◆◆◆ そのほかの桜があるところ ◆◆◆ | ||
◆ 市立道明寺南幼稚園 ◆ | 道明寺南幼稚園の桜(西側正門前より) 2022(令和4)年4月 合成パノラマ | |
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園庭の面積の割にはたくさんの桜があります。10本余りのソメ イヨシノが園舎の高さを越える大きさに育っています。道明寺南 幼稚園は1973(昭和48)年に開園しているので、その時に植えられ |
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とすれば50年ほど経っており、ソメイヨシノとしては最も勢いのある時期ではないかと思われます。しかし、近年関西地域でも広がってい るクビアカツヤカミキリの被害があったのか、数年前の撮影の時に比べると2,3本減っていました。 西側にある正門の両脇にも桜があり、満開時には桜のアーチとなって園児を迎えてくれていました。残念ながら、正門左側にあった最も 大きな桜は姿を消しており、切り株だけが残っていました。それでも、この園庭の桜は存在感があり、この前を通って登校する隣接の道明 寺南小学校の児童にとっても、新学年の春の通学の光景を強く印象づける桜並木です。公園などと違い、自由に入って花見をすることなど はできませんが、フェンス越しに道路から見る桜でも十分に楽しむことができます。 ![]() |
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◆ ひかりこども園ホール ◆ | ホール園庭の桜(東より) 2023(令和5)年4月 合成パノラマ | |
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こども園ホールの園庭に、9本のソメイヨシノが見られます。保育施設なの で中に入っては見られませんが、東どなりの「大井5丁目ふれあい広場」から 眺めることができます。 ![]() |
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◆ 市立道明寺中学校 ◆ | 道明寺中学校の桜(北西より) 2022(令和4)年4月 | |
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道明寺中学校は1970(昭和45)年に市内2校目の中学校として開校しました。敷 地北側の本館校舎の前庭に20本ほどのソメイヨシノが並んでいます。桜にとっ ては決して条件の良い地面ではありませんが、それでも50年ほど経った木は立派 な桜並木に育っています。 ![]() |
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◆ 市立道明寺東小学校 ◆ | 道明寺東小学校の桜(北より) 2023(令和5)年4月 | |
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桜の後ろのフェンス越しには近鉄道明寺線が通っています。その後ろの石垣 と高い法面は石川の堤防です。背後のマンションが建っているのは石川の向こ う岸です。ここの桜はすべてソメイヨシノで、6本が見られます。写真は学校 前の道路からの眺めです。 ![]() |
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◆ 市立藤井寺北小学校 ◆ | 藤井寺北小学校の桜(北西より) 2023(令和5)年4月 | |
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市内で最も後の7番目に開校した小学校です。市の中心部から離れているた めか、付近を通行する人は少ない場所です。校区内にはまだ田畑も多く、校舎 の窓から見える景色も広々とした眺めです。正門のある北側道路沿いに10本の ソメイヨシノが見られます。 ![]() |
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◆ 四天王寺学園 小学校・東中学校・東高等学校 ◆ | 四天王寺学園前の桜(東より) 2023(令和5)年3月 | |
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この場所にはかつて藤井寺市のランドマークでもあった近鉄藤井寺球場があ りました。跡地は学校用地と一部は分譲マンションになっています。 四天王寺学園の小・中・高校は、2009(平成21)年4月の小学校開校が始まりで した。桜が植えられた頃は東側部分の校舎はまだなく、苗木にもよく日が当たっ ていました。その後の中・高校開設による校舎増築で、北側にある桜にとって |
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は条件の悪い場所となってしまいました。経過年数の割には成長が鈍いのもそのためと思われます。現在11本のソメイヨシノが校舎正面 の道路沿いにありますが、もう10年も経てばけっこう見応えのある桜並木となることでしょう。すぐ前を走る近鉄電車から立派な桜が見 られる日が来るのもそう遠くはないと思われます。 ![]() ![]() ![]() |
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◆ 藤井寺市役所 ◆ | @藤井寺市役所の桜(北西より) 2024(令和6)年4月 | |
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市庁舎北側(正面入口前)は「ふれあい広場」となっていて、そこに桜やケヤキ などの樹木があります。そこに4本のソメイヨシノが見られますが、写真@でわ かるように、まだ植樹されてから何ほどの年数も経っていない幼木です。 実は、以前にはここにソメイヨシノの立派な古樹がありましたが、残念ながら 4本とも枯死してしまいました。替わりの木として、市民の寄付金によって植樹 されたのがこの苗木です。まだまだ小ぶりな桜ですが、撮影した日、写真左端の |
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桜の横では、一組のご家族がお花見をされていました。シートの上で親子4人が食事の最中でした。一瞬「えっ、ここで花見?」と思いま したが、おそらくご近所の方なのでしょう。わざわざ遠出しなくても、このご家族にとっては身近な所で楽しめる“マイ花見スポット”な のだと思います。もう少し桜が大きく育った頃には、ほかにも花見に訪れる家族連れが増えていることでしょう。 |
写真Aの右側の桜は、2019年に枯死してしまい ました。中央に見える桜も2020年夏に落葉してし まい、枯死しました。2021年春にまともに花を咲 かせたのは、一番東側の1本だけでした。古木に なっていたことやクビアカツヤカミキリの被害な どによるものだったようですが、もともと、広場 建設時に周囲にコンクリートブロックを敷き詰め たことで、樹勢の衰えが始まったのではないでし ょうか。根の呼吸条件が悪くなり、夏にはブロッ クが高温になって根元を熱し、さらにはブロック |
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A庁舎前にあった枯死する前の桜 (北より) 2012(平成24)年4月 |
B旧庁舎前にあった桜(北西より) 中央玄関の両側に2本ずつあった。 |
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からの照り返しで枝葉も影響を受けたことでしょう。庁舎建て替え後、この桜の花付きの悪くなった様子が気になっていました。 枯死した桜の木は、旧市庁舎前の玄関両側にあったもの(写真B)を、庁舎改築後もそのまま残したものです。現庁舎は旧庁舎の裏庭だっ た部分に建てられており、旧庁舎跡地は新庁舎の前庭広場となりました。そこに造られたのが「ふれあい広場」です。 旧庁舎が完成したのは1965(昭和40)年10月でした。まだ「美陵町」の時代で、前回東京オリンピックの翌年のことです。以来50数年間 育ち続けて立派な桜になっていただけに、次々と枯死していく姿が痛々しく、大変残念な思いがしました。 ![]() |
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◆ サンヴァリエ春日丘(UR都市再生機構) ◆ | サンヴァリエ春日丘の桜(南東より) 2023(令和5)年4月 | |
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この場所は戦前の昭和初期に、大阪鉄道(現近鉄)が藤井寺球場の開設と同時 期に球場の南側一帯に開設した「藤井寺教材園」の一角です。その広大な敷地 は、当時の藤井寺町と隣の高鷲村(現羽曳野市)にまたがっていました。その頃 の境界が現在にも引き継がれており、サンヴァリエ春日丘の敷地内には藤井寺 市と羽曳野市の境界が存在します。写真で桜が並んでいる場所は藤井寺市側で |
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すが、後ろの住宅棟は両市にまたがっています。この付近の市域境界は複雑で、団地の西側にある大阪緑涼高校も校地の真ん中に境界が存 在しています。大阪緑涼高校も教材園の跡地にできた学校で、近年までは女子短期大学と併設でした。 ![]() 1960(昭和35)年2月に入居の始まった団地の名前は「日本住宅公団春日丘団地」でした。都市再生機構となり高層化された段階で団地の 名称が変わり、地区名も「春日丘新町」となりました。旧団地敷地の約半分は民間に売却されて、戸建て住宅が並ぶ街となりました。 団地内の桜は、中央道路に沿ってやや分散気味に植えられています。そこそこの大きさになっているので、数年後にはもっと立派な桜景 観が見られることでしょう。19本のソメイヨシノが見られますが、東側に離れた府道沿いには数本の八重桜の幼木もあります。 |
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◆ 府営藤井寺道明寺住宅 ◆ | 藤井寺道明寺住宅の桜(南東より) 2023(令和5)年3月 | |
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大阪府の人口急増の兆しが見られた昭和30年代、現在の藤井寺市域でも何ヵ 所かの府営住宅が次々と建設されました。土師の里駅や道明寺駅から約1kmの 所にできたのが藤井寺道明寺住宅です。この場所はすぐ近くに大型・中型の前 方後円墳や小古墳が集中しており、古市古墳群の中心とも言える地域です。 |
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この府営住宅の用地内にも盾塚古墳・鞍塚古墳・珠金塚珠金塚(しゅきんづか)古墳という3基の古墳がありましたが、府営住宅建設によってそ の姿を消しました。住宅地開設当時は戸建平屋の住宅が並ぶ「府営道明寺南住宅」でしたが、平成時代になってから建て替え高層化事業が 行われ、「府営藤井寺道明寺住宅」となりました。藤井寺市内の府営住宅の名称は、現在はすべて「府営藤井寺○○住宅」という形式に統 一されています。高層化によって生まれた余剰地は公園や駐車場に転換されました。中央の公園には、かつて存在した「帆立貝形前方後円 墳」の盾塚古墳を模した形と大きさが表されており、緑の広がる古墳公園になっています。 写真の桜が見られるのは住宅地敷地の西端の場所で、ここには6本のソメイヨシノがあります。配置の様子から、以前にはもっと多くの 桜があったのものと推察されます。古墳公園の入口近くにも2本の大きなソメイヨシノがあります。幹の太さを見ると、旧府営住宅時代か らの木が、位置がうまく合って残されたものと思われます。今後も無事に育ち続けることを祈りたいものです。 |
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◆ 川北公園 ◆ | ◆ 小山藤の里町 ◆ (小山都市下水路添い) | ||
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2002(平成14)年に開設された公園ですが、植樹された桜が立 派に育っており、9本のソメイヨシノが見られます。大和川の 北岸堤防に接して公園は在ります。スーパー堤防の構想に基づ いて堤防北側の土地がかさ上げされていて、そこに府営藤井寺 川北住宅や公園、国の大和川河川事務所が設置されています。 堤防道路は府道で、サイクルロードに指定されています。 |
小山藤の里町は新しい住宅地として昭和30年代初めに造成され ました。その頃の植樹だとすれば、桜の樹齢は60年以上になりま す。樹勢の弱った木もあり、最近は枯死によって本数は減ってきた ようで、新しい苗木に代わっている部分もあります。現在では10 本のソメイヨシノが見られますが、虫害を被っている木もあり、今 後の桜景観の衰えが心配されます。 |
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川北公園の桜(南西より) 2024(令和6)年4月 後方の建物は府営住宅。右端は大和川河川事務所。手前は堤防道路。 |
小山藤の里町水路沿いの桜(北より) 2023(令和5)年4月 虫害に見舞われ、根元には対策用のネットが巻かれている。 |
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◆ どうみょうじ高殿苑 ◆ | どうみょうじ高殿苑の桜(北より) 2022(令和4)年4月 | |
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「どうみょうじ高殿苑」は2008(平成20)年に開設されました。以前この場所に は1934(昭和 9)年に開業したサントリー道明寺工場がありましたが、2004年10月 に操業を停止して解体されました。道明寺村時代から70年間の操業でした。跡地 にできたのが「どうみょうじ高殿苑」です。社会福祉法人・邦寿会が運営してい |
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ますが、邦寿会を創設したのはサントリー創業者の鳥井信治郎氏でした。 ![]() ![]() 写真で見える桜は7,8本ですが、施設内の桜は全部で11本のソメイヨシノがあります。植樹されてからまだ10数年ですが、玉手橋と 道明寺駅の間を通勤・通学で通る人々の目を楽しませてくれます。もう10年もすれば、立派な桜景観となっていることでしよう。 |