引いてしまう専門用語

共著で朝日新書「量子の新時代」という本を出版した。 この本の冒頭は

  「引いてしまう言葉」というのがある。(1行ほど略)「量子」の二文字は、その代表選手ではないだろうか。

という書き出しで始まる。 「量子」は一般社会でよく使う言葉ではないが、 聞いたことはあるという人はかなりいると思われ、 それらの人たちが「なんか知らんが難しいイメージ」と引いてしまうのであろう。 一方、社会でもよく使う用語の場合はなおさら間違ってどん引きされている言葉も多い。 特に自然科学用語は、思わぬ(とは我々にしてみればだが)イメージ先行があって、ちょっと考えさせられることがある。

たとえば核磁気共鳴(NMR)。単に研究現場で使われている分にはどうということはないと思うが、病院で「では核磁気共鳴装置にすっぽり入っていただいて、体の断層写真をコンピューターに描かせましょう」と言われたら、「ごめんこうむる」となる人もいるかもしれない。恐ろしげな装置の名前ゆえか、「核」という文字への拒否反応なのか。人間の体もそこらの物質も空気も、重さにして99.9%「原子核」から成るのだが・・・ そこで医療では核磁気共鳴(NMR-CT:核磁気共鳴を用いた断層写真のコンピュータートモグラフィー描画)と言うのをやめて、磁気共鳴映像法(MRI)と言うことにした。NMR-CTとMRIは同義語である。前者の方が正確だが。うーん、余計な用語は作って欲しくないのに・・・

「コンピューター」も問題の言葉だ。最近、とある進学高校で模擬授業をしたが、その感想文に「コンピューターでもできない計算があることに驚いた」と書いてきた生徒がいた。うーむ、いまだにコンピューターは万能という神話があるのか。コンピューターは単なる機械で、それを使う人の力量が顕れるだけというのみならず、原理的にできる計算とできない計算があるのだが・・・

「暗号」も微妙な言葉だ。暗号の研究というと、なにか暗〜いイメージを持つ人もいる。事実、量子暗号の研究を日本で初めて学会(暗号でなく物理関係の)で発表したとき、「私は秘密にしたいことなど何もないから、あなたの研究は必要ない」と言われたことがある。さすがに今は通信のプライバシーやパスワード秘匿の重要性は常識になっているが。

「遺伝子組み換え」も、即危険とするのは即安全とするのと同じようなものだと思う。遺伝子組み換えで除草剤耐性を高めた農作物ができた結果、除草剤を使いまくるようになって蓄毒性や生態系の問題が生じたらしいが、昔ながらの「品種改良」(これも遺伝子組み換えだが自然交配の場合そう言わないことになっている)でも起こり得ることだ。遺伝子組み換え食品は無条件に買わない、品種改良された食品は安全だから表示すら必要がない、という乗りで判断していていいのか。遺伝子組み換えか否かではなく、何がどう危険なのか、危険性の中身の問題である。

・・・とはいえ、私も情報不足の場合はイメージ先行するときもある。 海外にも著名な日本の某研究所を訪問したとき、 美しく咲き乱れるお花畑に「放射能照射新品種」と英語で自慢げに表示されていた。 これを自分の部屋に飾る気は、どういう処理をしたのか勉強してからでないと、起きない。 遺伝子組み換え食品も、どういう処理がされたか、どういう危険性があるかわからない場合は、引く態度が必ずしも間違っているわけではない。

ちなみに流行語大賞になりそうな「友愛」。これは引いてしまう言葉ではないだろう(人によっては引く?)が、こんな言葉を含む数学用語があるのをご存じだろうか? それは「友愛数」である。実は暗号理論と関係なくもないこの概念、興味があればお調べになったら面白いと思う。

[最終稿:2009年10月11日]


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