「世界でいちばん面白い英米文学講義」 (A Dab Of Dickens & A Touch Of Twain)

 題名の通り、これほど面白い本は最近読んだことがない。世界の文豪12人を紹介している本書は、単なる文学論ではなく、名作が生まれるに至った過程を、ごく身近に紹介してくれる。作家の生い立ちや私生活をはじめとして、文学論まで幅広く解説してくれているが、決して退屈しない。珠玉のとっておきの話が随所にちりばめられている。

 「失われた世代」は自動車修理工の言葉だったとか、D.H.ロレンスの文学は白馬に乗った王子様の物語だとか、シェークスピアの悲劇は「ハンプティダンプティ」の卵だとか、文学を学問的な言葉ではなく、身近な例で分かりやすく解説してくれる。文学におけるアイロニーの定義にしても、読んでいて目からうろこが落ちた。

 原文は受験英語のような文体だが、訳文は読みやすい。ぎこちなさがないので、生き生きとした世界がそのまま味わえる。あまりにも面白いので読み終えるのがもったいなく、1日に1人の作家というように、少しずつ味わって読んだ。

 あまりにも面白いので、原書で読んでみると、いくつかのあれ?があった。日本語版では12人の作家が取り上げられているが、原書では17人の作家が紹介されている。日本語版の定価は税込み2400円。原書は、17.95ドル。原書の方が値段が安く、多くの作家が網羅されている。物価などの違いがあるのかもしれないが、内容を3分の1も削っておきながら、原書よりも高い値段で売っていいものだろうか。食品などは、商品に100g単価が明記されているが、書籍も100字の単価を記入してはどうだろう、などと言えば、知に対する無知だろうか。

 削られた5人の作家はほとんどが詩人だ。詩人であり小説家でもあるトマス・ハーディは、映画「テス」の原作者でもあり、日本人にもなじみの人なのではなかろうか。エミリー・ディキンソンなどは、この時代(1830-1886)にこのような人がいたのかと、驚くほど魅力的だ。ジョージ・エリオットは、感じたことではなく、考えたことを詩に表現し、すばらしい作品を残したとか。何かと言えばみずみずしい感性と、文学では感性ばかりがありがたがられるが、そんなものは薄っぺらいのだ。このような面白い内容を削ったのかと、驚きながら読んだ。

誤訳について

 村上春樹新訳の「グレーツ・ギャツビー」の作者、フィッツジェラルドのところだ。フィッツジェラルドの母親は、電話で一家が破産した知らせを聞く。以下は原文のその場面だ。

原書P290

Fitzgerald remembered that when his mother hung up the telephone and told him what lay ahead, all he could say, over and over, was "Dear God, please do not let us go to the poorhouse. Please do not let us go to the poorhouse."

日本語版P303

日本語訳:
(母親が受話器をおいたとき、「ああ神様、どうぞプアハウスに行かずにすみますように、どうぞプアハウスにだけは行かずにすみますように」と先のことを思って嘆いたのをフィッツジェラルドは覚えていて、何度も何度も繰り返し語っていました。)

プアハウスに行かないように祈ったのは、フィッツジェラルドの母親ではなく、本人だ。彼は貧乏を死ぬほど恐れていたのではないか。彼の文学世界がそうであり、彼という人物を語る上でとても大切な部分だ。


 本書では、20世紀のアメリカを代表する作家に、ヘミングウエイ、フィッツジェラルド、フォークナー、スタインベックをあげている。以下はそのヘミングウエイ。

原書P321

Four years before Hemingway killed himself, porters at the Ritz Hotel in Paris going through an abandoned storeroom had come upon two small trunks overflowing with typed manuscripts that had been stored by Ernest Hemingway in 1928, thirty years before.

日本語版P343

日本語訳:
(ヘミングウエイが自らの命を絶つ四年前のこと、パリのリッツホテルでポーターたちが使っていない倉庫を通り抜けていこうとしたとき、タイプした原稿が乗っている小さなトランクが二つあるのを見つけました。)

「タイプした原稿が乗っている小さなトランク」とは、原稿が入りきらずにはみ出しているトランクのことではなかろうか。この部分は原書を読まなくとも、日本語を一読しただけでおかしいと思うはずだが、誰も思わなかったのだろうか、と私は思うのですが、みなさんはそう思いませんか。

 あとがきで訳者は「エンゲルさんが引用する作家の言葉に誤訳があってはバチがあたる」とか、「日頃翻訳やら文学談義をしている仲間たちに出来上がった訳稿を読んでもらいました」と書いていますが、それなのにどうしてこのような単純な誤りをしたのだろうか。

エリオット・エンゲル著 藤岡啓介訳 草思社



読んだ内容は

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