「温度って無限に高いところまであるの?」
高校生活も大詰めの息子が唐突に尋ねた。
(このホームページ立ち上げた頃は小学生終わったばかりだったのに、光陰如矢)
質問の意図がわからず
「そりゃ原理的には無限まで考えられるさ」
と答えたら
「でもさー、相対論があるから分子の速度って光速越えられないんでしょ。
そこから温度の上限が決まったりしないの?」
だと。そんな質問するようになったか。
最近高校の物理では気体分子運動論みたいなこと教えてるんだな。
「その相対論によれば光速度に近づくと質量が重くなるから、
速度は有限でも運動エネルギーは無限まで行くんだよ」
と言うと
「そうかー、そういえば重くなるとかいうの習った習った」
ということでとりあえず落着。
ところで実際にそういう状況が普通にあるだろうか?
恒星の内部や加速器の中ではもちろんあるだろうが、
地球上の物質中でも電子の速度が光速度の何分の一くらいになることはあるはずだ。
その方面のことを知っていそうな同僚のM先生に訊いたところ、
「ありますよ、そういうこと。
重い元素の第一原理計算ではシュレーディンガー方程式でなくてディラック方程式から出発して計算している人がいますよ」
という。へーそうなんだー、面白い。
ちょっと調べてみると
「セリウムやウランなど原子番号が大きくなると相対論的な効果が無視できなくなる。
相対論的なバンド計算はDirac 方程式を直接的に解くことで可能となる」
などとある。
(注:シュレーディンガー方程式は非相対論的な量子力学の基本方程式で、
ディラック方程式は相対論的な量子力学における電子の基本方程式。)
日常生活における光や物質の振る舞いの説明に
「量子力学は至る所で大成功を収めているが相対論は極めて特殊な状況のもの」と言われることがある。
しかし上のような例があると、そうとは限らない。
衛星やロケットの軌道制御にも相対論が使われる。
時間標準やGPSにも相対論補正が使われている。
スピンはもともと相対論が起源だ、
などと言い出したら、
我々や物質の存在そのものが相対論と量子論の塊ということになってしまう。
これからは大手を振って「相対論も日常生活と切っても切れないもの」と言おう。
[最終稿:2005年3月10日]
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