私と”貧乏釣り宣言”
2001.04.02
私が現在のような釣り方(胴突き探り釣り&投げ釣り)をするようになったのは、インターネット上である方のホームページを拝見してからである。
それは単に釣り方を参考にしたということに留まらず、今の私の釣りのスタイルそのものにまで色濃く影響を受けてきた。
そのスタイルとは、出来るだけ釣りにお金をかけず、近くの波止や護岸で釣りを楽しみ、食べて楽しむ。
よって船で磯や一文字波止に渡ったり、船釣りなどは基本的にしない。
家族とのあつれきを最小限に押さえる為、休日は家族との時間に充てて、釣りに行くのは主に平日の夜だ。
限られた時間とお金の中でいかに釣果をあげ、お父さんの釣りを家族に認知させるかに力を注ぐ。
そういった釣りのスタイルをそのホームページの主催者は”貧乏釣り”と呼んで、サイト上で高らかに宣言をしていた。
そのホームページの名前は『
芸予備後釣り日記』といい、広島県福山市在住の方が作られているものだ。
◆ ◆ ◆
釣りを始めた頃の私はいつも、「自分に合った釣りのスタイルとは?」ということを考えていた。
昔から”形から入るタイプ”と呼ばれていた私である。
しかし、釣りの雑誌やインターネットをみると磯釣りでメジナを狙ったり、船釣りの記事が主になっている。
これでは休日に家族を置いて行かねばならず、家族との時間を誰よりも大事にしたいと考える私には到底無理だ。
お金もゴルフ並みとまではいかないかもしれないが、そこそこにかかりそうである。
”防波堤釣り”というものがあるな、これが手軽で楽しそうだ。
しかし休日にそうそう家族を置いてきぼりには出来ないし、だからといって毎回家族を連れていくのも同意を得られそうにない・・・。
ということで、そのホームページを見つける以前から私が防波堤での平日の夜釣りという選択をしていたのは自然の成り行きだった。
当時の私のタックルは、長男のY介(6才)用と二組そろえた”入門サビキセット”と、何を思ったかいきなり購入したバスフィッシング用のルアーセット一式だった(バスフィッシングは未だトライしていない)。
夜釣りにはこのバス用のルアーロッドを使って、ソフトルアーによるアラカブ(カサゴ)釣りから入っていった。
季節は晩秋から初冬に移り変わる時期である。
この釣り方に慣れるにしたがってそこそこの釣果もあがる様になった昨年末、私は”貧乏釣り宣言”に出会ったのである。
◆ ◆ ◆
その頃、すでにすっかりと釣り(ルアーでのアラカブ釣り)の魅力にはまってしまっていた私は、毎週末夜の海に通い続けて防波堤際を探る、怪しいヘボルアーマンだった。
妻の実家の福山に帰省した時にもチャンスがあれば釣りに行きたいな・・・そう考えた私は「福山」&「釣り」という二つのキーワードをインターネットのHP検索ソフトに打ち込んだ。
検索ソフトが抽出してきたいくつかのホームページの中の一つが『芸予根魚釣り日記』というホームページだった。
そのホームページの主催者が提唱する”貧乏釣り宣言”は、私が目指す釣りのスタイルを見事に具現化していた。
私の目指すスタイルとは、平日の夜釣りを選択することで家族と一緒に過す時間を極力犠牲にせず、お金もかけず、よって家族からの不平不満を最小限に押さえながら楽しむ釣りのことだ。
その釣り日記を読むと、私と同じような境遇で非常に低予算の中、実に様々な釣りものを楽しそうに釣って食べているホームページ主催者の姿が目の前に広がってきたのである。
「これだ!」
そこにはまさに私がやりたかった釣りの世界が満載だった。
◆ ◆ ◆
かなり大括りの言い方になるが、釣りの方法の保守本流に”浮き釣り”という釣り方がある。
私がのめり込んでいった防波堤釣りでも大半の釣り人が浮き釣りをやっている。
この浮き釣りと切り離せないものに(当然多くの例外はあるが)”撒き餌”の存在がある。
浮き釣りとは概ねドカッと一ヶ所に釣り座を構える釣り方の為、その場所に魚を集める必要が出てくる。
そのために撒き餌をするのだが、私はハッキリ言って驚いた。
何に驚いたのか、それは一人の釣り人が撒くその撒き餌の量にである。
昼間、漁港の防波堤に下見に行ったときのことだ。釣り人たちは皆一様にバケツに山盛り用意してある赤黒い泥土のような撒き餌を頻繁に海に投げ込んでいた。
その様子を初めて見た私の第一印象は「釣り人が海を汚している・・・」だった。
こんな釣りはしたくない、と思ったのだ。
平日のサラリーマン夜釣りの私にとって一番重要なことは”手軽さ”であった。
金曜日の夜であれば少々遅く(日付が変わっても)まで海にいても翌日朝寝坊も出来るが、金曜以外の平日ではそうもいかない。
会社から帰ってすぐに自宅を飛び出したとしても、せいぜい3時間程の釣り時間が取れればいい方だ。
そんな夜釣りにバケツ一杯の撒き餌を準備して釣り場に持っていく手間は取れないという気もしていた。
しかし、何よりも初めて見たあの泥土のような撒き餌の際限ない海への投入に感じた嫌悪感が私に浮き釣りを躊躇させていたのである。
じゃあ、ルアーのアラカブ釣りから私はどこへ向かえばいいのだろう。
そんな私に射した光明がこのホームページであったと言ってもいいだろう。
◆ ◆ ◆
胴突き探り釣り、投げ釣りで夜の波止釣りを謳歌していたこのホームページの主催者は、後で知ったが”撒き餌はしない”というポリシーを貫いていた。
理由は要約すると、撒き餌による海の汚染と釣り場の養殖場化を愁うというものである。
せめて自分が釣り食べる魚は撒き餌でお腹がパンパンに膨らんだ臭いのきつい魚ではなく、美味しい自然の魚であって欲しいというささやかな願いからくるものだった。
私はこれにも全く同感であった。
その頃にはもうこのホームページの主催者が私の釣りの先生という気さえしていたくらいである。
私がこれほどの影響を受けるくらいだから、多分人気のあるホームページなのだと思う。
ちなみにホームページの名前は途中で『芸予根魚釣り日記』から『芸予備後釣り日記』に変わった。
ある日、その中のメインコンテンツである膨大な釣り日記をCD化して販売するという知らせがホームページで案内されていた。
迷わず購入希望のメールを主催者に送り、最近そのCDを入手させていただいた。(実は送金が遅れて迷惑をかけてしまったのだが)その送金の際、先日私が念願のチヌを釣った時の私の釣り日記を代金に同封して主催者に勝手に送りつけてしまった。
どうしても先生(?)にその喜びを伝えたかったのだ。
そうしたらその先生からメールで返信を頂戴し、私の釣り日記を面白いと誉めて下さっただけでなく、なんと驚いたことにご自分のホームページ内で公開したいとまでの申し出を頂いてしまった。
既にいつでも掲載できるように私の日記を打ち込んでくれてもいた(私は紙で送ったのである)。
どうぞご自由に公開して下さい、と私が返信メールを打ったのは言うまでもない。
◆ ◆ ◆
私の釣りは今日までまったくの独学である。
その間、本や雑誌やインターネットの情報をむさぼり読んできた。
そうして得た情報をもとに、海へ行っては試してみるという試行錯誤の積み重ねだ。
なかでもとりわけ影響を受けたのが、ここで紹介させていただいたホームページなのである。
このホームページを見なければ、私と釣りの関係はもっと希薄なものになっていたのでは、と感じるほどの強い影響であったように思う。
この先、私の釣りはどのような形になっていくだろう。
どこで、どんな魚を釣っているだろう。
いつか私も自分のホームページを主催し、かつての釣りを始めた頃の私(今でもほとんど初心者だけど)のような人達に喜んで読んでもらえる情報を発信してみたい。
そんなことを思っている今日この頃だ。
2001.04.02
Written by あらかぶ亭アジ介
★ 結局、この作文を書いてから約1年後の2002年3月、私は念願のホームページを開設したのでした。