豊島学寮閉寮記念大同窓会

前の記事で豊島学寮の閉寮について書いたが、それを記念する大同窓会が先日開かれた。何も変わっていないんだろうなと思って、最後のお別れのつもりで行ってみたが、本当に何も変わっていなかった。木だけは大きくなっていた。住んでいた部屋めがけて中庭から写真を撮ったが、枝葉に隠れて見えなかった。それにしても人がたくさん来ていた。卒寮生2000余人のうち300余人が来たらしいが、庭も食堂もごった返していた。



一番驚いたのは食事のまかないさんが同じ人だったことだ。人はすっかり入れ替わっているだろうと思っていたら、そこまで変わっていなかったとは。しかし寮母さん夫妻は、前回書いたように当時からして老境に入っていたので、お二人とも故人ということだった。

アップライトピアノは、さすがに無かった。代わりに、小さなグランドピアノが食堂に置いてあった。見たところ朽ち果ててはおらず、一応黒光りしている。誰か弾いていたが同窓会の歓談の音量レベルに負けてほとんど聞こえなかった。かろうじて聞こえてくる音色から、少なくともプリペアドピアノでない程度の保存状態であることはわかった。

箏曲の宮下一家の家も全くそのままだった。都電荒川線も―車両がモダンになったのを別として―そのまま。とげぬき地蔵通りもそのまま。ときわ食堂もそのまま。三丁目の夕日の世界だ。撮影用セットを作る必要はない。

遮断機右方がとげぬき地蔵通り。そのまま巣鴨駅に至る。


前回、寮生は研究室仲間ほど付き合いがないので知り合いと言っても顔だけが多いと書いたが、今回も知った顔がいくつかあった。それよりよかったのは、現在の知り合いやその関係者で豊島学寮出身者が何人かいたことだ。そうだったんですかという人に何人か会った。

また前回「閉寮の知らせに臨んで古き良き時代が一つ去る感が拭えない。しかしまあ世の中は常に動くものだから、これはなにかの進展を意味するものなのだろう」と書いたが、このあとどうなるのかの情報はまだ得ていない。少なくとも現在の建物が取り壊されることは確かだ。何になるかである。その情報が入ったら追記しよう。「なにかの進展を意味するもの」かはわからないが、多少なりとも世の動きが見えるかもしれない。

[2010年6月15日 記]



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