小笠原紀行

2002/8/10〜15  小笠原村父島

バイクでの骨折から2ヶ月が経ち、左手の自由も戻って来た。

でも、手の回復が読めなかったので、夏の予定は何も入れていない。

そんな時、ふと気になったのが小笠原の海。

たまたま出かけた長浜で、小笠原帰りの

H原さんに偶然会ったのも、きっと何かの縁だろう。

そんな訳で、突如として小笠原行きのチケットを衝動買いしてしまった。

この時点で8月5日。あとは、行き当たりばったりで何とかなる。

が、しかし・・・

父島は、島全体が国定公園のため、全島でキャンプ禁止!

最悪は野宿でいいだろうという目論みは、見事に外れた。

小笠原村観光協会のHPで、宿の予約状況を見ると、

空いている宿は、ほんの数件のみ。

その第一候補である「民宿ちどり」(TEL 04998-2-2328)に電話してみると、

「はいはい、大丈夫ですよ。来て下さい」とのこと。

民宿ちどりのおばちゃんは、名前以外は聞こうとしない。

「大丈夫だから来て下さい」と言って電話は切れた。

いまので、本当に予約が取れたのだろうか?

とにかく宿が取れて(?)良かった! これで渡航の準備は整った。

今回は、自艇(シーショア)を担いでの渡航だ。

念願だった、自分の船で離島の海に漕ぎ出すという夢が叶う。

初めての小笠原は、僕にどんな表情を見せてくれるのだろう。

 

§

 

8月10日、朝8時。

相鉄線の希望ヶ丘駅に、ファルト(シーカヤック)を担いで到着。

予想はしていたものの、自宅から駅までの約1.5kmを、

18kgものファルトを担いで歩くのには、相当な体力を要した。

もう、疲労困憊で、息が上がっている。

電車内では、正体不明の大きな荷物を持った僕は、

明らかに周囲に迷惑を掛けていたと思う。

心の中では、「しょうがないじゃん」と開き直ってはいたけれど・・・

§

なんとか竹芝桟橋のあるJR浜松町駅に到着。

ここから、桟橋までが長かった。

炎天下の中を、汗だくになりながらターミナルにたどり着く。

フェリーターミナルには、キャンセル待ちの人が多いようだった。

ということは、船は大混雑なのだろうか?

ローソンのロッピーで購入したチケットを、窓口で乗船券と引き換える。

ここで問題発生。

混雑時期なので、ファルトは、手荷物として持ち込めないようなのだ。

仕方なく、チッキ(受託手荷物)として預け、1150円を払う。

これだったら、宅急便で送ればよかったと、後悔しきり。

乗船待ちの列に並ぶ。

これから旅発つ人々は、期待と不安の入り混じった、いい顔をしている。

かく言う僕も、その中の1人だけれど、どんな顔をしていたのだろう?

§

いよいよ、小笠原海運のおがさわら丸(通称 おが丸)に乗り込む。

2等船室は、すし詰め状態。1人半畳もない雑魚寝で、

寝返りは打てないし、足を伸ばすこともままならない。

絶海の孤島である小笠原の父島に、こんなに多くの人が出かけるとは、思いもしなかった。

もっと人気のない、のんびりした船旅を予想していたので、なんだか拍子抜けだ。

でも、最低でも6日間の休暇なんて、この時期にしか取れないのだろうから、

僕も含めた社会人にとっては、「今しかない」という感じなんだろうと思った。

§

おが丸は、10時に出航した。

竹芝桟橋が、静かに遠のいてゆく。

いよいよ25時間半の船旅が始まる。

ベイブリッジをかいくぐり、頭上にジェット機の腹を見ながら、東京湾を脱出する。

船首で感じる風は、かなり強いが、潮風が心地よい。

一旦、船室に引き上げ、ひと眠りすることに・・・

§

眠りから覚め、デッキに出てみると、船は大海原の中にいた。

力強いディーゼルエンジンの音と、風を切る音。

時速40kmのスピードで、着実に南へと向かっているのだろう。

25時間半の航海はとても長いが、

デッキから海を眺めていると、時間が経つのも忘れてしまう。

360° どこを見渡しても水平線。

夕刻になると、様々な形の雲が、美しく朱色に染まる。

そして、夜。

水平線から天頂まで広がる、恐ろしいほどの数の星々。

知っている星座を探すのにも苦労するほどだ。

はっきりと見える天の川。

優雅に天頂を横切る衛星。

まるで、宇宙船に乗っているような気分を味わう。

そして、朝。

美しい暁の光に染まる雲。はるか彼方まで伸びる航跡。

到着の時は近づいていた・・・

 

§

 

8月11日、10時半。

予定よりも1時間ほど早く、父島の二見港に着岸。

24時間半の船旅だった。

チッキ(受託手荷物)で預けたファルトを受け取り、

民宿ちどりを目指して歩き出す。

歩くこと5分。ちどりはそこにあった。

それでも、ファルトを担いだ身には、結構な距離。

おばちゃんに挨拶し、2階の部屋に案内してもらう。

2段ベットが6台並んだ部屋は窮屈そうだ。

男女別の相部屋というシステムは、YHでおなじみだけれど、

男女混合の相部屋は、今回が初めてだ。

予約の段階では、「男性のみ」という事だったけれど、

これなら、男女問わないのでは?と思ってしまった。

荷物の整理をし、落ち着いた後、今日同じ船で着いたS尾さんと昼食に出かける。

観光地らしく、昼食の相場は1000円弱と高めである。

その中でも、最も安いと思われる、ざるそば800円の店に入るが、

そばの盛りは申し訳程度。やっぱり、こんなものか。

§

昼食後、予約しておいた父島タクシーのドルフィンスイムツアーに出かける。

あいにくの雨模様の中、クルーザーに乗ってイルカ探しに出発。

1時間程船を走らせるが、イルカに出会うことはなかった。

ひとまず、父島の南に位置する無人島、南島(みなみじま)へ。

鮫池から上陸した。

歩いて、扇池まで移動する。

道中は、とがった岩のような景観。

ここ南島では、世界的にも珍しい「沈水カルスト地形」を見ることが出来る。

太古に隆起したサンゴ礁が石灰化し、雨水で侵食され、再び沈水したという。

とがった岩のようなものは、侵食されたサンゴなのだ。

扇池に到着。

ここ扇池は、宮崎駿の「紅の豚」で、

ポルコ・ロッソの隠れ家のモデルになったという場所だそうだ。

言われてみると、確かにそれらしい雰囲気。

島の外からは、洞窟にしか見えないが、

岩のアーチをくぐると、そこには美しい白い砂浜が広がっている。

自然が作り出した不思議な光景に感動する。

しばらく砂浜を歩いて行くと、海がめの赤ちゃんが、海に向って必死に歩いていた。

父島を含め、この辺りは海がめの産卵地として有名らしい。

砂浜には貝の一種「ヒロベソカタマイマイ」の半化石が見られるが、持ち出しは厳禁。

かつては、砂浜を覆い尽くすほどの数があったというが、

観光客が持ち帰り、その数は激減してしまったという。

(小笠原観光協会では、カムバックヒロベソカタマイマイキャンペーンが実施されています)

ヒロベソカタマイマイに限らず、一切の動植物、鉱石等の持ち出しが禁止されている。

また、歩くルートも決められている(杭が打たれている)ので注意が必要。

南島は、小笠原諸島の中でも最も厳しい規制の掛けられた特別保護地区なのだ。

§

南島観光が終了し、再びイルカ探しに出発。

海が時化てきた。雨が冷たくて、体が冷える。

荒海を行くクルーザーは、大揺れで、視界も悪く、イルカ探しは困難な様子だ。

途中、途中で観光スポットが案内される。

ここは、ジョンビーチ、ジニービーチ。

船は一気に北上し、父島諸島の最北端である孫島(?)へ。

結局、半日探しても、イルカには会えず残念・・・

最後の方は意地になって探してくれた船長も、申し訳なさそうにしている。

でも、南島にも行けたし、海がめの赤ちゃんにも会えたし、よしとしよう。

同じ日、S尾さんの参加したシータックのツアーでは、

24頭ものイルカに遭遇したとか。

これは、日頃の行いの差か?

今日、予定されていた花火大会は、雨のせいで明日に順延となった。

 

§

 

8月12日

天気は持ち直し、薄曇りながら、時折晴れ間も覗く中、

グレース・オーシャン・ツアーズのシーカヤックツアーに参加する。

暑くもなく、雨も降らず、シーカヤックを漕ぐには、ちょうどいい天気だ。

朝8時半頃、出迎えの車が到着し、

オーナー兼ガイドのエーちゃん、スタッフのマーちゃんと対面する。

その後、もう3人のツアー客を拾い、扇浦海岸へと向かう。

1人は、長野から来たS口さん。

あと2人は、藤沢から来たK合ご姉妹。

パドリングレッスンと、簡単な自己紹介の後、海へ。

船は、オーシャンカヤックのマリブU。

オープンデッキのシットオン、2人艇だ。

 

・・・・・マリブUは、初めて乗ったシーカヤック。

2000年夏、沖縄でのことだ。

その時は、ガイドさんが後ろで漕いでくれたので、

自分で漕いでいるのか、なんだか分からなかったけれど、

発動機を持たない乗り物に乗るのが初めてだったので、

音もなく、すーっと進む感じに、とても感動したものだった・・・・・

 

今日は、エーちゃんとマーちゃん、S口さんとK合(妹)さん、

僕とK合(姉)さんが、それぞれペアとなって漕ぐことに。

§

海上でのレッスンの後、要岩を目指して漕ぎ出す。

要岩には、トーチカが見られる。

太平洋戦争時代、この狭いトーチカの中から、大砲で米軍を迎え撃ったと言う。

沖縄もそうだけれど、一見して明るい南の島には、戦争という暗い過去があった。

要岩をぐるッと周り、エーちゃんのガイドを聞いていると、

いつの間にか流されている。

流されたついでに、豆腐岩に向かう。

四角い豆腐のような形の岩が集まって出来た小さな島。

遠目に見ると、皿に乗った豆腐のようだ。

§

トーチカのある名なしビーチに到着。

ひとしきりシュノーケリングを楽しんだ後は、昼食タイム。

スタッフのマーちゃんが、6時起きで作ったという、

おが塩(小笠原の塩)のおにぎりは美味でした。

その後、岩場を登り、トーチカの中へ行くことに。

トーチカの中には、当時の資材が未だに放置されている。

ガラスの木戸まであったけど、あれは何に使ったのだろう?

§

再び海に漕ぎ出し、海がめの産卵場所を見に行く。

ビーチから遠く離れた場所に、海がめの産卵跡がある。

直径2mほどもあるクレーターのような産卵跡が、あちこちに見られる。

ここで生まれた海がめは、また、ここに戻ってくるという。

浜の匂いを覚えているのだろうか?不思議だ。

§

扇浦海岸の少し北側にある、わだつみの浜へ向かう。

人影がほとんどない、落ち着いた感じの小さなビーチ。

熱帯魚や、サンゴの美しさに見とれ、

体が冷え切るまで、シュノーケリングを楽しんだ後、

出航地である扇浦海岸へ戻り、ツアーが終了した。

普段の僕だったら、漕ぐことばかりで終ってしまっただろう。

シーカヤックの楽しみは、漕ぐだけではないことを再認識した1日だった。

§

その日の夜は、お祭り。

昨日中止となった花火大会も開催されるはずである。

グレースのエーちゃんが、

「お祭り広場にブルーシートを広げてますから、よかったら来て下さい」

とのことで、商店でオリオンビールを買って出かけることにする。

大村海岸前のお祭り広場には、出店がずらっと並ぶ。

グレースのブルーシートは、すぐに見つかった。

程なく、昼間のツアーで一緒だったK合ご姉妹も合流。

ビールを飲みながら、いい感じになってきたところで、花火大会が始まる。

お祭り広場からすぐ近く、青灯台から上がる花火は大迫力。

火の粉が降って来そうな近さだ。

花火の重低音が、腹に響く。

すぐに終ってしまうと思われた花火は、30分以上も上がり、大満足だ。

花火の後は、みんなで盆踊りの輪に入る。

最初はまばらだった踊りの輪は、2重に、3重に、4重にと、

どんどん広がり、広場は踊る人の熱気でいっぱいとなる。

汗だくになりながら、踊り続け、盆踊りは終了した。

こんなに楽しいお祭りは、初めてかも知れない。

最後に、またビールで乾杯!

ここで、エーちゃんからの提案。

「宣伝するわけじゃないけど、明日のツアー、ジョンジニ行くけど来る?」

自己責任で、自艇持ち込みも可ということで、ほいほい提案に乗る。

単独行動ではないけれど、ジョンやジニーに行けるならいいか。

明日が、楽しみである。

宿に戻ると、酔いと踊り疲れのせいで、すぐに寝入ってしまった・・・

 

§

 

8月13日

2日連続でグレース・オーシャン・ツアーズに参加する。

朝8時半頃、昨日と同じ様に、車でのお出迎え。

ファルトを車に詰め込み出発。

車には、すでに3人のお客さんの姿。

地元父島の清瀬から参加のお2人と、東京から来たそのお姉さん。

そして、僕と同じく2日連続参加のK合ご姉妹が合流。

コペペ海岸に向かう。

急いで船を組み立てるが、他のお客さんを少し待たせてしまう。

ごめんなさい・・・

パドリングレッスン、自己紹介の後、

差すような日差しの中、コペペ海岸から出航。

これぞ小笠原といった天気で、とにかく暑い!

強烈な日差しのせいで、海は鮮やかに輝いている。

今日の組み合わせは・・・

エーちゃんが1人

地元清瀬さん(仮名:すみません名前を忘れました)とスタッフのマーちゃん組

K合姉妹組

Y田姉妹組

そして、僕のシーショアの合計5艇の船団だ。

§

岬へと向かって漕ぎ出す。

山肌には、野生の山羊の群れが見える。

結構な急斜面をうまく歩いていた。

その名前の通り、山歩きは得意なようだ。

この山羊たち、増えすぎて迷惑となっているらしい。

なので、彼らを撃つために、雇われハンターがやって来るという。

でも、ハンターの腕は不確かで、山羊たちには、なかなか当たらないらしい。

山羊たちは、僕らから逃げるように、山影へと消えていった。撃たれるなよー。

洞窟が、見えてきた。

転回が効かない、狭い水路に挑戦する。

マリブUの皆さんの後、僕の番。

狭い水路の奥まで入り過ぎ、身動きが取れなくなる。

仕方ないので、手で岩を押しやり、何とか脱出。

「なかなか出て来ないから、心配しましたよ!」

とマーちゃんに言われ、恐縮・・・

§

外洋を漕ぎ、ジョンビーチへと向かう。

途中数回の休憩をはさみ、沖合いを進む。

こうやって、淡々と漕ぐのも悪くない。

いよいよジョンビーチが近づいて来た。

少し風と波があるので、上陸の際には緊張感が走る。

無事上陸を果たすと、早速シュノーケリング開始。

流れがあるせいか、ぼーっとしていると流されていることに気付く。

昼食は、マーちゃん作、おが塩のおにぎり。やっぱり美味でした。

 

ジニービーチの見える高台まで登る途中、

ヒロベソカタマイマイの半化石を見る。

でも、持ち出し禁止なので、写真に収めるのみ。

 

高台から望むジニービーチ。

空の青さと、海の青さ、そして砂浜の白さが、

絵葉書のような美しい風景を創り出している。

僕のしょぼいデジカメでは、これが限界。

実際の美しさは、自分の目で確かめてください!

 

エメラルドグリーンの美しい海・・・

この海の美しさに感動を覚えない人はいないだろうと思った。

憧れていた海が、まさに今、この足元にある!

1人幸せを噛み締める。

こんな時、1人艇が妙に寂しく感じる。

きっとこれは、昨日2人艇に乗ってしまったせい?

§

ジニービーチに近づくにつれ、海況は厳しくなっていく。

波打ち際には、結構な高さの波が押し寄せている。

マリブU組は、勢いをつけて上陸している。

逆に、ファルトの僕は、勢いを殺して上陸した。

全員無事に、ジニービーチに着いたが、

エーちゃんの話では、ここに来るには、ぎりぎりの海況だったとか。

とにかく、来られて良かった!

人影のほとんどない美しい白い砂浜。

関東の芋荒い状態の海水浴場を見慣れた目には、楽園にすら見える。

いや、他の海と比べるまでもなく、僕の中では最も美しいビーチだ。

ここジニービーチは、ジョンビーチから歩くと、険しい山道を

1時間以上も行く必要があるというが、

シーカヤックなら、散歩気分で簡単に行くことが出来る。

(もちろん、海況によっては行けません!)

今日は、単独行動を止めて、グレースのツアーに参加して良かった!

ファルトの組立、ばらしに時間がかかってしまって、

ごめんなさい、みなさん!

§

その日の夜は、昨日と同じメンツで、お祭り広場で盆踊り。

盆踊りの最後は、大いに盛り上がり、楽しい一夜となった。

これも、エーちゃん。マーちゃん、K合ご姉妹のおかげです。

ありがとうございました!

 

§

 

8月14日

1000km先の”苦界”東京へ向けて、盛大な見送りの中を出航。

各ショップの船が、見送りのために、ずっと並走している。

(涙で滲んだ(?)写真は、ピンぼけばかり・・・)

グレーススタッフのマーちゃんが、いつまでも手を振ってくれている。

また、来るかと、ぼんやり考えていた。

 

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