沖縄日記2000 最終回

今回のルート

 

沖縄本島

 

沖縄本島中部

 

8月19日(晴れ) 安部(あぶ)〜伊計島

  今日は、朝9時くらいまで寝てしまった。朝食をごちそうになり、「おみやげは買ったのか?」とお父さんから言われ、買っていないと答えると、スーパーに行けば何かあるだろうという話になり、いっしょに出かけることになった。連れて行ってもらうだけと思っていたら、菓子、弁当なんかを買ってもらい、大変恐縮する。名護のスーパーでお父さん、お母さんにお礼を言って別れ、東海岸を南下する。国道329号、県道75、8、37、10号とひた走り、13時ごろ伊計島着。ここも、元離島で、橋でつながれている。島に渡る海中道路は、橋ではなく、埋め立てた土手の上に道が走っており、期待したよりも爽快ではなかった。

 

  早速、キャンプ場にテントを張り、水中眼鏡と、シュノーケリングの道具を借り、海に入った。岩場には、熱帯魚がたくさんいて、全然見飽きることがない。シュノーケリングでこれだけ楽しいのだから、ダイビングはさぞかし面白いんだろうな。夕方5時くらいまで潜りつづけ、海から上がった。

 

  キャンプ場の先客である豊橋ナンバーのカブ君は、旅の途中だが、ここが気に入り、海の家でバイトをしているらしい。海の家のにいさんは、神奈川の大和に家があるらしい。ご近所なのだ。世間は狭いなと感じる。にいさんはハーレー乗りだという。もう1人、遅れてハーレー乗りがやって来た。2人共、根はよさそうな人なのだが、発する雰囲気が独特で、人種が違う感じ。こういう人たちと打ち解けられたらいいんだけど、なかなか難しい。早々に、テントのところに引き上げ、これを書いている。今日で沖縄も最終日。明日は、朝9時半の船に乗らないといけない。たった4日半だったけど、ここ沖縄にきて本当に良かったと思う。暑いこともあってか、その日はなかなか寝付けず、夢うつつの状態で、何時間も横になっていた。遠くで三線の心地よい音色が聴こえている。それを聴いているうちにいつのまにか眠りに落ちていた。

 

8月20日(晴れ)〜8月22日 伊計島〜那覇新港〜実家

   朝5時くらいに目を覚まし、手早くテントを撤収すると、那覇へ向けて出発した。途中の勝連城跡に寄ってみた(最後の最後までこんなことやってる)。この城跡は他の古代遺跡のような城跡とはちょっと違い、中世ヨーロッパのお城のようなところであった。さらに、もう1か所、最大の規模といわれる中城城跡にも寄ってみたが、こちらは有料で、まだ門が開いていなかったので、あきらめることになる。残念。

 

  その後は、途中のコンビニで船中の食料を買い込み、素直に港に向かう。港に着き、乗船手続きを終え、岸壁にバイクを移動すると、バイク乗りの先客が2人がいた。1人は横浜ナンバーのCRM、もう1人は、麦わら帽子をかぶった浮かれた感じの都内ナンバーのVFR氏。ひとしきりしゃべって、「そろそろ出航時間なのに、まだ出航しないのかなー?」とフェリーに向かってみると、係員の人が早く乗れと合図していた。僕らが乗船するとすぐにハッチが閉まり、出航。ということは、あのままぼーっとしていたら、船は出てしまったのだろうか? 沖縄航路は乗り遅れたら1週間くらいは船が出ない。乗り遅れたらどうすんの、出るなら教えてよ!

 

  2等船室は、やはりすし詰め状態で、寝返りをうつ余裕もないが、今回は両となりが知らない人でもない(とは言ってもあったばかりだが)ので、少しはましか。行きの船で見かけた顔もちらほら。自分の場所を確保した後、デッキに出て、遠ざかる沖縄に別れを告げる。さあ、45時間の船旅が始まる。デッキで、先ほどのCRM氏に会う。バイクに張ってあったゼッケンナンバーについて聞くと、今年のロシアンラリーに出たとのことである。さらに聞くと、僕と同じバイクで出ていた人がいるらしいのだ。その僕と同じバイクで出ていた人が言うには、「大陸生まれのバイクだから、大陸を走らせてやりたかった」そうだ。そう、僕のバイクは、80年代のパリダカールラリーを席巻したバイクの血をひいているのだ。ふつふつと、大陸への夢が膨らんでいくのを感じる。待ってろよ、ロシア!

 

  もう1人、麦わら帽子の彼とも話す。今は、フリーターだが、いずれは教師になりたいと語っていた。見た目とはうらはらに、しっかりした目標を持っている。それに比べてぬるま湯の中に漬かっているような状況の、今の自分は何だろうと考える。でも、こんな風に、普段の生活以外の場で、新しい人と話せるのは旅ならではのこと。普段、見知らぬひとに声をかけて、自然に会話が始まることなど考えられないもんね。いい意味で刺激される。

 

  次第に、日が暮れてきて、デッキにはたそがれる人たちが大勢いた。何をするわけでもなくぼーっと夕日を眺めている。僕もすっかり感傷的になる。なんだか、このデッキにいる人たちのあいだには、目には見えない連帯感みたいなものがあるような気がする。旅の終わりのこの気分は、何度味わっても、とても言葉に出来るものではないし、あえて言葉にしようとも思わない。ただただ、感じるのみ。きっと、他の人たちもそうだろう(?)

 

  8月22日朝、天気はどんよりした曇り空。とうとう東京に着いてしまった。やっぱり、東京なんて人の住むとこじゃないよなと感じる。バイク乗りの2人に別れを告げ、港を後にする。父親の様子をうかがうために、早速、実家に向かう。「ただいま」と帰ると、出発前とはうってかわって、元気そうな様子の父親が現れた。ちょっと拍子抜け。でも無事でなにより。お土産の黒糖(沖縄のおとうさんに買ってもらったもの)を渡す。旅もいいけど、やはり実家は落ち着くよなーと、ぼーっとしているうちに疲れのせいか、寝てしまう。夜になり、久しぶりの家族団らん後、明日から仕事なので、実家を後にした。

  無事に自宅に帰るまでが旅なので、気をつけて走る。そして、自宅着。ドアを開けた瞬間、一気に現実に引き戻される。あーあ、明日から会社か。朝がつらくなるので、早々に就寝。

 

  これで、今回の旅は幕を閉じたが、現在に続く新しい趣味(シーカヤック)と、目標(ロシアンラリー)を手に入れた。沖縄に行かなければ、2つともなかったかも知れない。転機とまでは言わないが、同じように見えた普段の生活の、何かが変わったような気がする。変わったのは、おそらく気分だけかも知れないが・・・

あえて、もう一度言わせてもらう。沖縄に行って本当に良かった。(完)

 

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