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精進
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「精進」とは、もともとは「勇者たること」「勇敢さ」という意味だったようですが、仏教においては、他と比較して優劣をつけたり、勝ち負けに一喜一憂したりするのではなく、自分自身と向き合い、自分自身を見つめ、自分自身を高める努力を指すようです。仏教の根本精神である「中道」に基づいているので、努力のしすぎは精進ではないということです。 日常社会では、定められた目標に到達するための行動を「努力」と呼んでいます。努力はすればするほど良いこととされていますが、仏教では、そのような行動は「精進 / 努力」ではなく「渇望」とされているようです。目標に到達するという結果や成果のための「努力」だからです。成果を得るための「努力」は、「渇望」なのです。 ネイティブ・アメリカンは、白人がものを所有することによって喜びを感じたのに対して、ものを分ち合うことに喜びを感じたそうです。白人が他者に打ち克つことで喜びを感じたのに対して、自分に打ち克つことで喜びを感じたようです。ネイティブ・アメリカンとは、とても仏教的だという気がしますが、霊的な民族だったといった方がいいのかもしれません。
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