沈黙の旅5   近江路編

2007年3月下旬
静養休暇ももう終わりという事で、こんな機会は今後なかなかないかもしれないと、最後にもう一度近江路に旅立ちました。
琵琶湖周辺は前回の旅ですっかりはまってしまい、今回は車で叡山を巡ろうと、朝方5時に東京を出発。夜の明ける頃には、まだ雪化粧の美しい霊峰富士山を正面に拝みながら海沿いの東名高速道路を駆け抜けます。
三保の松原手前の由比という辺りで道路は、海際に寄ります。
見れば白波を立てて走る船が数十艘。まだ七時前から船のレースでもあるまいと、よく見れば、漁に出る船のようで、まさに羽衣の漁師白竜が謡う景色の現代版。なんともさわやかな快晴の海と山であります。運転中につき写真はなし。
東海道は、歴史に名高い名所旧跡も多くゆっくりと散策したいものだと思いながら、休憩を取りつつ西へ西へ。
 朝の浜名湖ドライブイン。


東京を出てはや五時間もした所で、関が原を通過。まもなく近江琵琶湖東に位置する米原ジャンクションの分岐にたどり着ます。そこで北上し長浜港から竹生島にお礼参りに行こうかと思いましたが、島に向かう船は日に数本なのでタイミングが合ず、南下して彦根へと進路を変えます。
国宝の彦根城は、世に名高い名跡。ここは見ておこうと立ち寄ります。
さすがに江戸時代は譜代筆頭のお家柄。その城も立派なもので、広大な敷地の城は堀で囲まれ歩くとなれば半日がかり、車で訪れたのは大正解でした。ざっと見て回るのでも3時間はかかる庭園や城。

大老井伊直弼の生家




今回は築城400年祭のイベントで映画衣装デザインで有名なワダエミさんの衣装展が文化財の建造物の中で行われていました。もとより映画大好きな私としては近年のワダエミデザインの作品(英雄、ラバーズ、スピリットなんていうのもそうですよね、確か)を結構見ているので、1時間ほどお城そっちのけで見入ってしまいました。
京都出身の方だそうで、能「賀茂」にも出てるく下賀茂神社
の糺の森の自然の色彩が体に染み込んでおられるような事をインタビュー映像で語られていました。納得。
さて、駐車場から上の城までは庭園を巡りながら小一時間。体がなまっているのか、フーフーいいながらの登城です。
天守
閣前の桜が咲き始め城をバックに絵になる風景。天守閣内部に登るのは更に急な階段で、(ここはエレベーターなし)よっこらしょっと上ってみれば最上階は網が張り巡らされていて、ちょっと惜しい。井伊家の家紋って、丸に橘なのですが、うちも何故か同じなんで(藤文様でもよさすなんですが)親近感がわきます。

間もなく満開の桜。いいタイミングでした。



井伊家は赤揃いの軍団。

この後、能舞台を見て(立派な舞台が残っています。四月の演能会のチラシには、良く御存知の先生方が出演。)資料館で能装束や面ほか鎧や歴史的資料を拝見してから城下町に。あー気がつけばすっかり昼下がり。ここはやっぱりガイドブックに書いてある近江牛の鉄火ドンが食べたいと、伽羅さんへ。ランチタイムに滑り込セーフ。牛の鉄火ドンにとろろをかけて食べるんですが、これがさっぱりして美味しいんです 。
ぺろりと平らげ大満足で車に戻ると、満腹で眠気がさして来ました。近くの近江八幡に寄るのはやめ
て、一路前回と同じホテルへ。またここに来れた事に感謝しながら部屋から琵琶湖を眺めて一日目は終了でありました。
ホテルのスタッフが私の喉のことを覚えていてくれて、回復おめでとう御座います!と声をかけていただいて感激。

前回は筆談でしたから、今回は会話が出来て嬉しかった。


さて、二日目は前回行けなかった比叡山延暦寺の西塔と横川を目指します。
西塔は弁慶が居たといわれる延暦寺の名刹。山を駆け上るドライブウェイが心地よいです。
平日とあってか観光客も少なく、お堂をめぐっていきます。
根本中堂よりずっと修行場の風情があります。聞けば今も2,30人の若い修行僧が修行しているとか。根本中堂をはじめ文化財のお堂も実際にかなりの頻度で使用されているとのこと。きっと朝早くなんでしょうね。

まん中がメインの釈迦堂ですね。





観光客もまばら。

この二つのお堂をつなぐ橋を弁慶が担いだとか。「弁慶のにない堂」といわれています。
もっとも、一度信長軍に焼かれてますから、再建築ですね。



このあと、奥比叡の横川へ。こちらは千日回峰行などで知られる修行場の雰囲気むんむんで山歩きの風情。
修行道場もあ
り若いお坊さん?達がサムイ姿で駆けていくのとすれ違いました。
すれ違いざまに気持ちよく挨拶をくれるのが嬉しかったで
す。



この横川には中堂ほか元三大大師堂や恵心院、定光院というお寺があります。元三慈恵大師良源は第18代天台座主であ
り、叡山中興の祖といわれる方で、おみくじの創始者でもあるとか。


恵心院はひっそりと清浄な佇まいでした。


         
元三大師の魔除けの護符

さて、横川と西塔の中間にある下界を見下ろすパーキングに車をとめて行者道?を黒谷を降りてゆくと青龍寺があります。
 
20分と矢印に書いてありましたが、とんでもない(汗) 人気がない山の中の道を誰にも会わず、不安になりながら、ふーふ
ー歩いて行くとお堂がありました。内陣は一応撮影禁止?みたいなのですが、凄く立派な阿弥陀如来像があるのです。


ここら辺りの山道の中に石彫りの苔むした観音さまが自然に溶け込んで息づいているのが美しかったです。木々や草木、苔にいたるまで、豊かな自然を堪能。法然上人もここで修業されたとか。
不思議ですよね。こんな山の中にお堂を造って、念仏を唱え心の世界に入って行く。その先になにがあるのか。何を求めたのか。
こうしたお寺でも、もっと気軽にワークショップをしてくれるといいのですけどね。お寺を見て仏像を見るだけではわからないことだらけです。人民の救済活動が本義ならば、そうしたことが色々あってもよいのではと思います。

さて、寺の人は奥に居るらしく御自由に拝観して下さいとの掲示板。扉を開ければなんとご立派な如来様。合掌。来たかいありのお寺でした。しかし、帰りはまた登るのか・・・。服を一枚二枚と脱ぎ汗をかきながら上の駐車場に戻りました。ここから琵琶湖を一望して山を降ります。気がつけば午後2時過ぎ。ここから能「白髭」の白髭神社に行こうかとカーナビを検索すると、山伝いに大原寂光院三千院まで抜けられるとわかり、山道をドライブ。

ここで、前回の旅で行った根本中堂の画像もアップしておきます。 

日本仏教の総本山といってもよい延暦寺中堂。788年に最澄が比叡山に籠もった。
その後がこの、根本中堂に発展した。なんとその時以来の法灯が内陣には燃えている。
この火は、信長の焼き討ちにも守られたという。
この叡山の麓の坂本に、山王権現・日枝神社がある。全国に2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮だそうだ。
本殿は国宝。叡山の僧兵は、この神社の神輿を担いで強訴をした。白河法皇が、自分の意のままにならないものは「賀茂川の水・双六の賽・山法師(比叡山の僧兵)」と云ったというのは有名である。


山から見ると、地上はまさに下界。浮世離れとはまさにこの事。


さて、旅行記は戻りますが、叡山のドライブウェイを軽快に駆け抜け渋滞知らずで30分ほどで大原へ。こちらは京都からも出やすく、女性に人気の観光名所なのでそれなりの賑わいを見せている。残念ながら寂光院は近年焼失とこのことで再建された真新しいお堂で、聖徳太子作伝の仏像はなかった。敷地はもしかしたら付近の温泉宿の敷地の方が広いのではと思う程、こじんまりとしたところでしたが、建礼門院という、男たちの運命に翻弄された女性の伝説とあいまって趣があった。三十代で亡くなったというから今で言えばうら若き生涯であった。
ここでも謡曲史跡保存会の立て札がバーンと立てられていました。御存知「大原御幸」に語られる場所でありますが、京都から歩いてくれば結構な道のりです。はるばるの旅路だったことでしょうね。







追記: 新聞記事によれば、本堂焼失は7年前の5月9日。放火によるもので、今年時効を迎えた。伝鎌倉時代の本尊は表面が焼け焦げ炭化している
という。
現在は収蔵庫に移され、新しく造られた地蔵菩薩立像が本尊となっている。

そこから車ですぐのところに三千院があります。
こちらは敷地も大きく庭園もある。
国宝の仏像もありますし、見所も重文級。
ここで元三大師のおみくじ(おみくじの元祖)を引くと、吉とでて病回復と書いてある。こいつは縁起がいいと気をよくして寺参 り。最後に門前でみたらし団子を買って車の中でかじりつく。美味。
帰りは、京都の東を掠めながら大津を抜けホテルへ帰りましたが、大津では道路沿いに蝉丸ゆかりの神社が3つ?ほどあり、車が止められず、今回は立ち寄らずにやりすごす。謡曲ゆかりの古跡がそこいらじゅうに点在しているのが実に楽しいのでありました。
さて3日目は朝から雨と思いきや朝食の頃には雨もあがり、ならばと都見物に繰り出しました。この休みで目覚めた粘土遊びの仏像作りでしたが、今が木彫りの弥勒菩薩像の制作に入っているのです。これは是非本物を見なくてはと思い、都北西の広隆寺へ向かいました。日本で一番古い弥勒菩薩像で勿論国宝です。今は宝物館の中に鎮座しております。ギャラリー風なでベンチに座って皆ずーっと眺めています。
1400年位前のものですが不思議な柔らかさがありますよね。とても素
人がレプリカを彫れる代物ではないと思いつつ小一時間拝ませていただきました。見飽きないのがすごいのであります。舞台であんなふうに柔らく立ったらどうだろうとか、いやそれが出来るのか?などと、またぞろ職業病でありました。
寺内の桜も
苔もどこか品のある佇まいであります。寺内に能舞台がありましたね。橋掛かりはないですが、吊り鐘の滑車がついていましたのできっとそうです。










さてここからは、帰り道に金閣寺があります。
足利義満の邸宅兼首相官邸。小説映画でもやりましたが、金閣寺は近年(1950年)炎上し、今は新しくピカピカであります。まさにゴールドハウス。中国?の団体客の若者達が金の輝きにワーワー歓声を上げておりました。いや確かに圧巻で、今まで見てきた古めかしい寺院や山の緑も霞んでしまいそうでありました。金の力には勝てないのか(笑)。
桜もだいぶ花が
咲き始めた庭を眺めつつ、ゴールドに目がくらんで瞳をキンキラさせながら車に乗りました。むむむ。
このままではい
かんな、ということで、すぐ先の竜安寺の石庭に上がりこみました。京都のコマーシャルでは必ず出てくる白いじゃり石に浮かぶ15の岩。
庭園の縁側の真ん中に座ると不思議なことに、あるべき15の石が見えないのです。
そう、この庭は縁側の何処にすわって
も全ての石が見えないように配置されているのです。座る位置を変えれば、見えていた石が消え、別の石が見えてくるのです。そこに禅の哲学が現れているともいわれます。見えないけどそこにある。あるいは、心の目で見れば見えない物も見えるとか。今見えるもので満足せよとか。はたまた量子力学やら宇宙論やら近代哲学やら、謎めいた人生の秘密を想起させます。この石がどこから運ばれたのか、何を意図して造られたは謎だそうです。まるでダビンチコードのようですね。百聞は 一見にしかずで、やっぱりこの庭は実際に見てほしい。真理の扉が開くかもしれません。
見知らぬ異国の紳士の横に座って、しばしぼんやりと眺めて心を澄ませば、先ほどの金の輝きに浮かされた心も静まって、いい感じであります。 石庭の上の桜はまだつぼみでした。(この庭自体には四季の移り変わりがないのですが、この石塀の上は季節ごとの植物が色を変えます。借景のような工夫のようです。桜の見所は4月に入ってからではないでしょうか。
いでやす京都へ。




さて、暫し時を忘れ、悟りを得て?
そこから仁和寺の前を通って市中を横切り、山科を抜けて逢坂山の横を抜けて石山に戻りました。明日はいよいよ帰郷。
ようやく仕事復帰です。いやー長い長い長い休暇でした。大人にも毎年春休みはあってもいいですね。休みの中にも学びの多い一月でした。さて、これが人生に、そして舞台に良い方に活かされることを願うばかりであります。
そう、確かに立ち止まってみるのも悪くない。たまにはね。


2014年。
あらためて2007年当時の記事を読み返すと、遥か昔の出来事のように思えて不思議です。
声が出ないという大変な時に、我ながらずいぶん優雅な休暇を送れたものだと驚きます。
まるでこの旅をする為に、神様が声を一時出せなくしたようにさえ思えて来ます。
その後、この旅行を機に毎年全国の史跡巡りの旅に出るようになり、能台本に書かれた物語の世界をより深く実感を持って感じられるようになったのは何より収穫でした。また、声の大切さを身をもって学んだのもこの時でした。
そして2014年の今、ちゃんと昔以上に声が出ることにただただ感謝です。

2021年4月
2007年からさらに14年の歳月が流れました。
あの当時、未来世界では、世界中がコロナで大変な事になるなんて想像も出来なかった。
先の事は本当に予測できませんね。私はまだ元気にやっています。声もまだよく出ます。
あの時、旅に出れて本当に良かった。今読み返すと、なんだかとても楽しそうです。
コロナが収まったら、また長い旅に出よう。それまでもうひと踏ん張りです。


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