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悟った状態
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悟った状態の意識とは、一点に集中しているのではなく、意識が全宇宙に広がった状態ではないでしょうか。意識の無限の拡大です。無限に広がった意識こそが、覚者の意識でしょう。それは、一点に集中した禅定の状態を経ることで、達成されるのではないかと思われます。 この意識の拡大は、薬物使用者にも起こるようです。薬物の影響を受けて、自分の意識の中に全宇宙があるという感覚に陥り、ビルから飛び下りたという事件がありました。 非日常的な変性意識の状態である禅定とは、日常における特別な体験でしょう。体験とは、あくまでも、体験に過ぎません。身体と心の感覚が生むものです。禅定の状態の体験も、薬物やアルコールで得る体験も、同じ体験です。体内の物質によって引き起こされる現象か、体外の物質が要因となって引き起こされる現象か、それらの違いがあるだけです。 体験は、身体と心の感覚が生むものなので、繰り返せば必ず飽きます。身体と心の感覚は、既知のものには、あまり反応しなくなるのです。薬物やアルコール依存で、必要量が増えるのは、そういうことでしょう。体外離脱を繰り返し体験した人が、体外離脱はもう飽きた、と言っていました。 悟りとは、身体や心の感覚が生み出すものではなく、身体や心の感覚を超えた状態であり、一時的なものではなく、永遠不滅の状態で、 飽きがあるとは思われません。悟りが体験であれば、それは悟りではないのです。ただ、悟りを伝えるとき、その状態を表現する言葉がないために、「体験」という言葉を使うことはあるかもしれません。 臨済宗に「仏に会ったら、仏を殺せ」という言葉があります。教えや指導者に依存せず、自己の内面を深く探求しろという意味のようですが、私は体験や経験を信頼するな、という意味に理解しました。つまり、悟り体験はまやかしだ、ということだと理解しています。
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