その教え  

仏教経典が伝えるブッダの教えの内容は、どれが本当の教えなのかと迷うほどに、経典によって大きく違います。このことから、仏教の教えは確立していなかったと言う人もいますが、実際に確立していなかったようです。ただ、仏教の出発点が、このように、種々に異なって伝えられているということこそが、仏教の特性そのもののようです。

ブッダは、自身の悟りを特定の教義にして、その教えを説くことはなかったようです。ブッダの説法は、相手に応じて説く対機説法です。このために、ブッダ亡き後、ブッダの悟りの内容やその教えを推し量る弟子たちが、さまざまに異なって伝えたということです。

ブッダの悟りの内容やその教えは、種々異なって伝えられましたが、結論はどの仏典もほぼ同じようです。既成の信条や教理にとらわれず、人間をあるがままに見て、できることをすべてやり、結果を受け入れて、迷いのない心安らかな境地を得ること、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)と呼ばれるこの境地が、仏教経典の行き着いた仏教のようです。

人間存在というものは、経典や聖典などで定めるような、固定的なものではありません。実際の生活の中で生まれるものです。自分という人間は、固定観念にとらわれず、純粋な心で見なければ、知ることができません。最初期の仏教の立場は、自分の中にでき上がった偏った考え方や固定観念、思い込みを捨てることだったようです。

このような立場は、思想的には、無限の可能性が生れることになります。大乗仏教が誕生して、多種多様な思想が成立した理由は、ここにあるようです。宗教は、しばしば、社会の進歩の妨げとなっていますが、ブッダのこのような立場では、進歩を妨げることはありません。



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