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知らないから
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生きづらさを感じたとき、ほとんどの人が自分を責めているのではないでしょうか。自分は劣っているという自己否定を、いけないとは分っていても、しているのではないでしょうか。自分とは、身体や心ではないのです。身体や心やこの世の「観察機器」ではないのです。身体や心、「観察機器」としての自我は、この世を生きるための「道具」でしかないのです。「道具」の性能が劣っていたとしても、それは使用者の責任ではないはずです。「道具」を自分だと思って、自分の真の姿を知らないこと、これこそが「無知」であり、苦ではないでしょうか。
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