春を呼ぶ川道のオコナイ
「ワッショイ、ワッショイ、荒れじまいだ!」湖北に春を告げるびわ町川道の民俗行事・オコナイが二月二十八日夜、地元の川道神社を中心に、にぎやかに繰り広げられる。この夜は宵宮で、明日三月一日が本日となる。オコナイは、滋賀県内の各地で見られるが、特に湖南の甲賀郡内や湖北地方一帯に多く残り、村内安全、五穀豊穣を目的とした予祝儀礼の一種である。天台宗総本山延暦寺では、元日より三日までの三日間、修正会法要が営まれ、鎮護国家・天下太平とあわせて、初詣の人々の攘災招福祈願が行われる。この修正会天台文化と、村民の間で伝えられる神祇信仰の年頭行事が習合した形でオコナイが成立した、といわれる。つまり、オコナイの起源は少なくとも平安時代までさかのぼれることになる。湖北地方では毎年一月から三月にかけてオコナイが行われるが、川道のオコナイはその最後を飾るかのように組織、行事ともスケールの大きさで知られ、川道のオコナイが終わると湖北に春が来るという。同地区には下村、東庄司村、東村、川原村、藤ノ木村、中村、東村、西村という七組があり、二月二十日から各組の頭屋(当番家)で玄米つき、粉ひきなどが行われ、二十七日に男子だけが当番家に集合し一個一俵分の鏡餅をつき、二十八日の宵宮の献鏡に備える。この夜は、酒盛りをした氏子、若衆たちが小雪の舞う午後九時を合図に各当番家から、高張りちょうちんに先導されて出発。中でも襷がけの青ハッピ、草鞋履き姿の若衆八人が直径一メートル、重さ八十キロもある鏡餅を乗せたみこし型の「屋台」をかついで村中を練り歩く姿は勇壮で、約半時間後、境内に七基の屋台と約百人の若衆たちが集まる。境内はちょうちんの灯が揺れ動き、各当番家の若衆たちが酒の勢いで屋台とぶつかりあう光景などが見られ、熱気にあふれる。午後十時すぎ、氏子総代が「おめでとうございます」と挨拶した後、各屋台から鏡餅が氏子たちに抱えられようにして一つずつ神前に奉納される。
翌日三月一日は本日で、午後一時から拝殿の献鏡された鏡餅を前に各組の頭屋が列席し祭典が営まれる。祭典の間、各組の人がお鏡を参りに来、自組の鏡餅の自慢を大声で面白おかしく叫ぶ姿は厳粛な祭典と好対照だ。祭典が終わると鏡下げとなり、各組の頭屋へ持ち帰り、鏡開きとなる。
肥後和男の『近江に於ける宮座の研究』(1938年)は近江におけるオコナイの調査・研究で著名だ。オコナイは「お鏡」を搗き、夜を徹して奉仕し、神仏に供えることを中心に展開していることが分かる。「お鏡」こそがオコナイの核心であり、穀霊・祖霊の象徴である。「鏡割り」は、祖霊や神霊のミタマを食べることによって祖孫一体の意識が強められ、同時に人間の霊魂の力の甦新を図る正月の意義が打ち出されるのである。鏡餅を神饌とするマツリも多いけれども,オコナイのように「お鏡」が神饌であるだけでなく、それが全行事の中心となるようなものは見られない。オコナイが他のマツリと著しく相違するのは「お鏡」にあると思うのである。
と述べている、湖北におけるオコナイの特徴をうまく言い現している。
オコナイについてより詳しくお知りになりたい方は次の文献をお読みください。
柳田国男「春おこない」(『年中行事覚書』定本十三巻)1937年
肥後和男「近江に於ける宮座の研究」『東京文理科大学研究紀要十四号』1938年
井上頼寿『近江祭礼風土記』滋賀県神社庁 1960年
中澤成晃『近江の宮座とオコナイ』岩田書院 1995年
中島誠一『湖北のまつり』長浜城歴史博物館 1986年
『近江のオコナイ』 長浜城歴史博物館 1990年
長浜市宮司町日枝神社
花餅
湖北町延勝寺飯開神社
エビとマユ玉
甲西町三雲妙感寺
生御膳
水口町松尾願隆寺
ダルマの餅
びわ町川道「川道神社」 オコナイ2月23日から3月1日 |
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