最初の説法  

自分という実体はあるのか、これについて、ブッダは、まず、五蘊(色・受・想・行・識)の色(身体)について説きます。

「弟子たちよ、色(身体)は自分ではない。もしこの形あるものが自分であるならば、それは病むこともなく、また色(身体)について、わが形体はかくあれとか、あるいはまた、わが形体はかくあってはならぬなどと言えるであろう。

だが弟子たちよ、色(身体)は自分ではないからして、それは病に罹りもし、また色(身体)について、わが形体はかくあれかしとか、また、わが形体はかくあってはならぬ、などということはできないのだ」

色(身体)が自分ではないことを証明した後、ブッダは、受(感覚)、想(知覚)、行(反応)、識(意識)についても、同じように語り、それらが自分ではないことを証明します。

弟子たちとの問答は続きます。

「弟子たちよ、色(身体)は常住だろうか、無常だろうか」
「世尊よ、色(身体)は無常です」
「無常なるものは苦だろうか、快だろうか」
「無常なるものは苦です。世尊よ」
「では、無常であり、苦であり、有為転変するものを、これは自分だとか、自分のものだとみなすことができるだろうか」
「それはできません。世尊よ」

色(身体)が無常であり、苦であることを証明した後、ブッダは、受(感覚)、想(知覚)、行(反応)、識(意識)についても、同じように語り、無常であり、苦であることを立証します。そして、さらに説きます。

「それゆえに、弟子たちよ、この世の過去、現在、未来における、色・受・想・行・識の一切は、それが内にあろうとも外にあろうとも、大きかろうとも小さかろうとも、優れていようとも劣っていようとも、遠かろうとも近かろうとも、自分のものではないし、自分ではないと、すべてをあるがままに、正しい叡智をもって観なければいけない。ひとたびこのように観れば、汝らは色(身体)を厭い、受(感覚)を厭い、想(知覚)を厭い、行(反応)を厭い、識(意識)を厭うようになる。ひとたび厭えば、汝らは貪欲を離れ、貪欲を離れれば解脱に至る。解脱に至れば、ふたたび以前の状態に復帰することはあるまい」

ブッダはこのように説き、それを聞いた五比丘は感動し、随喜します。こうして五比丘は貪欲を離れ、執着なく、さまざまな煩悩から解放され、解脱します。



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