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◆◆◆◆ 元 市立藤井寺市民病院 ◆◆◆◆ |
支藤井寺市民病院は、2024(令和6)年3月末で閉院しました。70数年に渡り地域医療の中心として利用 されてきましたが、周辺に次々と総合病院が開設された今日、市民病院はその役目を終えました。市の施 設リストからはその名称は消えましたが、地域の歴史を知る上ではこの病院の存在は大切な材料を提供し てくれます。その資料価値を考慮して、施設廃止後も従来掲載してきた当ページをほぼそのままの形で引 き続き残しておきたいと思います。 |
(ふじいでらしみんびょういん) 〈元所在地〉藤井寺市道明寺2-7-3 近畿日本鉄道南大阪線・道明寺(どうみょうじ)駅より南西へ約300m徒歩約5分 国道旧170号・道明寺交差点から東へ約370m 敷地面積:4,170.56㎡ 延床面積:5,327.75㎡(本館ほか3施設) 開設:1950(昭和25)年11月 閉院:2024(令和6)年3月31日 |
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① 元 藤井寺市民病院正面(北西より) | ② 元 藤井寺市民病院(北東より) | |
①②とも 2011(平成23)年12月 この年の3月、耐震補強・リニューアル改修工事が完了している。 |
始まりは国民健康保険病院 藤井寺市が誕生した1966(昭和41)年11月、市内にある総合病院は現在の藤井寺市民病院だけでした。藤井寺市は二つの町、旧藤井寺町と 旧道明寺町が合併してできた市です。病院は旧道明寺町が運営する病院でした。 藤井寺市民病院の前身は、1950(昭和25)年にできた「道明寺村国民健康保険直営道明寺病院」です。町制施行前だった道明寺村は、昭和 24年4月1日に国民健康保険を実施しました。翌年にできたのが道明寺病院で、主として道明寺村国民健康保険被保険者の診療を目的とし ましたが、その他一般にも利用させることができるとしていました。診療は入院・外来・往診の3種で、診療科は内科・外科・小児科・放 射線科、病床は24床でした。『藤井寺市史第二巻・通史編3近現代』によると、昭和26年度の「特別会計国民健康保険予算」に計上された |
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た人件費では、医師5名、薬剤師1名、看護婦5名、運転手1名となっています。 病院開設の翌年、昭和26年に町制施行で道明寺町が誕生し、「道明寺町国保直営道明寺病 院」となりました。その後、藤井寺町と合併して藤井寺道明寺町、さらに改名・美陵町(みささぎち ょう)となり、その間「藤井寺道明寺町国保道明寺病院」、「美陵町国保道明寺病院」と改称して きました。 1966(昭和41)年11月1日に市制が施行され、「藤井寺市」が誕生しました。市制になってか ら「藤井寺市国保道明寺病院」でしたが、1968(昭和43)年に国保施設から一般公立病院に変更 となり、「藤井寺市立道明寺病院」に改称されました。さらに、1987(昭和62)年には、「藤井 寺市立藤井寺市民病院」という名称に変更されました。その間、何度も増改築を重ね、市民の 医療需要の要望に応える努力がなされてきました。 |
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③ 発足当初の道明寺病院(北東より) 『藤井寺市史・第二巻 通史編3・近現代』より |
市民にはよく利用されていた市民病院ですが、建物や機器の老朽化、耐震補強の必 要性、病棟や治療施設の手狭さなどから、一時は移転新築の計画が具体化しました。 しかし、市の財政事情などから、移転新築については疑問の声も少なくありませんで した。長年市民が慣れてきた、駅から近いという条件も大きな要素でした。やがて市 長選挙の争点ともなり、結局移転新築は見送られて、従来の場所で耐震補強の改修、 新館増築、機器の更新・導入などを進めていくことに落ち着きました。 総額14億6千万円をかけた補強・改修工事が、 平成21年度から始まり、23(2011) 年3月に完了しました。すっかりきれいになった建物や新しい設備で治療が行われて いました。 診療科として内科・外科・整形外科・小児科・消化器外科・乳腺外科があり、その ほかに放射線科、リハビリテーション科、検査科・栄養科・薬局・地域連携室なども ありました。地域連携の活動として、在宅医療や介護連携支援なども行われていまし た。病棟は、一般病床98床という規模で運営されていました。 |
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④ 美陵町時代の道明寺病院(北東より) 1964(昭和39)年 |
役目を終える「藤井寺市民病院」 建物を改修・補強し機器の更新・導入も進めてリニューアルされた市民病院でしたが、最近では医師不足等により診療機能が低下するな どして、収支状況が急速に悪化してきました。2022(令和4)年度には外部有識者から成る「市立藤井寺市民病院あり方検討委員会」が設置 され、市民病院の今後についての総括的検討が行われました。その結果、民間活力の導入と他の医療機関への機能移転を行うべきであると の意見に集約されました。2023(令和5)年9月5日に「市立藤井寺市民病院のあり方に関する基本方針」が策定され、市民に発表されまし た。その中では、「市民病院は、令和6年3月末日をもって閉院(廃院)する」という前提が示されています。つまり、令和5年度いっぱい で藤井寺市民病院は廃止されるということでした。 それまで総合病院が一つも無かった旧道明寺村・旧藤井寺町の地域に誕生したこの病院は、この地域の人々にとっては有り難い存在でし た。藤井寺市のような人口規模で、市直営の病院が今日まで運営できていたことがむしろ不思議なぐらいです。現在では、市内や隣接の羽 曳野市内でいくつもの民間総合病院が運営されています。藤井寺市立の病院が役目を終える時期を迎えたということでしょう。73年半に 及んだ藤井寺市民病院の歴史が幕を閉じました。検討の経過や基本方針の内容については、下の基本方針全文を見てください。 |
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藤井寺市サイト「市民病院あり方検討室>市立藤井寺市民病院のあり方に関する基本方針」より |
「藤井寺市民病院」閉院が決定 2023(令和5)年9月28日、藤井寺市民病院のサイトに「市立藤井寺市民病院の閉院について」という告知文が掲載されました。上記 にあるように、かねてより示されていた基本方針の通りですが、やはり寂しいものを感じざるを得ません。全文を紹介します。 『 市立藤井寺市民病院の閉院について 令和5年9月27日、藤井寺市議会において、藤井寺市病院事業の設置等に関する条例を廃止する条例が可決されましたので、 令和6年3月31日をもちまして市立藤井寺市民病院は閉院することになりました。 当院は、長年、藤井寺市の地域医療の中核を担って参りましたが、医療を取り巻く状況が大きく変わり、病院運営の継続が難 しい状況となりました。また、病院建物の老朽化も重なったため、藤井寺市として苦渋の決断ではありますが閉院が決定された 次第です。 閉院により、患者様には大変ご不便・ご迷惑をおかけしますが、近隣医療機関等と連携・調整し、今後も適切な医療が受けら れますように尽力して参ります。何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。 令和5年9月28日 市立藤井寺市民病院 院 長 内 本 定 彦 』 |
藤井寺市民病院サイトの「病院紹介-概要」にあった「沿革」をもとに作成した年表を紹介しておきます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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