普段着のデモクラシー〜Roluos
 
普段着のデモクラシー
〜 Roluos
 

   ロリュオス遺跡群のひとつ、プリア・コーで面白いものを見つけた。選挙ポスターだ。一ヵ月後に迫った国会議員選挙用のポスターが、敷地に生えている木に貼ってある。まさか世界遺産に登録されている遺跡に貼るわけにもいかないだろうから仕方ないといえば仕方ないのだが、壁や塀ではなく木というところがカンボジアらしい。もっとも、プリア・コーでは祠堂の他に木しか見当たらないのも事実だが。
 中身はというと、学校の教室のような部屋に人々が続いてやって来る絵が一面に描いてあり、その上にスローガンらしき文章が数行書いてある。クメール語なので意味はわからないが、投票を呼びかける趣旨であることは一目瞭然だ。
 興味深げに眺める僕の背後からガイドが声をかけてきた。
「サム・レンシーって知ってますか」
 はて。そんな遺跡あったっけ? 今日は比較的時間に余裕があるから、ツアースケジュールに載っていない穴場にでも連れて行ってくれるのだろうか。
「この国は腐敗しています。サム・レンシーだけが正しいことをしているのです」
 なにやら訳がわからなくなってきた。いったい彼は何を言おうとしているのだろう。
「サム・レンシーって何?」
「じゃあ、フン・センは知っていますか」
「首相でしょ」
「サム・レンシーこそ首相になるべきなのです」
 ようやく話が見えてきた。来るべき総選挙における有力候補なのだ。僕が選挙ポスターをしげしげと見ていたので、政治に関心があると思い話題を振ってきたのだ。
 聞けば、サム・レンシーは唯一の野党指導者なのだという。カンボジアの政党というと、フン・セン率いる与党人民党と、その対抗馬であるラナリット王子率いるフンシンペック党しか知らなかったから、まったくの初耳だった。
 彼が率いるのはその名もずばりサム・レンシー党。いささかカルト的なネーミングに吹き出しそうだが、衰退を続けるフンシンペック党に代わって今や国会では第二党なのだそうだ。
「サム・レンシーこそが救世主です。私は今度の選挙ではサム・レンシー党に投票します」
 ある意味、衝撃的な発言だった。
 カンボジアが変わったことをまざまざと思い知らされた。UNTACの暫定統治が長く続いていたイメージもあり、依然として政情は不安で国民は抑圧されたままなのだと思い込んでいた。それがどうだろう。かつての密告社会から、国民が自らの政治的意思、しかも、反政府の姿勢を口にできるまでに正常化されているではないか。
 これは紛れもない民主主義だ。多党制を敷きながら事実上の翼賛政治が行われている途上国も多い中で、カンボジアでは若者が自分の一票で国を変えられると信じている。
 ガイドの彼はまだ20代。生まれたのはポル・ポト直後だ。国内は内戦状態にあったものの、虐殺のトラウマはない。その分直截的な物言いができる面はあるにせよ、この変化は驚き以外の何物でもない。
 1991年、パリ協定が調印され、長かった占領と戦争の時代に終わりが告げられる。この頃のことはよく覚えている。1993年に実施された最初の選挙では、正装を身に着けて投票所に足を運ぶ人々の姿が大々的に報じられた。民主主義がいかに尊い価値であるか、世界中が改めて認識させられたのだ。
 今度の選挙にガイドの彼は何を着て行くのだろう。たぶん普段着だと僕は思っている。現在のカンボジアにとって、民主主義はもう特別なものではなくなっているからだ。
 

   
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