|
仮想のような世界
|
|
インターネット上の仮想世界は、日常の現実を模したデジタル空間ですが、そこではユーザーがアバター(分身)に扮して、さまざまな活動をします。日常世界とは異なる環境の中では、ユーザーは、日常世界ではできないさまざまなことができます。 デジタル空間の仮想世界で、ユーザーがアバターと完全に同一化すると、日常世界に生きる自分を喪失するようです。これは「本来の自分」であるはずの私たちが、真実の世界を忘れて、この世が唯一の世界だとみなし、身体と心を自分だと認識するプロセスに、とてもよく似ている気がします。 私たちは、自我というこの世のアバターに完全に同一化して、真実の世界にいる「本来の自分」を喪失したのではないでしょうか。 私たちは生まれて間もない頃は、身体や心を自分だとは思っていません。 赤ちゃんのときに、手を見たり、指をしゃぶったりして身体を認識し、他者や鏡に映る姿と戯れながら、身体は自分だと感じ始めます。身体と自分が完全に同一化すると、自分だと思うようになった身体への愛着が生まれます。 デジタル空間のユーザーが、アバターと同一化するプロセスでは、まず、ユーザーがアバターを視覚で認識します。これは、赤ちゃんが手をじっと見る行為のようなものです。 視覚で認識した後、ユーザーは、アバターの外見や行動の真似をします。これは赤ちゃんが鏡や他者と戯れるのと同じです。ユーザーが、アバターと同じ世界にいることを感じると、ユーザーとアバターとの部分的な同一化が生まれます。赤ちゃんが、それまで感じなかった、鏡に映った姿を、自分と感じ始めるようなものでしょう。 私たちは、本来、身体や心ではなかったのに、この世に生れた後、感覚器官が認識するこの世という仮想の世界の身体と心に同一化して、身体や心が自分だと思うようになったのです。身体や心という自我は、この世という仮想の世界のアバターなのです。 身体や心に同一化する前の「本来の自分」とは、すべての他者とつながった普遍的自己だったのではないでしょうか。自我というこの世のアバターに同一化することで、普遍的な自己は忘れられてしまったようです。
|