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気づきと智慧
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オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルは、ナチスの強制収容所で過酷な体験をし、その体験を基にして「生きる意味(ロゴス)」を中心にしたロゴセラピー(意味中心療法)を始めます。 フランクルは人間を快楽や権力を求める存在ではなく、生きる目的や意味を求める存在だと考えます。ロゴセラピーは、どんな逆境や苦悩の中でも生きる意味を見出して、人生を肯定的な態度で生き、虚無感や絶望の克服を目指します。避けられない苦しみにどう向き合うか、向き合うその態度自体に生きる意味を見出すのです。現状は変えられなくても、態度は変えられます。そこに人間が本来的に持つ自由を知るのです。 仏教の根本真理は「一切皆苦」です。この世は文明社会も、アウシュビッツ収容所も、程度の差はあれ、どちらも「苦」にあるわけですが、より過酷なアウシュビッツの方が、人間とは何か、生きるとは何か、これらの問題を考える上での課題がはっきり見えるようです。 フランクルは、それまで心に温めていたロゴセラピーが、アウシュビッツ収容所の体験によって、裏づけられたと確信します。アウシュビッツ収容所の体験は、フランクルにとっては、卒業試験のようなものだったようです。 ロゴセラピーでは、苦悩する自分を客観視する自己距離化と、自分を超えた意味を求める自己超越を、人間固有の能力だと考えます。フランクルは、この精神的な機能を用いて、変えられない運命の中でも、人生に意味を見出し、主体的に生きる力を取り戻すことを提唱しました 自己距離化とは、観察者の態度で客観的に自分を見つめる能力のことですが、これは「気づき」です。自己超越とは、自分を超えることですが、これは「智慧」です。自分とは心や身体ではないと知ることで、心や身体である自分を超越することができます。 ロゴセラピーの自己超越とは、利己的な態度を改めて、生きる意味を見出すことですが、アウシュビッツ収容所のような場所では、生きる意味が感じられなくなります。心や身体が自分だと思うから、そのような状況で生きる自分に、意味がなくなるのです。 自分とは心や身体を超えた、理性では理解できない「究極的な意味」だと信じることができれば、どのような苦難の中でも、生きる意味は見出せます。自分そのものに、意味があるからです。 ブッダの説く「苦の真理」とは、この世は「アウシュビッツ」と同じなのだということでしょう。私たちには、その自覚がないために、自分そのものに意味があることを理解できずにいるのです。 |