独断と偏見による私的考察

To Home


4

久しぶりの更新、最近の体験談

 今日は2014年526日です。
13を書いてから約10年たってしまった。
久しぶりに読み返して、概ね今でもその通りだと思うのですが、ピアノの演奏技術に関しては少し違う状態になりました。
そこらへんのことを少々書いてみます。

ショパンのエチュードをぼちぼち弾いていたある時、通し番号で言うと18番(OP25-6)にあたる所謂重音トリルの
練習曲を弾こうとしたら、
まるでお手上げ状態であることに愕然としたのでした。
単音ではかなり流暢に指は動くのに、重ねて動かそうとするとばらばらになってしまう。
これはなんとかせねばとそこから来る日も来る日も重音の練習に明け暮れたのでした。
最初はまあ2,3ヶ月もあればなんとかなるかと思っていたのですが、やはり年取ってからの練習は進歩が遅く、
1年近くかかってやっとなんとか重ねた音である程度のスピードが出せるようになったのでした。

op10-210-7なども並行して練習したおかげで今ではあまり苦労せず弾けるようになったのですが、
その結果感じることは、4,5の指がかなり鍛えられた感があります。
ジャズを弾いたときにアクセントを薬指や小指に持ってきても割としっかり弾けてしまうのは、とてもありがたい。
アドリブだと思いがけないところに強拍が来てしまうことがありますが、そういう時結構楽にひけるのです。
オスカーピーターソンなどの名手を改めて聞いてみると、みな小指や薬指が強いように感じます。
きっと陰でこういった練習をしていたのでしょうね。

ショパンやバッハの名曲を単にアドリブするときの技術向上のための練習曲としてしか利用していないのは、
たいへん申し訳ない事だと思います。
しかし、じっくり練習すると本当にスキルは上がるのですね。
還暦になっても能力が向上する事実を実体験したのは、とても衝撃でした。

ただ、やみくもに無謀な練習をすると、体に弊害が出るということも聞きました。
現に私も最初の内はかなり無理して指を動かしていたせいで、手に骨棘やガングリオンができたり、
ひじ関節に水がたまったりして結構トラブルがありました。
ジストニアなんていう病気になる危険もあります。

年取ってからでも上達はしますが、くれぐれもやりすぎには気をつけないといけませんね。
適度に継続していくというのが一番のような気がします。

 


13

オスカーピーターソントリオの

 今日は2004年12月20日です。
久しぶりにピーターソントリオを聴いていたのですが、ドラマーのリズムに気づいたことがあったので書いてみます。

所謂ピーターソントリオの第一期黄金時代のメンバーは、ベースがレイブラウン、ドラムはエドシグペンです。
レイブラウンはたしかに素晴らしいベーシスト、というかモダンジャズのあのスタイルのベース奏法の開祖です。
でも、私はそのトリオより第二期黄金時代ののサムジョーンズ、ボブダーハムのトリオの演奏が好きでした。

最近判明したのですが、その理由はドラマーにありました。
シグペンはたしかに上手ですが、リズムがちょっと走る。
私が一緒にやったら「こら、走るんじゃねえ!!」と今なら怒りたくなっるような人。
あまりリズムが良くない。
対するボビーダーハムはリズムが完璧です。
サムジョーンズはベーシストとしてはレイブラウンには総合点ではイマイチかなわないとは思うけど、
ユニットとしては彼の参加していたときの方が素晴らしい。

おそらくジャズ評論家諸氏はこういう意見には猛反発するでしょう。
でも、私も演奏家で、尚かつドラムのリズムに対してはウルサイタイプです。
その私から見て、どう考えてもシグペンよりボブダーハムは上。
ピーターソン自身こちらのトリオの方が自由気ままに凄い演奏をしているのですねえ。

リズムはジャズにとって想像以上に重要です。
私が今までで一番凄いリズムをだすドラマーだと思うのは、
マイルスの黄金のクインテット時代の若き日のアンソニーウィリアムス。
あのグループの成功はある意味では彼の存在のおかげとも言えます。
もちろん他も凄いのだけど。

 


12

ジャズとクラシック その2

 今日は2004年4月7日です。
久しぶりに書いてみました。
掲示版に書いたニコライ・カプースチンというピアニストを聴いて、ちょっと書きたくなりました。
ウクライナ生まれの人らしいのですが、所謂クラシック的奏法、音楽性をすべて修得した上で、
ジャズのアプローチを用いて作曲して尚かつ演奏しているというのが、彼のうたい文句です。
が、聴いたところ完璧なジャズピアニストですね。

おそらくかなりなレベルでジャズを演奏できると思われます。
即興でもかなりのレベルで弾けるのは間違いない。
普通はそうなると譜面にわざわざ書くという必要性を感じなくなり、即興一辺倒になると思うのですが、
敢えてそれを譜面にして尚かつ吟味し、即興ではあり得ない高レベルな音楽に昇華させています。

こうなると、即興が出来ると言うだけではもはや何もアドバンテージはなくなります。
出来るのは当たり前で、その上で尚かつ高度な音楽を完成させる、
そんな印象を受けました。

共産圏のピアニストで我々の目になかなか留まらなかったのですが、
いやはや、世界にはすごい人がいるのですねえ。
感動しました。

ところで、彼の楽譜も存在するのですが、私はまだ持っていません。
ネットで検索すると、他のピアニストが作品を弾いているものがちらほらあります。
かなり難しいのに、さすがに世の中にはそれを乗り越える人もいて、
それも又新たな感動です。

カプースチンを弾く場合は、是非ジャズを弾いている気分で弾いてほしいですね。
テンポは一定、グルーブさせてあたかもドラムがいるがごときスイング感をもって。
クラシックの変なアゴーギグはここでは無しにしないといけませんね。
でないと、彼の音楽を演奏したことにはならないでしょう。


11

ジャズとクラシック

 今日は2003年7月14日です。
最近、ソロピアノライブの為に以前よりピアノを練習をするようになりました。
10に書いたように、ソロでやるためにはひとり2役や3役やらなければならないので、
技術は有ればあるほど自由に弾けるのです。
本当はもっと若いウチに練習しておけば良かったとは思います。

 練習としてまずはバッハを弾きます。
これは弾けば弾くほど究極だと思う。
対位的旋律が所々に作る和音は、ジャズより複雑だったりする。
コードとして解釈するとかなり理解しやすいのも不思議なことです。
ジャックルーシェがジャズのリズムで弾いて有名になりましたが、
やりたくなる気持ちはよくわかる。
しかもアドリブはあまりせずに、そのまま弾くだけでジャズに聞こえるのも、
やってみるとなるほどと思うのです。

モード手法はジャズの発明のように思われているけど、
モードの大元はチャーチモードで、これはやはりバロック時代にあったモノで、
ジャズでも最初はそれを借りてきてやったわけです。
そのうち、スケールの音をもっと多くして、組み合わせを多様化させていって、
まあ、進化はしていったわけではあるのだけど、
それが全部良い音楽かどうかは疑問ではあります。
ただ、いろんな可能性を示したとは言えます。

 モーツァルト、ベートーベンあたりの時代は結構シンプルな和音構成になりました。
ポリフォニーからモノフォニックになっていったせいもあるけど、
ただ、3和音のあらゆる響きを追求した時代とも思えます。
特にモーツァルト。
 ジャズではテンションを使うのが大前提のように思われているけど、
3和音をオープンでハーモナイズするこのモーツアルトの和声は、
実はジャズでもよーく使うのですね。
でも、ジャズをやっている人ほどうまく使えないのもこの3和音。
ジャズやるなら、モーツアルトも勉強しろと、私は言いたい。

 その後私の好きなショパンやリストがでてくるわけです。
で、練習はバッハの次にこの二人の曲を弾くのですが、
まず、ショパンのエチュードはとても良い練習になる。
私は基本的に饒舌タイプのピアニストですので、
革命とか、木枯らしとかを弾くと、その後とても楽にピーターソンのような演奏が出来る。
ただ、2日ほどさぼるともう指がもつれてしまうのですね。
クラシックのピアニストの苦労が垣間見えます。

 リストはとてつもない練習曲(超絶技巧練習曲等)があるけど、アレはとりあえずパス。
メフィストワルツやハンガリア狂詩曲あたりで、ストライドの訓練をする。
いやしかしこれは難しいのです。手が大きくないとかなり厳しい。
しかしジャズでもこれは避けて通れないのですね。特にソロピアノの場合は。
私は、スピード感やリズムが崩れるのを避けるために、
ジャズの場合は出来る範囲でジャンプするようにしていますが、
練習の時はリストの書いた通りを無理してやってます。
速いパッセージ弾くよりこちらの方が難しいですね。

 ところで、このショパンやリストの左手のハーモニーは、
かなりそのまんまジャズでいつも使う音になっているのです。
リストの愛の夢という曲がありますが、
アレなどは本当にいつも弾いている音使いなのですね。

 ジャズは和声的にはクラシックが前提になっていると思う。
そこに独特のリズムが乗っかり、即興演奏を大っぴらにやるようになった。
使う音は最初は色々制約があったけど、だんだん自由になり、
でも、音楽的に聞こえる音を選択的に使って、今の音楽になっていったのだと思います。
使用できる音は、ジャズに於いてはある意味無制限ではあるけど、
結局良い響きに聞こえる音使いは、基本的にはショパンやリストなどの時代に完成していて、
それ以上にはなっていないのかもしれません。

ただ、たしかに今ならもっとモダンなハーモニーをショパンなどに加味することは出来る。
もっと違ったアレンジにも出来る。
ただ、それでも譜面通りの音からそれほど大きく乖離するモノではないでしょう。
和声的には基本的にはある意味彼らの時代に完成してしまっているとも言えます。

では、ジャズとクラシックは全く同じなのか?
これがやはり全く別物です。
確かにアドリブをやると言うことは大きく違いますが、
それ以外にもっともちがうのは? 
リズムに対する考え方です。

 リズムに関してはジャズに限らず、とても深い発展を現代はしました。
これは所謂クラシックには無いモノと言っても過言ではないです。
ただ、本当はそうではなく、クラシックにも歴然と存在するし、無いとまずいのですが、
今ほどはリズムに力点が置かれていなかったというのが正しい認識かもしれません
これに関しては又次の機会に考えてみます。


10

ジャズに於けるソロピアノの考察

音楽はまず楽器が在ったから生まれたのではありません。
最初は声から始まったのではないでしょうか。歌ですね。
それにあわせて草や木や石などいろんなモノをこすったりたたいたりして
徐々にいろいろな楽器というものが進化していったのではないかと思います。
あるいはその逆かもしれませんが。
ディズニーのMake mine musicを見ると楽器の進化が良く解ります。
アレは大変面白いです。

音楽が進化するにつれ楽器も進化して、単音楽器から和音の出せる楽器へと発展していったのだと思います。和音を出せる楽器として完成された感のあるピアノは、ある意味での頂点でしょう。
音域は大変広く、オーケストラのすべての楽器をカバーしてまだ余りあります。
手の大きさに依存はしますが、相当の和音も弾ける。
伴奏をしながらメロディーも弾けるので一人で完結した音楽を演奏できます。
所謂クラシックでは、ピアノソロの名曲が無数にあります。
ソロ専門の楽器といった趣があります。

ジャズの場合でも最初の頃はほとんどソロ楽器として演奏されていたようです。
ストライド奏法などはその典型で、ベース、ギター、ピアノのトリオ編成分の演奏を一人で行っていました。しかし、その後徐々に音楽が複雑化するにつれ、
アンサンブル音楽として発展していったジャズはそれぞれの楽器の比重が大変大きくなり、
モダンジャズと呼ばれるあたりからは、ソロピアノは特殊なものになっていきました。

現代のジャズピアニストは、左手のベースから解放されたため、
ハーモニーはより複雑なことが弾けるようになり、
リズムはドラムがいるので自由に変化を付けられ畢竟フレーズにより専念できるため、
どんどん難解になっていきました。
ただそれはあくまでベースやドラムなどと一緒に演奏するという前提の元で可能なのです。

今の時代のジャズをソロで弾くのはそう言う意味でかなり難しいとは言えるでしょう。
技術的にはストライド時代のピアニストは破格、別格にうまかったと思われますが、
ある意味では機械的な手癖で処理出来た部分もあります。
逆にハーモニー、アドリブフレーズがより複雑化した今のジャズの場合は、
単にそう言う手癖のみでは勝負できない部分も多々あり、やっかいなのです。

ピアノだけであたかもベースもドラムも一緒にやっているように聞かせつつ、
フレーズも紡ぐというのはストライド時代と変わりませんが、
リズムも最近は816になったりするし、コード進行も複雑になったりしているので、
今のジャズをソロピアノで弾くには本来は手がもう一本必要でしょう。
しかし、難しいからこそやりがいがあるとも言えるのでしょう。


9

アレンジャー その2

  編曲がどういうモノかの概略は理解していただけたと思います。
さて、今度は編曲の質といったことを考えてみたいと思います。

職業として編曲をする場合、特に日本の場合多いのが、
サンプルのイメージを提示されることです。
この楽曲を、この演奏のような感じに仕上げてほしいと言ったようなオファーです。

これは一概に悪いことではありません。
全くのお任せだと逆にとりとめもなく考えが散らかってしまい、
まとまらなくなってしまいます。
ある程度のイメージの提示は指標になりますのでとてもありがたいのです。
このことは逆に言えば、どんな曲をどんな風にでも編曲は可能と言うことです。
イメージを提示して貰い、後は自分のオリジナリティーで発展させる、
こういう作業はとても楽しいですね。

ただ、ここで問題なのが、それと似て非なるコピー音楽です。
ここで提示されるモノはサンプルではなく、お手本です。
雰囲気が似ているというレベルでなく、そっくりそのままコピーさせられる。
最たるモノはカラオケですが、似たようなことは他にも多い。

カラオケの場合、著作権の問題等がどうなっているのかは良く解りませんが、
元の演奏どおりでないとクレームも来るそうですから、
必要悪としてコピーせざるを得ない部分もあります。
しかし、そうでない場合は出来るだけ編曲家は自分のオリジナリティーを盛り込んで
独創性を持って仕事をするべきだと思います。
少なくとも私はそれを目指しています。

編曲は作曲と不可分で、コピー音楽とは次元が違います。
残念ながら、日本ではその辺がごちゃ混ぜになっているのが現状ですが、
改善していかねばなりません。


8

アレンジャー その1

 音楽の場合アレンジという言葉は、日本語では編曲と訳されますが、
さてではどういう作業が編曲なのかというと、なかなか説明は難しいのです。

作曲であれば読んで字のごとし、曲を作るわけですから、どういう作業かは一目瞭然ですね。
メロディーを鼻歌で歌っても、作曲といえば言えるわけで、
現にそういう曲がヒットしている場合もあります。
しかし、本来はそれだけでは作曲とは言えません。

さて編曲という作業は、簡単に言えばその鼻歌メロディーを50人編成のオーケストラで演奏させるための
楽譜を作る作業である、とも言えます。
50人でなく、ソロでもトリオでも、100人編成でも良いのですが、
つまりは、ある楽曲を何らかのテーマに基づいて具体化させるという作業が編曲である、
とひとまず定義しておきます。

ここで、テーマが問題です。
この中には、どういうスタイルの音楽にするのか、又編成はどうするのか、
曲の長さはどの程度にするのか、歌手がいる場合はキーはどのキーが良いのか、
といったようなことが含まれます。
音楽のスタイルによって、リズムが決まり、編成が決まり、それに基づいてキーを決めコードを決め、
最後に曲の長さを決める、といったような流れになるのです。
メロディーだけでは曲は成り立ちませんから、付随してイントロ、間奏、エンディングなどを作らなければなりません。
それもメロディーとかけ離れたモノには出来ないから、制約された作曲というモノを強いられます。

このようにして、例えば鼻歌を壮大な交響曲にでっち上げたりすることが編曲なのです。
編曲の方が先の鼻歌作曲の何100倍も大変なのです。

本来作曲家とはこの編曲の作業までをこなして初めてそう呼ばれる存在であるはずだったのですが、
いつの頃からか、メロディーのみが曲と認知され、その後のオーケストレーションは分業になってしまい、
編曲家という人種が請け負うようになってきたのです。
本来は、編曲家こそが本当の意味での作曲家だと思います。


私の好きなジャズと言う音楽

 ジャズと一言で言っても実はいろんな種類の音楽があるのですね。
古くはラグタイム、デキシーランドから始まって、ビバップ、クールジャズ、モダンジャズ。
その後より自由を求めて、アヴァンギャルドなフリージャズや、電化サウンドを入れた、
クロスオーヴァーとかフュージョンとかも、広義のジャズといえるでしょう。

 ジャズと呼ばれる条件としては、おおっぴらなアドリブがあります。
良くラウンジのカクテルピアノと、ジャズピアノの違いを聞かれるのですが、
やる曲も似ているし、サウンドもまあ似ていますが、
一番の違いは、このアドリブをたくさんやるかやらないかだと思います。
カクテル系の人だと間奏でアドリブするよりもテーマのメロディーをなぞることが多いようです。
又サウンドもジャズの方がより複雑で、テーマからはずれた音使いなど
より自由度の高い演奏をすると思います。

 日本ではしかし、いわゆるこてこてジャズファンのジャズに対する定義が非常に狭いような気がする。
曰く、ジャズは4ビートでなければならない、
曰く、ジャズは安易に聞こえては格が低い。
曰く、ジャズは難解なモノほど高級である。
と言ったような偏見が根強くあるのです。

 これは一部の過激な評論家と称する人種の悪影響もありますが、
我々演奏家にとって、非常に迷惑な固定観念なのです。

 ジャズも含めて音楽は読んで字のごとし、音を楽しむモノですから、
音で苦しむような難解な音楽は、音楽ではなく『音苦』です。
しかし、一般にはジャズは『音苦』なモノという認識が定着してしまっているように思うのです。

 私はこういう苦しい音楽は演奏をしたくありません。
あくまでも楽しい、聞いていて気持ちいい、そう言う音楽をやりたいのです。
しかし、そのためには相当レベルの高いハーモニーや、コード進行、
スケールなどを駆使しなければならない場合もありますが、
あくまでアウトプットされるモノは、
聞きやすく、気持ちよく、楽しいモノであるように心がけているのです。


音楽と絵画

 ジャズの場合は基本的に即興演奏が主体で、楽譜はいらないと思われがちですが、
何人かでアンサンブルをやる場合には、譜面は必需品です。
どんな音楽でも同じですね。
クラシックほど譜面に忠実ではないと言うだけのことでしょう。

 最近ちょっと大きな編成でジャズを書くという作業をやっていて思ったのですが、
編曲とは、絵を描くという作業ととても似ていると思います。
構図を決めて、デッサンして、徐々に細かいところの色づけをする。
一応完成したら、見直して、必要ならばちょっと書き足すといったようなことが、
同じように必要です。
ビッグバンドやオーケストラは、油絵のようなモノです。

 これに対して即興での演奏は、同じ絵でもちょっと違います。
じっくり練ったり、後から付け足すと言うことなど出来ません。
一度手をつけたら後戻りは絶対出来ません。
例えてみれば書道のようなモノでしょう。
絵ならさしずめ、墨絵でしょうか。

 いずれにしても音楽と絵はよく似ています。
 


コード

 軽音楽の世界では当たり前になっているコードという物について、ちょっと考えてみました。
これは実はとても便利な物です。
まず、CFmという一塊で3和音を表すので、視覚的に即座に理解できます。
それにプラスする音は、7とか9とか13とか数字で書くのですが、
とりあえず、一目見た瞬間に、和音の構成音が完全に理解できるのですね。

 次に便利なのは、
コードの流れを見ただけで、だいたいその曲の全体像がつかめてしまうと言うことです。
長調か短調か、簡単なのか、難しいのか、と言ったことが、瞬時に解ります。
そのほかにも、これは演歌だな、これはロック系かな、
この進行だとボサノバかな?これはめんどくさいなー、
ジャズか現代音楽かな、と言ったようなこともだいたい解る。

こういったことは、オタマジャクシでは出来ないことです。
音符を読むとどうしても、多少の時間がかかります。
しかも曲の流れは弾いて見ないと解らないので、
簡単な物以外は、一目見ただけではで曲想がつかめません。

しかし、コードがあると、初見でもまず間違いはありません。
曲想も見た瞬間つかめます。
まさに魔法の道具なのです。

ただ、どうしても複雑になる部分は、出てきますから、
そこだけ音符にすればいいのです。

クラシックも大半はコードで処理できます。
覚えるととても便利な物ですから、
是非覚えましょう。


 字が読めないのは、字がへたなせいもありますが(参照)、
目が見えなくなってきたというのも関係します。
いわゆる老眼って言う奴です。

 ジャズの場合は、あまり譜面を見ないので良いのですが、
やはりステージの仕事は、譜面だけが頼りなので、
目の衰えは問題ですね。

 ピアノの場合、譜面台と目の距離というのが、
とっても中途半端で困ります。
私は、乱視と近視と老眼のミックスになっており、
そのすべての最もうまくない距離に譜面台がある、
と言うのが現在の状況です。

何とかしないといけません。


3

 私はあまり字がきれいではありません。
それがどうした、と思われるでしょう。

基本的に音楽家は楽器が出来さえすれば、
字のうまいへたなゾ、どちらでも良いことです。
最近はワープロで手紙も書いてしまうし、漢字も変換してくれるし、
普通はナンの不便も感じません。

 ところが、ステージで歌手の伴奏をするときなど、
その下手な字のおかげでエライ目に遭うときがあるのです。

 シャンソンなどに多いですが、半分せりふあわせのように演奏をしなければならないとき、
きっかけの歌詞を譜面に書き込むのですが、
その字があとで読めないときがあるのです。
ヘタで。

たいてい、リハーサルの時に書き込むから、
リハはうまく行くのです。
 ところが、本番になると時間がたっているのでいろいろ忘れているのですね。
そこで書き込みに頼るのですが、判読できないのです。

自分で書いて自分で読めないのだから誰にも文句は言えませんが、
あせりますよーー。
字はきれいに書きましょう。

それから、目立たせようと思って、赤ペンで書くのはもっといけません。
照明が赤だったりすると、ナンにも見えなくなります。
あとで修正できると言うこともあり、
やはり鉛筆が良いでしょう。


2

ジャズピアノを修得するには

 ジャズの基本であるアドリブというものは、クラシックを弾くように楽譜を買ってきて練習しても絶対に会得できません。
これは言語をマスターするのに似ています。
はじめは片言でお母さん達の言葉をまねしながらたどたどしく話し始めます。
次第にボキャブラリーも増え、だんだん言葉らしくなっていく。
これとまったく同じような課程を踏まないと出来るようにはならないでしょう。

 これは私の個人的意見ですが、
自発的にしゃべるという観点から、
私はコピーをしまくる方法には賛成しません。
あくまでも自分の言葉でしゃべるのが基本だから、
細かく一言一句コピーするのは逆に弊害があると思います。
時間はかかるけど、自分の言葉で弾くようにする方が良いと思います。

 はじめは本当に聞くに堪えない演奏しかできないけど、
次第次第にサマになっていくものです。

 ある程度自分で処理が出来るようになってから、
これはと言うフレーズだけコピーして取り入れていくようにすると、
そのフレーズも自分の言葉になります。

 これらの方法は私が自分でやってきたものですが、
まったく違う方法でマスターした人もいますので、
ひとつの参考例としてください。


1

楽器についての考察

 ここ何年かの電子技術の進歩は目を見張るものがあります。
パソコンなど、一昔前のスーパーコンピューター並の早さになってますね。

 ところで、音楽の分野にもこの電子技術は沢山入り込んできて、
録音関係ではもはや生音をデジタルで録って加工するなんてことが、
自宅レベルで可能になっています。
これは大変素晴らしいことですね。

 楽器の分野にもシンセサイザーから始まって、サンプリングマシン
最近のデジタルキーボードなど沢山入って来ていますが、
ピアノの代用品としてのデジタルピアノには賛成できません。

 子供に初めてピアノを習わせようとするときこれを使うのは
大変危険です。
デジタルピアノとは、生のピアノの音をサンプリングしたものです。
したがって、音色は誰が弾いても同じです。
多少のタッチの強弱と、音量の変化程度はつきますが、
生楽器の言ってみれば無限の可能性とは、
まったく比較になりません。

 例えばヴァイオリンだったら、どうでしょうか?
サンプリングされた音しかでないヴァイオリンを、
子供に弾かせますか?
誰が弾いても同じ音しかでない楽器で、
練習が出来るはずがありませんね。

 今の電子楽器は、初めて楽器にふれる人は使ってはいけないものです。
ある程度本物を弾いた人が、必要に応じて利用するべきものだと思います。

 ピアノは大きく重くしかも高いから、
手頃な大きさで値段も安いデジタルピアノがやたら売られていますが、
アレは偽物だと言うことを良く理解してください。

To Home