知能型ロボットとどう付き合う? [2015年9月22日]

 このところロボットの研究開発がよく話題に上ります。日本はこの分野で進んでいるようで心強く思います。
 ロボットといえば、私はまず鉄腕アトムを思い浮かべます。鉄人28号のように人間に操縦されるだけのものは機械にしか見えません。例が古いなあという人にもう少し現代の例を挙げるとすると、アイ・ロボットはロボット、サロゲートは(人間と見分けがつきませんが)機械ですね。その意味でアバターは機械ですが、映画の最後ではロボット(というか主人公が乗り移ったもの)になりますね。
 ま、子供のころ最初に出会ったロボットの話というのが鉄腕アトムだったりオズの魔法使いに出て来るロボットだったり、自力で人間と意思疎通するものだったので、そういうイメージを持っているだけのことです。もちろん現在の私は、意思疎通できなくても災害現場や原発の中といった危険な場所に出向いて作業をするものや産業用に決まった場所で決まった作業をするものも重要 ― いやそれこそ火急の開発が必要 ― と思っています。でも今回は自力で人間と会話するロボット(本当の意味で意識を持っているかどうかはともかく)を話題にしたいので、以下それを知能型ロボットということにしましょう。

 最近、知能型ロボットの役目として友達やパートナーの役目が注目されているというニュースや新聞記事をみかけました。私は自分ではAIBOやアシモ君をナマで見たことすらありませんが、パートナーとしての役割が重要となることは想像に難くありません。喋らない動物のペットでさえ愛情疎通(これは本当の愛情疎通でしょう)できるのですから、長年AIBOとともに過ごした人が壊れてしまったAIBOの葬式や供養をするのは理解できます。記事によると、最近の研究を駆使したロボットは相当本格的な会話ができるということなので、これは体験してみたい気もします。学習能力があるものは、ご主人様の知識や嗜好まで学んで行って絆を深めて行くらしいのです。
 このような知能型ロボットは単にご主人様にさびしい思いをさせないばかりでなく、体調の変化を検知して主治医に報告したりオレオレ詐欺(最近はそう呼ばないらしいですね。何というんでしたっけね)に引っかかるのを止める役目や、さらには徘徊に出るのを止める役目、あと家庭や職場のセキュリティー保持なども考えられるので、今後の需要の拡大が想像されます。

 このように便利でかつ人生を豊かにしてくれそうな知能型ロボットですが、バラ色の近未来を想像する一方で、そのような知能ロボットに自分を完全に委ねてしまっていいのか、どう付き合って行ったらいいのかという疑問もムクムクと出てきました。
 この手の「意思疎通型」のものとして、フィクションでなく実在のもので私の記憶の最初のものは、何十年か前はそこそこ有名でしたが、ELIZAというものです。これは人間のような外見をしているわけではなく、電子チャットのようなやりとりを返すことができる最初のプログラムです。これも私は実際に会話してみたわけではありませんが、大がかりな知識データベースを持っていないシンプルなプログラムのわりに、油断して会話していると知能があるかのように感じられるということです。具体例はELIZA(ウィキペディア)を見てください。知識データベースを持っていなくてもこの程度できるのですから、データベースを持っていたり、上位下位概念の構造のデータも持っていたり学習機能もあったりすると、その反応がかなりリアルなものになることは想像に難くありません。

 しかしです。仮に私がそのようなロボットと本気で意見交換したり喜怒哀楽を見せたりして、長いこと付き合ったとすると、私の思考形態や嗜好・感情・反応の仕方をかなりの程度学習されてしまいそうです。それがそのロボットにとどまっていればいいのですが、ロボットの中に蓄えられた「私」についての電子データが良からぬ人や組織や国に送られてしまうと、どこかわからない所で、何か新しい事態に対する私の対処法のシミュレーションがなされてしまうかもしれません。それは恐ろしい気がします。ペットのように私の手元に居続ける場合や、人間のように他人が徹底分析して「私」についての情報を洗いざらい引き出してしまうなんてことができない場合はいいのですが、電子データになってしまうと漏洩・拡散をまぬがれません。それはいやだなあと思います。単純な処理しかしていないであろうAmazonでさえ、私の嗜好をよくわかっているなぁと唸らせる提案をして来ます。「以下のおすすめ商品は、お客様がこれまでに購入された商品、または既にお持ちの商品に基づいて紹介させていただいています」とかいって。まあ特に問題はないので便利だからAmazonのお世話になっていますが、よく考えると若干気持ち悪い感じもします。
 要するに電子データとして抜き取られてシミュレーションされる可能性があるという時点で、人とのコミュニケーションのような対等なコミュニケーションではない感じがするわけです。こっちがご主人様だと高をくくって便利だとか心が癒やされるとか思っているうちが花で、実は知らぬが仏。バラ色の未来は恐怖の未来に変わったりしないでしょうか?

[2015年9月22日 記]


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