平衡と固定

神奈川県で2万3千年前の旧石器時代住居跡が見つかったというニュースがあった。子供のとき習った「旧石器時代」のイメージよりだいぶテクノロジーの進んでいた生活様式のようだ。

しかし有史以前の人類は、ただ記録が残っていないだけで、実はかなり進んだ社会だったのではないかという気もする。そう思うのは、最近の自分の専門分野でさえも歴史に残る研究以外は文献の中に埋もれていて、自称すばらしいアイデアを思いついたと思っても、実はこんな前の時代に既に考えられていたのか!ということを見いだしたりしてがっかりすることがあるからだ。まして記録に残っていない頃の人類の生活は、残っている時代の記録と考古学から推し量るしかない。日本でも千〜千五百年前には既に現代にも通じる複雑な社会制度があり、和歌のような大胆にして繊細な芸術があったのだ。こういうことは徐々なる蓄積なしにはできない。一万年前は石器以外そういうのが何もない洞穴暮らしだったと考える方が不自然である。

ところでどうして2万3千年前とわかったかというと、放射性炭素同位体による年代測定だ。これは炭素14(通常の炭素12にくらべ原子核内に中性子が2個余分にある)がβ崩壊して窒素(通常の窒素14)に変わる半減期が5730年であることを使い、遺跡試料の炭素中の炭素14の含有率を測ることで年代がわかる、と、通常簡単に説明される原理である。

ここで当然湧く疑問として、人類がその遺跡に住んだときからその試料の炭素14のβ崩壊が始まったわけではあるまい。そもそも地球ができた頃から、いやもっと昔から常に炭素14のβ崩壊は続いてきたのでは?と思うであろう。

これを解くキーワードは「平衡」と「固定」である。実は宇宙から地球に降り注ぐ中性子と大気上層の窒素14は核反応を起こしていて、絶えず炭素14が作られ続けている。単位時間あたりのその生成量は原料の窒素14の量に比例する。一方炭素14は常にβ崩壊してなくなる(窒素14に戻る)が、その単位時間あたりの減少量は炭素14の量に比例する。したがって、ある量で生成と減少の割合が釣り合う。大気は上層から地表まで思いっきり循環しているので、それが大気中の全炭素に対する炭素14の含有率を決める。このような「平衡」がもたらす含有率が出発点となるのである。大気から炭素を取り入れ排泄している植物の体内もこの平衡系に含まれる。

一方、植物が死んだら大気から炭素を取り入れなくなるので、死んでからの体内の炭素14はβ崩壊が起こる一方である。つまり死ぬと体内の炭素14は平衡の供給源から隔離され固定される。凍結といってもよい。漬け物やワインを作ってから(つまり原料の植物を炭素14的に固定してから)何百年も熟成したあと飲んだり食べたり普通しないので、遺跡から見つかる植物の炭素14含有率は、その遺跡が作られたときに現在の大気と同じ値に固定されて、その初期条件がセットされてから減り続けて来たと考えられるわけである。(現在の大気といっても、核実験で炭素14の含有率が変わってしまった前の値である。遠い将来、人類は1945年以後の大気を特殊なものと扱うであろう。)

要するに平衡とは他のものとの交流、固定とは隔離である。それが植物の場合呼吸をしているか死んだかということに顕れる。土の場合は地表で大気に触れていることが平衡で、岩石に固まるとか地層に取り込まれるのが固定である。こういう、もっと長大なスケールの年代測定には炭素でなく他のもの(ベリリウムとか)が用いられる。

平衡や固定の概念は物質の含有率だけでなく、当然、熱平衡とか断熱壁といった熱力学にも使われる。物流、金融、文化交流にだって成り立つだろう。卑近な例では、汚れた床をきれいな雑巾で拭けばきれいになるが、雑巾を洗わず拭き続ければ、床の清浄度は両者の汚染度が一致する平衡状態で一定となろう。もし大して汚れていない床を、前の掃除から洗わず汚れを固定したままの雑巾で拭けば、かえって雑巾の方がきれいになってしまう平衡状態の方向に向かうのである。

学生の頃、節約を心がける苦学生の友人がいた。彼は「しばらく風呂に入ってないから今日はプールで泳ごう。運動不足解消にもなるし」というつわものだった。普通なら「今日はプールに行ったから風呂に入って清潔にしよう」となるのだが、彼の場合、普段の汚れ固定状態に比べてプールとの平衡状態の方が清潔だったわけだ。その彼も今は某大学の先生である。(今は清潔にしていると思われる。)

[最終稿:2009年11月1日]


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