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ファンタジア・ライナーノートより〜
高遠な精神から生まれる清澄な響き

遠藤隆己の一番の特長はトレモロの流麗さであろう。ともすれば無意味な音の連続になりがちなこのマンドリン独特のトレモロをこれほど音楽の流れに沿った適確な演奏をする人は稀有である。力強く幅広い音から軽快で爽やかな音まで、鋭く激しい音からやさしく愛らしい音までその変化の妙は聴く者を飽きさせない。殆ど一人で会得したというこの奏法は将に天性のものであろうか。
 遠藤隆己はマンドリンに対して少し醒めた目をもっている。レパートリーの中心はあくまでマンドリンのオリジナルソロ曲であるがそれのみに固執することはない。最初のCD「アダージョ」はオリジナルだけの地味な選曲、2枚目の「レジェンダ」ではオリジナルにバッハの無伴奏曲、クライスラーの小品など一般の人にも馴染みのある曲を加え、この「ファンタジア」ではオリジナル曲がすがたを消してしまった。しかしこのテレマンやビーバーの無伴奏曲は演奏を聴くとマンドリンのオリジナル曲で通用するのではないだろうか。ヴァイオリンでも演奏される機会の少ないこのような曲を見つけ出すことはあまりマンドリンに熱中しすぎると出来ないことである。バッハのパルティータや他のソナタなどもマンドリンで演奏された事があるだろうか。
マンドリンでこれほど品格のある音楽が可能である事を多くの人に知ってもらいたいと願うものである。

松浦史郎


 

 マンドリンという名の楽器は17世紀初頭イタリアに生まれ、18世紀から19世紀にかけてヴェネチァ、ウィーンを中心に多くのマンドリンソナタやヴァイオリン属との室内楽作品が書かれました。ヴィヴァルディの複数のコンチェルト、ベートーヴェンのチェンバロ伴奏付きソナチネ、フンメルのソナタとコンチェルト、あるいはモーツァルトが歌曲の伴奏にマンドリンを使ったりと、著名な作曲家の作品も少なからずありますが、あまり名の知られていない作曲家によるマンドリン協奏曲・ソナタ(通奏低音付き)は枚挙に暇がありません。
 しかし、この時代のマンドリンは単弦ガットでトレモロは殆ど使わない奏法でした。18世紀から19世紀にかけて、演奏会場がそれまでの教会、宮廷、あるいは貴族のサロンからコンサートホールに移り、大きな音量、正確な音程、機能性を求め、殆どの楽器が改良されました。チェンバロがピアノに、木製のフルートは金属製になり多くのキーが付き、ヴァイオリンは魂柱が太くなり弓は張りを強くし、チェロにはエンドピンがつきました。
マンドリンは少し遅れ、1850年頃、イタリアのパスクアーレ・ヴィナッチャにより復弦スチールの現在のマンドリンに改良され、トレモロを多用する事になりました。ですから一口にマンドリン音楽といっても改良(あるいは変革の方が正確でしょうか)される以前とそれ以後では音楽の様相が(勿論、時代も違う訳ですが)随分違ったものになっています。
 さてこのアルバムはバロック時代のヴァイオリンやフルートの為に書かれた曲をあつめましたが私は演奏するにあたり、当時のマンドリンのイメージは特に意識しないで現在の楽器、奏法で素直に弾いてみました。古典以後の他の楽器の為に書かれた曲はマンドリンでの表現が難しいものも多々ありますがこの時代の作品は一般に楽器指定が緩やかな事もあり違和感がなく弾け、さらにはヴァイオリンやフルートとは違った味も出せるのではないかと考え選曲しました。

遠藤隆己


 初夏に向かう爽やかな風、そして遠藤さんの穏やかで不思議な空気にのせられて、素敵な一枚が完成した。
 チェリストである私は、気に入った曲があると(たとえそれが他の楽器のための曲であろうと)必ず自分のレパートリーに加え、その上“大作曲家達もきっと喜んでいるに違いない”と信じ込んでいる。
でも、それはすなわち曲への愛情の表われであり、そんな熱い思いが僅かでも作曲家の元へ届いたと感じる時、この上ない喜びを味わうことができるのだ。
 遠藤さんと出会い、マンドリンでフルートやヴァイオリンのバロック音楽を録音すると聞いたとき、きっと同じような思いを持った方なのだろうと、レコーディングの時をとても楽しみにしていた。
遠藤さんがバッハやヘンデルの曲と向き合い演奏する姿は、作曲家に曲への愛情を語りかけているように見えた。そしてその口調はとても自然で、聴き手の心にも素直に響いてくる。
 さて、今回のCDには入りきらなかったが、レコーディングしたいと考えている曲はまだまだ沢山あるようだ。次のアルバムにはどんな風を吹き込んでくれるのだろうか。   

植草ひろみ