務所撤去運動を続け、翌年2月、建物は医療法人に売却され老人ホームに生まれかわりました。
 それ以後も市民・事業者への襲撃事件が繰り返されました。暴力団排除条例が改正され、平成24年8月1日から、繁華街で、暴力団の入店を規制する暴力団排除標章制度が開始されました。
 北九州市内の繁華街でも、実に70%以上の店舗が標章を掲示してくださいました。
 当時、福岡県警は全国警察から機動隊の応援を受けており、この部隊を小倉北区と八幡西区の繁華街警戒に投入しました。しかし防ぐことはできませんでした。標章を掲示したスナックやビルに対する放火事件が発生、電話による脅迫、更には標章を掲示したお店の女性経営者らが次々と襲撃され重傷を負いました。その後これら事件の多くが検挙され何れも工藤會による犯行でした。
 襲撃事件や脅迫電話が続く中、標章を外したり、標章を店内の目立たない場所に移す店もあり、一時は標章を掲示している店舗も50%を切りました。しかし、50%近くのお店は標章を貼り続けてくださいました。現在は北九州市内約70%以上の店舗が標章を掲示しています。
 平成23年4月、福岡県知事や北九州市長、福岡市長そして福岡県公安委員会は、国に対し暴力団対策法改正、犯罪組織に対する有効な捜査手段導入など抜本的な暴力団対策の要請を行いました。
 警察庁は、平成24年、暴力団対策法を改正し、特定危険指定暴力団や特定抗争指定暴力団等の規程が整備されました。同年6月の改正法国会審議には、北橋健治北九州市長も参考人として出席され、その必要性などを訴えられました。
 図2 全国の刑法犯認知件数・殺人認知件数及び殺人検挙人員の推移 暴力団勢力グラフ
 図2は、全国の刑法犯認知件数と殺人事件認知件数、そして殺人で検挙された者のうち「暴力団員」と「その他」のグラフです。殺人は左側、刑法犯は右の目盛りです。
 平成14年が刑法犯のピークでした。前年の平成13年は、犯罪の多発、110番通報件数の爆発的増加により、刑法犯検挙率が過去最低わずか19.8%まで減少しました。その後、市民の皆さんの防犯活動などもあり、犯罪の発生は激減しました。昨年は平成14年の4分の1以下にまで減少しています。検挙率も少しずつ改善し、昨年は全国平均45.5%まで改善しました。
 刑法犯の認知件数の多いのは、やはり東京が1位、2位が大阪です。昨年、福岡は兵庫に次ぐ8位、検挙率も他の7府県は50%未満でしたが、福岡は53.3%まで快復しました。過去全国最多だった殺人事件は東京105件(検挙103件)、大阪104(検挙103件)件に対し、福岡は全国9位35件(検挙35件)でした。

 全国的にも福岡県も、犯罪だけではなく暴力団勢力が激減しています。全国初の総合的な暴力団排除条例、暴力団対策法改正による特定危険指定暴力団、特定抗争指定暴力団、何よりも暴力団に対し勇気を持って立ち上がった福岡県民、事業者、行政のご理解、ご協力があったからです。
 暴力団は日本社会、この福岡県にも未だしっかり根を張っています。暴力団壊滅、未だ道半ばです。しかし、決してそれは不可能ではないと思います。

      令和3年8月21日(金)  福岡県暴力追放運動推進センター『県民の絆』第60号より