目の前にある   

人間の脳の機能は、創造のためにあるのではなく、消去のためにあるようです。 人は誰でも、本来的には、その身に起こったすべてのことを思い出すことができ、宇宙で起こっていることは、どこで起こっていようとも、どんな時にでも、すべて知ることができるようですが、脳や神経組織は、実用で有用なごく一部だけを選んで知覚させているようです。

つまり、宇宙にはすべてがあり、人間はそのすべてにアクセスする能力を持っているにもかかわらず、生存には不必要な情報を敢えて削除し、日常生活を無事に送るために、必要なものや役に立つものだけを選択的に知覚しているということです。

人間の意識や精神は、個人の心にだけあるのではなく、宇宙全体に遍在していると考えるのが遍在精神説です。遍在精神のままでは、日常生活は送れないので、不要な情報や刺激は、脳機能によって選択的に削除されているということです。 脳によって「遍在精神」は、個人に限定された「偏在精神」になるわけです。この役割を実際に担うのが、心を含めた六つの感覚器官でしょう。

感覚器官による認識とは、厳密に考えれば、認識することではなく、選択によって全体世界に枠組みをはめることのようです。知覚によって認識するこの世とは、だから、限定的な世界なのです。

薬物で悟りのような体験をする人がいますが、これは脳機能を麻痺させることで、それまで遮断していた刺激や情報が直接入って来るからのようです。

薬物の影響で、多幸感や高揚感を得る一方で、不快になったり憂鬱になったりもしますが、その時の心の状態が、薬物の作用に影響を与えるようです。天国のような気持ちで薬物を摂取すれば、そこには天国が現われ、地獄のような気持ちで摂取すれば、地獄が現われるということは、天国も地獄も、目の前の日常世界も、心による全体世界の解釈にすぎないのでしょう。

私たちの本質は、宇宙空間に無限に広がる遍在意識なのに、この世に生存するために、脳によって情報を取捨選択して、特定の個人になっているようです。

悟りとは、個人としての自分しか知らない私が、私の本質である遍在精神を知ることなのではないかと思うのです。その遍在精神とは、知ることができないだけで、常に私たちの目の前にあるのでしょう。



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