二人の刑事(3)

 暴力団内部から情報を取ることができる刑事を、ここでは情報マンと呼びたいと思います。
 平成18年8月の倶楽部襲撃事件の時、私に真っ先に報告してくれたのは、髙橋修・元班長(警部)でした。当時は巡査部長でした。
 髙橋班長は、私と同じ年ですが、大学卒業後は民間で働き、私より8年遅く昭和58年4月に福岡県警察官となりました。野球の好きなスポーツマンでした。
 暴力団員、特に幹部からの情報収集で、髙橋班長はずば抜けていました。ただ、髙橋班長が担当していた業務の大部分が、現在継続中の工藤會事件と関わっています。具体的な話は残念ながらできません。
 髙橋班長のやり方は正攻法でした。その意味では、大先輩だった藤崎寛人元警視と通じるものがあります。藤崎さんが兄貴分なら、高橋班長は共に戦った戦友です。
 取り調べた暴力団員の大部分とは、その後も人間対人間の関係を維持していました。もちろん、そのことは髙橋班長と相手にしかわかりません。取調べで何らかの便宜を図るということもありません。
 髙橋班長の情報収集のやり方は、そのことを知っている人間から聞く、というのです。
 話を聞く必要がある暴力団員らが、もし身柄拘束中なら、拘置所や刑務所に何度も足を運び直接面会しました。警察署に勾留中であれば、その者の事件担当者に断った上で取り調べます。ただ、ベテランの捜査員ほど、自分が取り調べている身柄を、他の捜査員に調べられることを好みません。やはり刑事としてのプライドが傷つくのでしょう。
 必要に応じ、私も、その暴力団員の事件を担当している班長、管理官などの了解を取っていました。しかし、「自分の身柄」と思っている暴力団員を、第三者に取り調べられることに不満を持つ捜査員もいました。そのような不満が、時に誤解となり、髙橋班長への中傷となることもありました。
 また、暴力団員の中には、意図的に特定の捜査員の悪口を言いふらす者もいます。それを真に受ける警察官もいました。
 プライドに関しては、情報マン同士の仲は良くないことが多い気がします。直接、私に不満を言ってくれれば、誤解を解くこともできますが、残念ながら、そのような人に限って私に話を持ってくることはありませんでした。髙橋班長も何度か悔しい思いをしたはずです。
 敵対関係にある暴力団と警察官であっても、一対一の人間と人間という気持ちで話せば、やはり心は通じます。
 そして、暴力団員、特に上位の幹部たちには、きれい事や嘘など通用しません。
 暴力団員の多くは、同情すべき生い立ちや複雑な家庭環境などを抱えています。本物の暴力犯刑事は、同じ人間として、時に相手の悩み悲しみに共感し、一方で相手の悪い点もはっきりと指摘します。
 「工藤會は悪い」髙橋班長の口から、何度となく工藤會幹部や組員は聞かされたはずです。
 ある時、髙橋班長が、一人の工藤會幹部を逮捕し取り調べました。その幹部は工藤會のジギリ(暴力団組織のために行った襲撃事件等)で、十数年服役後、数年前に出所したばかりでした。これから再出発という時期でした。工藤會側からしてみれば「微罪」の事件で、その幹部らを逮捕しました。
 事件自体は、客観的証拠も揃い、幹部も事実行為は認めました。間もなく起訴され有罪となりました。短期の懲役でしたが、出所後間もないということで執行猶予は付きませんでした。幹部は控訴することなく、潔く刑に服しました。
 刑務所に移管される時も、髙橋班長と幹部は互いに笑顔で別れました。高橋班長は服役中も何度か幹部と面会しましたが、相手の態度は最後まで変わらず、出所後も変わりませんでした。
 髙橋班長は、上司である私に対しても「こんなこと言うていいんか、どうかわからんけど……」と言いながらも直言してくれました。
 情報マンの中には、上司に全てを話そうとしない人も時にいます。髙橋班長は「ここだけの話、本当はこうでした……」とありのままを話してくれました。
 暴力団を相手にしていると、時に面と向かって脅されることもあります。敵である暴力団から嫌われ、憎まれることは当然です。それを恐れていては仕事になりません。
 よくいわれる言葉に、「警察官には定年があるが、ヤクザには定年がない、ヤクザは死ぬまでヤクザだ」というのがあります。つまり、定年後は気をつけろということでしょう。
 たしかに警察官という職業には定年があります。しかし、警察官としての生き様、警察官としての誇りに定年はありません。定年後も「後輩たちに迷惑はかけられない」そういう警察官OBが大部分です。刑事に限らず、真の警察官には覚悟があります。
 「殺るなら殺れ。相手にはそう言いました」 何人ものベテラン暴力犯刑事から、その言葉を聞きました。その覚悟があるから、相手の暴力団員も心を開くのです。
 「高橋さん!」高橋班長が担当した暴力団幹部、暴力団員らは高橋班長をそう呼びました。時に人目もはばからず一時間以上話を交わす幹部もいました。
 人間対人間の関係ができた相手は、面と向かって嘘はつきません。ただ、相手も組織の人間だから言えないことの方が多いのです。特に幹部になればなるほどそうです。「あの事件は誰がやった」とか「今度、どこどこをやる」なんて話をするわけがありません。
 髙橋班長に面と向かって嘘をつく幹部はいませんでした。もちろん自分自身や組織のために都合の悪いことは言いません。しかし、知っているはずなのに何も言わない、そのことも重要な情報です。
 複数の襲撃事件に関与し、長期実刑判決を受けた工藤會組員がいます。当時、髙橋班長は彼と時々接触していました。一連の事件に何らかの形で関与しているのは間違いないと、私も考えていました。髙橋班長は、彼は直接事件に関与していると感じていました。もちろん、具体的な証拠があるわけでも、彼の口からそのような話は出て来ることもありません。結果は、髙橋班長が考えたとおりでした。
 今になって、何か彼に犯行を思いとどまらせる手はなかったのか、と悔やまれます。
 すでに報道されているように、いわゆる「工藤會頂上作戦」で、五代目工藤會・田上不美夫会長が、数日間の逃亡後、ある捜査員に電話して逮捕されました。その相手は髙橋班長でした。
 暴力犯刑事、特に情報マンと呼ばれるような刑事は、時に誹謗中傷を受けることもありました。福岡県警の中には実際に暴力団関係者から金を受け取るような者もいました。そのような者に限って知ったかぶりをし、警察組織にはろくな情報も上げてきません。
 「福岡県警は無能だ。それは情報が取れないからだ」と断定する暴力団問題の専門家もいました。
 工藤會に半ば翻弄されてきた福岡県警、それを「無能」と言いたい人は言えばよいと思います。ただ、「情報が取れない」からではありません。
 情報は、捜査の端緒となり暴力団対策の方針決定に極めて重要です。しかし、情報だけで犯人を逮捕したり、まして有罪を獲得することなどできません。
 情報マンたちの本当の活躍は、表沙汰になることも、詳細に触れることもできません。そのことは彼ら自身が最も理解しています。
 しかし、表に現れる事件検挙や取調べだけではなく、地道な情報収集にも、現場捜査員らは懸命に頑張ってきたこと、そして今も全国で多くの警察官が頑張っていることを知っていただければと思います。
  平成28年8月、髙橋班長が亡くなりました。60歳、早すぎる突然の死でした。翌週には久しぶりに二人で飲もうと約束していました。
「はい! 髙橋です。髙橋修です!」そんな電話が今でも掛かってきそうな、そんな気がします。

 令和元年9月6日 完