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閉塞感
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日常の閉塞感は、私たちの行動の多くが、習慣でなされていることにも原因があるように思われます。日常の行動のほとんどは、気づかないだけで、習慣で行われているのではないでしょうか。 行動の習慣化は、作業を効率よくこなすためには欠かせません。日常の行動が習慣化されると、特定の行動が自動的に行われ、考えたり努力したりしなくても、身体が自然に動きます。キーボードを見ずに指先の感覚だけで文字入力するタッチタイピングは、習得するには時間がかかりますが、習得してしまえば、指先が勝手に作業してくれます。 このような自動化は、歯磨きや着替えや食事という身近なところから、車の運転など、日常生活のさまざまなところにあります。習慣化してしまえば、特定の行動が自動的に行われるようになるので、苦労はありません。受験勉強など、あまりやりたくないことでも、習慣化させれば、それほど抵抗なく続けられます。日々の仕事にしても、多くの人は、習慣化でこなしているのではないでしょうか。効率よく行動するためには、習慣化は不可欠なのです。 私たちが人生と呼ぶほとんどが、このような習慣化された行動ではないでしょうか。ロボットのように、機械化された生き方が、私たちの日常生活ではないかという気がしますが、そのような生き方ばかりだと、人生は、単なる反射反応でしかなくなります。 人生のすべてが習慣化してしまえば、自分が生きているのではなく、習慣が生きているようなものです。感覚の世界の中で、機械化という習慣の中に、自分が閉じ込められてしまうのです。 これはある種の自己疎外です。自分が本来持っているはずの自己の本質や能力が、習慣化によって切り離されてしまい、自分が生きているのではなく、習慣化ロボットが生きていることになるのです。 以下はキリスト教の笑い話です。 ある人が死んだ。その人がたどり着いたところは、とても美しい所だった。毎日、ごちそうばかりを食べ、希望したものは何でももらうことができた。望むことのすべてがかなえられる日々が、くり返し、くり返し続くと、その人は、だんだんと何もかもに飽きて、うんざりしてきた。その人は案内人を呼んで言った。 「何かしてみたいのですが」 「申し訳ありません。何かをすることが、唯一、ここでは禁じられているのです」 それを聞いて、その人は言った。 「ああ、私は飽き飽きして、吐き気がする。これなら、むしろ、地獄の方がましだ」 すると、案内人は驚いて言った。 「あなたは、一体、どこにいるとお考えだったのですか」 ほとんどのことは機械がしてくれて、だいたいの望みはかなえられて、すべてが便利になった文明社会は、地獄のようなところなのかもしれません。 反射を本能として持つ人間は、環境に反応するだけの機械のような存在なのです。だから、苦労することなく環境に順応して、生存できるのです。生きていく中で、習慣という条件反射を身に着けると、苦労はさらに減ります。こうして、ついにはロボットとしての自分ができ上がります。でも、それは地獄です。 私たちが人生と呼ぶものは、ほとんどが、機械的な反応で成り立っています。 私たちは、喜怒哀楽など、自分が感じて反応していると思っていますが、実際は、外からの刺激に対する機械的な反応なのです。これらの感情的な反応は、条件反射を含めた、単なる反射でしかないのです。 反射と感覚の牢獄にいる人間が、そこから解放されるためには、まず、自分が牢獄にいることを自覚することから始めなければならないのではないかと思うのです。
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