餓鬼の道〜Kbal Spean
 
餓鬼の道
〜 Kbal Spean
 

   カンボジアの現代史を語る上で、民主カンプチア、すなわちポル・ポト派が政権を担っていた三年八ヶ月の日々を避けて通ることはできない。なぜなら、それはカンボジア一国だけでなく、世界史的にも他に類を見ない異常な期間だったからだ。
 1975年4月、実権を掌握した彼らは次から次へと不可解な政策を実行に移していく。農村への強制移住。知識階級の排除。無謀な強制労働。密告と粛清。それが当初からの計画だったのか偶然の帰結だったのかはいまだ解明されていないものの、結果として世にもおぞましい状況が現出した。虐殺だ。
 世界史的に見れば虐殺自体は残念ながら珍しいものではない。しかし、その多くはある特定の対象を排除することが目的だ。加害者と被害者は明確で、互いに人種や政治的思想などが異なることで排除が動機付けられる。また、多くの場合、虐殺の実行主体は国家権力そのものだ。
 しかし、ポル・ポト政権下で行われた虐殺はそうではなかった。同じクメール人、同じ農民である隣人同士が殺し合ったのだ。加害者と被害者を区別するものは何もなかった。殺らなければ殺られる。それだけが動機付けだった。そのため、まるで無間地獄のように虐殺が虐殺を呼び、最終的には国民の1/4とも言われる人々が命を落とした。これがどんなに異常なことであるか、理解できるだろうか。
 実は似たようなケースがひとつだけ考えられる。カルト教団だ。極端な思想が閉鎖的な環境の中で先鋭化し、やがて集団自殺へと向かう。しかし、小国とはいえ当時のカンボジアの人口は約800万。鎖国と情報統制が行き届いていたと仮定しても、そんな巨大なカルトが果たして成立し得るものなのか。
 クバル・スピエンからの帰り、あちこちに大きな穴の開いたでこぼこ道に揺られながら、僕はとりとめもなくそんなことを考えていた。
 その時だった。道端の木陰から何かが飛び出してきた。衝撃と共に車が大きな音に包まれる。窓がバンバン叩かれる。最初、猛獣に襲われたのかと思った。周囲は熱帯のジャングルだ。トラなどの大型肉食獣が潜んでいても不思議はない。
 しかし、そこにいたのは物乞いの子供たちだった。背格好から推測するに10歳前後。だが、その形相はあまりにも衝撃的だった。土まみれでぼさぼさになった髪、鋭く吊り上がった両目、耳元まで裂けた口。鬼が実在するとしたら、このような顔をしているに違いない。
 背筋に悪寒が走った。海外を旅していて心底怖いと感じたのはこれが初めてだった。戦時下のイスラエルでは実戦に向かう戦車とすれ違った。パキスタンでは政府の支配が及ばない部族地区にも足を伸ばした。しかし、今の方が比べものにならないほど怖い。
 運転手が窓を開け、何枚か小銭を投げた。子供たちが一斉に群がる。やれやれと思った瞬間、悲劇は起きた。
 小銭を手にした子供に別の子供が殴りかかった。腕を掴み、力ずくで奪い取ろうとしている。壮絶な殴り合いが始まった。握り締めた拳が一切の手加減なしであることを物語る。喧嘩などという生易しさではない。まさに殺し合いだ。取るか取られるか。
 車窓越しに子供たちが遠ざかっていく。見てはいけないものを見てしまったと思った。彼らはもはや人間ではない。餓鬼だ。たとえ見た目が人間でも、心は既に人間のそれではない。たかが小銭を巡って、しかし、いったい人はあそこまで残酷になれるものなのか。
 貧困だけが理由ではないような気がした。何かが壊れている。きっと、この国の底流を支える何かが深刻な痛手を蒙っている。まだ社会全体がポル・ポトのトラウマから抜け出せずにいるのだろうか。カルトの夢に閉じ込められたままなのだろうか。
 

   
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