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泥鰌鮓祭 (5月3日 三輪神社 栗太郡栗東町大橋)
 三輪神社氏子によって漬けられた泥鰌や鯰を春の大祭に奉納する。これは三輪神社の神使である白蛇に差し出していた人身御供の代わりに泥鰌鮓を供えたことに始まる。
 以前は地区内を流れる中ノ井川で泥鰌と鯰を捕ったが、今はあらかじめ購入しておいた泥鰌と鯰を9月に新米とたで粉、塩でつける。祭りの当日、泥鰌鮓、豆腐、突き抜けのご飯、生の小芋三個を串刺しにしたもの、タラの干し物を串刺しにしたもの、タツクリ、さいの目に切った豆腐に青粉をかけたもの、賽の目に切った大根、賽の目に切ったかぶらに青粉をかけたもの、豆の水煮の十品を膳に盛り供える。参拝者にも食せるよう大皿に泥鰌鮓が盛られている。
 この泥鰌鮓は湖国での特産品とされる鮒鮓よりも古い、といわれている。

泥鰌鮓の作り方
 材料 新米 5.3kg
     塩  1.5g
     泥鰌 5.3kg
     鯰  10尾
     タデ粉 6から6.5g
     タデ茎 少量
1.新米5.3kgを少量のコゲ飯ができるように炊き、コゲ飯は別に取っておく
鮓漬けは9月秋分の日の早朝よりおこなわれる
2.タデは神事当番の庭で栽培され、土用の入りまでに刈り取り、十分に陰干しにし、手もみで細かい粉にする。タデ粉を水で十分に洗い固く絞る。
3.タデ粉をさました飯に均一になるよう混ぜ、さらに塩1.3リットルを入れかき混ぜる。
4.生きた泥鰌をまず水洗い。
5.いきた泥鰌を塩でしめる。泥鰌がかなりの勢いで跳びはね、やがて泡を吹き白い腹を見せる。
6.筵の上にすし桶を置き、調整したすし飯の5分の1桶の底に平たく広げてで押さえる。
8.すし飯をいれ、当日までに背開きし水でよく洗った鯰3から4尾入れ、少量の塩を加え手で押さえる。
7.全量の4分の1の泥鰌を入れる。
9.2段目と3段目には鯰をいれず、すし飯と泥鰌を交互に入れ、均一にひろげ手で押さえる。
10.4段目はすし飯と泥鰌の上に鯰を広げ、その上にすし飯を入れ、手で押さえた後、上にこげ飯を並べる。
11.タデ茎を上に並べる。
12.サンダワラを入れ、その上に三ツ網縄を桶のまわりに入れる。

13.重石を載せ、、新しい俵で桶をおおい、注連縄を巻いて完成。
5月3日の大祭まで待つ。

5月3日三輪神社大祭
 氏子たちによって、泥鰌鮓をはじめ神饌が供えられる。
泥鰌鮓、豆腐、突き抜けのご飯、生の小芋三個を串刺しにしたもの、タラの干し物を串刺しにしたもの、タツクリ、さいの目に切った豆腐に青粉をかけたもの、賽の目に切った大根、賽の目に切ったかぶらに青粉をかけたもの、豆の水煮の十品を膳に盛り供える。
いよいよ社参。

塩切りをしないで、そのまますし飯でつけるので泥鰌はつぶれ気味だが、泥鰌の姿残っているものもあり、またタデを入れるため、外観はよもぎ団子のようだ。
泥鰌のなれ鮓は「目近大名」という狂言に登場し、室町の頃はたいそうなご馳走であったことが窺える。

餅搗き祭り (5月4日 出庭神社 栗太郡栗東町出庭)
 5月3日、約3斗のもち米を搗いて鏡餅にする。鏡餅をついた後は「勝手餅」を搗く。勝手餅は鏡餅の何倍かの量になる。搗きあがった餅を鏡餅にするとき、五升の小豆を板の上に敷き詰めその上に鏡餅を置き、餅の上面へも生の小豆を振付ける。生の小豆のぼた餅だ。

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