不都合な真実〜Dead Sea
 
不都合な真実
〜 Dead Sea
 

   死海をひとつの湖だと思っている人は意外に多い。というより、死海という地名を知っているほとんどすべての人は、それが単一の湖だと信じて疑わないだろう。僕もかつてはそうだった。間違いに気づいたのは数年前、イスラエルを訪れた時にガイドに教えられてからだ。
 湖岸を走っている途中で自然な地形が途切れ、鰻の養殖池のような人工的に区画された水面が現れた。そしてしばらくすると、また元の自然な地形に戻った。
「死海はどんどん小さくなっているんですよ。水深の浅い真ん中のあたりはいずれ干上がって、近いうちに南北ふたつの湖に分かれるでしょうね。特に南側の状況が芳しくないので、北側からポンプで水を送っているんです」
 衛星写真で見るとよくわかる。そこに映し出される姿は地図に掲載されている形とかなり違う。長方形ではなく真ん中がくびれたひょうたん型、下手をすると青く見えるのは北半分だけなのだ。灌漑用水としての過度の利用が原因とも言われている。
 さて、水着に着替えた僕たちはプール脇の階段を降り浜辺に出た。イスラエルでは南湖、すなわち小さい方に面してリゾートエリアがあった。ヨルダンのそれは北湖側。さすがに広い。右を見ても左を向いても延々とビーチが続いている。対岸が遠くに霞んでいる。水深も深そうだ。
「日本人かい?」
 振り返ると、全身黒ずくめの外国人たちがベンチに腰掛けていた。黒人ではない。死海名物の泥パックだ。文字通り、頭のてっぺんからつま先まで、おバカなことに水着の上にも塗っている。おかげで何人なのか皆目見当がつかない。年代はおろか性別すらすぐには判別できない。
「見ての通り、死海はサイコーだ。君たちも楽しんでくれよ」
 確かに。常識を覆す自然環境が成立しているここでは、クレイジーな楽しみ方こそふさわしい。
 イスラエルで発見した僕なりの死海の楽しみ方、それは「歩く」ことだ。泳げない人でも溺れないという話は有名だが、それはつまり沈まないということだ。だから水中をどこまでも歩いていくことができる。まるで魔法使いか超能力者にでもなった気分だ。あの楽しさを再び。波打ち際ではしゃぐ他のツアーメンバーを尻目に、僕は意気揚々と沖合いに向かって歩き出した。
 くるぶし、ふくらはぎ、膝と、水中に分け入っていくに従い徐々に期待が高まってくる。湖底から足が離れていくあの独特の感触はいつ訪れるのだろう。太腿のあたりまで浸かるようになると、進むためにはある程度力が要る。そろそろ浮き始める頃か。前かがみになり、クロールよろしく両手で水を掻き分けつつ歩く。
 やがて、さすがにおかしいと思い始めた。水面は既に腰の線に達しているが足裏は依然として地面を捉えたままだ。イスラエルの時は既に浮いていた。こんなはずはない。微妙に不安を覚えながら、それでも、きっともう少しだからと腕や脚に力を込めて水を漕ぐ。
 そのとき、足が何かを踏み外した。そう、「浮いた」のではない。「踏み外した」のだ。階段の途中で存在しているはずの一段が欠落していた時の、ガクッとしたあの感覚。意図せざる方向にからだが傾く。ひょっとして沈むのか。僕は焦った。バシャバシャと両手をばたつかせ、必死で体勢を立て直す。飛沫が派手に顔にかかり、口唇をヒリヒリと刺激する。
 気がつくと水が胸まで迫っていた。ここまで深くなると水圧のせいで歩くのはなかなか難儀だ。しかも案外と波が高い。振り向けばビーチは遙か彼方。叫んでも声は届かないだろう。
 塩分濃度が違うのか。流されるままにどんどん沖へと運ばれていきながら、ようやく僕は理解した。南と比べて圧倒的に水量の多い北湖は、それだけ濃縮されていないのだ。
 汗が止まった。頭の芯からスーッと熱が引いていく。頬が、首が、背筋が、うすら寒いほどに冷えていく。砂漠の強烈な太陽に照らされながら、暑さを感じている余裕はもうなかった。
 

   
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茫漠のヨルダン
 

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