暴力団と「不良外国人」(1)

 特遊隊は、隊員の発案で、「特別遊撃隊」と金色刺繍した黒腕章を着用しました。
 この特遊隊によって暴力団員やその親交者、彼らが使用している車の把握が進みました。これは後に事件捜査でも大いに役立つことになりました。
 特遊隊が職務質問をはじめると、すぐ工藤會側が応援を集めるので、県警では、パトカーに特遊隊員2人と応援の第二機動隊員2人、合計4人を乗車させました。数には数で対応するためです。
 通常、工藤會側は1台の車に、多くて2、3人乗車ですから、相手が1台なら、パトカー1台で十分対応できるようになりました。工藤會側が応援を求めたら、こちら側もすぐ応援を派遣するようにしました。無線を傍受した機動警察隊や所轄警察署のパトカーも応援に駆けつけてくれました。
 職務質問を繰り返すうちに、隊員は工藤會組員の顔と名前を覚えるようになり、組員には積極的に声掛けを行いました。運の悪い工藤會組員は一日に何度も職務質問を受けることもありました。
 組員の中には、職務質問をしようとする警察官をビデオカメラで撮影する者などもいました。しかし特遊隊員らは臆することなく法令に従って正々堂々、職務質問を繰り返しました。いつしか、工藤會組員らから「黒腕章には気をつけろ」という言葉が聞こえてくるようになり、カメラ撮影などもなくなりました。
 特遊隊が発足した数カ月後、工藤會は組員に対して、「職務質問には応じてよいが、車内検索には応じるな」と指示を変えました。実際には、工藤會暴力団員の多くは、任意の車内検索に対しても、根負けして応じるようになりました。
 工藤會組員らは、車内検索つまり任意での車内検査には応じるなと指示されており、面子に拘るので、組事務所周辺や他の組員がいる場では、なかなか車内検索には応じませんでした。しかし、他人の目がなく、禁制品もない場合、早く職質を終わらせるため、できるだけ協力するようになっていきました。中には覚醒剤を所持していたり、自ら使用している者もおり、もちろん彼らは検挙されました。

 JR小倉駅前の攻防

 この中で、覚醒剤所持事件で無罪事件も1件発生しました。この事件は、工藤會親交者が覚醒剤を所持していたのは事実なのですが、職務質問の任意性がないと指摘されたものです。裁判所からは、職務質問の時間が長くなりすぎ、その間、常に警察の監視下にあるため、実質的な拘束状態だったと認定されたのです。職務質問はあくまで相手の了解を得た上での任意のものなので、相手側の行動の自由を制限することは許されません。
 警察は時間とも戦わざるを得なくなりましたが、特遊隊員らは挫けませんでした。
 あるとき、覚醒剤所持容疑が濃厚な工藤會組員ら2人がドアをロックして、特遊隊の職務質問に一切応じないことがありました。場所は、北九州市小倉北区の中心、JR小倉駅構内北側の道路です。
 ある程度以上の時間が経過すると、彼らを解放せざるを得ません。組員らもそれを狙っていました。ただ、特遊隊員には、暴力犯や薬銃捜査経験者もいました。組員2人とも何件もの覚醒剤前科前歴がありました。覚醒剤所持の可能性が強いと判断した隊員たちは、職務質問を継続しながら、小倉北警察署に協力してもらい、その組員2人の身体と、彼らが乗車している車に対する捜索差押許可状を裁判所に請求しました。
 小倉駅前は2階部分が高架の通路になっており、多数の市民が成り行きを見守っていました。
 時間との戦いでしたが、幸い、許可状が発布されました。
 許可状を突きつけられた組員らは、しぶしぶドアを開け、捜索に応じました。結果は覚醒剤等の発見にはいたりませんでしたが、市民の中には拍手をしてくれる人もいました。

 新規組員の把握

 「今の刑事は暴力団から情報を取れない」などと言う人もいます。若い刑事でも、あるいは制服警察官でも努力すれば、いわば敵対関係にある暴力団員からでも、情報を得ることは可能です。
 情報収集において大事なものを一つだけ挙げれば、それは誠意だと思います。暴力団員も人間です。そして建前とは言え、彼らは「任俠道」を標ぼうしています。
 昭和60年代頃までは福岡県でも、暴力団事務所に捜査員が訪れたり、時には組員が警察署の暴力犯係までやって来て直接話をすることもありました。新規暴力団員の把握もあまり苦労はなかったように思います。
 しかし、平成3年に『暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律』(暴力団対策法)が制定されてからは、暴力団側も警察官との接触を禁止するなど、暴力団員の実態把握も難しくなりました。
 福岡県警の工藤會対策では、特遊隊など制服警察官による職務質問が、暴力団員や彼らと関係の深い親交者らの実態把握に効果を発揮しました。
 制服警察官の職務質問により、相手暴力団員の住所、使用車両、同乗者などがわかります。実際の住所と免許証の住所が違っていれば、免状不実記録という犯罪となり逮捕されるので、組員たちも免許証には本当の住所を載せるようになりました。
 組員の新規把握は例えば次のように行なわれました。
 ある日、工藤會傘下組織事務所付近で組員Aを乗せた車両を職務質問します。運転していたのは、初めて顔を見るBという男です。Aは「その男は俺の中学校の後輩。たまたま乗せてきて貰っただけ」と言い、Bも同様のことを言います。
 しかし、その後も特遊隊や機動警察隊等が、何度かAとBを職務質問します。だんだんと、BがAの単なる後輩というのが怪しくなってきます。
 平成15年8月のクラブ襲撃事件を受け、JR小倉駅前の歓楽街の中心、堺町に、小倉北警察署堺町特別対策隊が設置されました。駅前の歓楽街、堺町、鍛治町、紺屋町は、やや離れた場所にある小倉北警察署旦過交番の管轄です。歓楽街で事件や揉め事が発生し、通報があっても、警察官が現場に到着するまでに、関係者は立ち去ってしまうということがよくありました。
 また、歓楽街の一角、紺屋町には、四階建ての工藤會田中組紺屋町支部が威容を誇っています。
 堺町対策隊は、その後、北九州市の協力で、歓楽街の中心、堺町公園に拠点を置き、24時間態勢で歓楽街の警戒を行うようになりました。
 初めのうちは、工藤會組員は制服勤務の堺町対策隊員から職質を受けても、これを無視しようとしていました。しかし、隊員が粘り強く職質を繰り返した結果、彼らも少しずつ職質に応じるようになっていきました。
 ある朝、事務所の中からBが出て来ました。既に顔見知りになっている隊員が声を掛ける。「ばれましたか。実は◯月から、組員になりました。Aさんが先輩というのは本当です」。とうとうBは組員であることを認めざるを得なくなりました。
 毎日、組事務所の当番員を職務質問していれば、当番のパターン、組み合わせも判ってきます。
 発砲事件や襲撃事件が発生すると、特遊隊、機警隊、堺町対策隊、管轄警察署のパトカーなどが、市内の工藤會傘下組織事務所の視察を行います。
 ある銃撃事件の発生直後の深夜、堺町対策隊員が事務所の警戒をしていると、当日当番員として事務所内にいるはずの組員が外から事務所にやってきました。彼を職務質問すると「風呂に行ってきた」とのことでした。真夜中に、そして事務所にはちゃんと風呂があるのにです。その後の捜査の結果、彼は実行犯の1人でした。  

 ある暴力団員への職務質問

 暴力団員に対する職務質問は徹底的に行う、というのが今や福岡県警の伝統ですが、そこには誠意や人としての情も必要です。
 平成26年のいわゆる工藤會頂上作戦が行われる少し前のことです。当時、工藤會によるとみられる襲撃事件が多発していました。
 機動警察隊のパトカー勤務員が50代の工藤會幹部Cの車を停車させました。勤務員はCを何度も職質し顔見知りになっていました。「Cさん、どうした。そんなに急いで」。警察官に食ってかかろうとしていたCも、顔見知りの警察官だったので、少し態度を和らげます。
「あんたたちやったんね。実は息子が事故を起こして意識不明なんよ。今、◯◯病院に向かいよるところなんよ。悪いけど急いどるけ、行かしてくれんね」。警察官達はCの息子も以前職質しています。「息子ちゃ、✕✕君ね?」。「そうそう、知っとったんね」。
 警察官たちは、Cの態度に嘘はないと判断し、そのまま病院に向かわせました。
 帰隊して110番通報などを確認すると、実際にCの息子が事故に遭い、救急病院に搬送されていることがわかりました。
 数日後の深夜、同じ警察官たちが、工藤會傘下組織事務所の駐車場で、1人煙草を吸っていたCを見つけ、声を掛けました。「Cさん、息子さん大変やったね。具合はどんな風ね」。
 Cはこの前の警察官と気づき、「この前はありがとう。まだ意識はもどらんとよ…」。そして、吐き捨てるようにこう言いました。「息子の意識がもどらんのに、事務所当番やけね! △△に息子のことを話して、当番を延期してくれっち頼んだら、『そしたら誰かほかの者見つけて来い』やけね。工藤會も変わった。息子のことメドがついたら、俺、ヤクザなんか辞めるけ」。組幹部を呼び捨てにして、Cはこう語りました。△△とはCの組のナンバー3です。
 その後、Cの息子は何とか意識を取り戻し回復に向かいました。Cはその後、この時の言葉どおり、県警の支援を受けて、30年以上在籍していた工藤會を離脱しました。
 事件の検挙に直結する暴力犯刑事の活動とは異なりますが、制服警察官による地道な職務質問も、暴力団情報の収集、そして事件解決に大いに役立っていることを強調したいと思います。

     令和2年6月8(月)