文学shortコラム (アメリカ文学)


 ピューリタニズムとトランセンデンタリズム

 前回はアメリカの独自の文芸開花についてでしたが、今回はその精神風土となったピューリタニズムとトランセンデンタリズム(transcendentalism / 超絶主義 - 個人の尊厳と精神の優位を主張した観念論的ロマン主義の総称)についてです。

 ピューリタンは理想に燃え、誘惑を悪とみなし、それらと厳しく闘うという自己啓発に努めました。また、古典文学や有名な歴史的事件から隠喩を多く引用して説教をするなど、その比喩的・寓意的発想は、アメリカ文学の特色のひとつである象徴主義の下地となりました。

 トランセンデンタリズム(transcendentalism / 超絶主義)は、19世紀初頭にアメリカで広まった思想運動です。ピューリタニズムは「キリスト教の神」がその中心にありますが、トランセンデンタリズムは「神」という超越的存在を個人の中に見て、「自立した自己の精神」をその中心におきます。ここでいう「自己」とは、欲望から解放された本来的自分ということで、自我とは対立関係にあります。

 これらの超絶主義者には、『森の生活』のデビッド・ソロー、『緋文字』のナサニエル・ホーソンなどがいますが、忘れてはならないのが、エマソン(1802-1882)です。

「たそがれ時、曇り空の下、雪でぬかるむ殺風景な広場を通り抜けていると、特に幸福なことを考えていたわけでもないのに、私はある種の完璧な爽快さを味わってしまう」

「森の中、われわれは理性と信仰をとりもどす。そこにいれば私は自分の人生に自然がつぐなえないことは何ひとつないと感じる。むき出しの大地に立ち、頭をさわやかな大気に洗われて、かぎりない空間のさなかに昂然ともたげれば、いっさいの卑しい自己執着は消え失せる。」(「自然」岩波文庫)

 私は他人の意見のくびきを棄てよう。
 私は鳥のように心も軽やかに神とともに生きよう。

 私はわたしの心の底に神を見る。
 私は不断にそこに神の声を聴く。

 磁石の針はいつも北を知っている。
 小鳥はその歌声をおぼえている。
 わたしの内なるこの賢いみるものは決して誤ることはない。

 私が正しく行っている時には、ただそれに従っているだけである。

「人間が自己に内在する神と共に生き、その声を不断に聴くならば、決して誤れることはない。神を内在させている自己に絶対の信頼を寄せて、旧来の伝統、習慣、権威に服従することなく、自律的な創作活動を行って、人間の無限の可能性を開顕していくことが、人間の本来的な生存の在り方である」エマソン

 エマソンは自然を重視しましたが、美しいからではなく、自然を精神の象徴だと考えたからです。つまり、彼にとって自然は、人間の精神について学ぶために大切だったのです。彼の考えは、ソローやホイットマンに受け継がれていきます。

「人の魂はそれが置かれた周囲の環境からして、自己の本来の素性を誤解する。そして、誰か聖なる師によって真実が啓示されるに及んで、それは自らが神格であることを悟る」インドの哲人のことば。ソロー「森の生活」から

「誰かが神を見たがっているというなら、見たまえ、君自身の姿と顔を、人々を、物体を、野獣を、木々を、流れる川を、岩と砂浜を」ホイットマン

 ピューリタニズムにしても、トランセンデンタリズムにしても、その根本に横たわっているのは、社会の制約を超え、超越的存在を実感した個人の情熱ではないかという気がします。ここでいう個人の情熱とは、真実に対するひたむきさということで、特定の思想や信条を追い求める熱意という意味ではありません。


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