聖域の条件〜Angkor Wat
 
聖域の条件
〜 Angkor Wat
 

   戦前、初めて上京し、二重橋からお堀越えに皇居を仰ぎ見た地方在住者は、もしかしたら同じ印象を抱いたかもしれない。
 滔々と水を湛えた環濠が目の前に横たわっている。さざ波ひとつ立てず、あくまでも静かに。対岸には島のように広大な敷地。その周囲を石塀が取り囲んでいる。意外なほど低く、しかし、環濠とともに結界となって来る者をやんわりと拒絶している。まるで現世とは別の世界がその中にあることを知らしめるかのように。
 アンコール・ワットがなぜ「アジアの至宝」と呼ばれているのか。その理由を知りたければ、この土手に立ち、醸し出されるこの雰囲気を感じてみればいい。開放的に見えながら、明らかに近寄り難い佇まい。遺跡というよりむしろ神域を思わせる。アンコール地域に現存する他の寺院と比べても異質だ。
 環濠を渡って塔門をくぐる。その先に果てしなく長い石畳の参道が続いている。天に向かう道はかくも遠いものか。歩きに歩いてようやく寺院に辿り着く。振り返ると、さっき通った塔門が遥か彼方に霞んでいる。過ぎ去った時空を超えるマインドセット。思わずタイムスリップしたかのような錯覚に捉われる。
 中国の江沢民から贈られたという木製階段を昇り十字型のテラスに出る。ここから楼門を通り第一回廊に入る。有名なレリーフは回廊の南側に多く残っているというので回り込んで鑑賞する。写真を撮ろうとしたが、つるりとして凹凸に乏しいのでオートフォーカスのカメラではなかなかピントが合ってくれない。斜めに立ったりしてようやく何枚かものにする。
 無造作に草が茂る空き地を渡ると第二回廊。こちらはクメール特有の嵌め殺し窓が見どころだ。そして、その内側にはすぐ第三回廊の基壇が聳えていた。見上げるほど高く、背後に引きがないので圧迫感がある。切通しの崖に囲まれているような気分だ。空が狭い。
 庶民を意識したバイヨンとは正反対に、ワットは王のためだけに建てられた。須弥山を模した中央祠堂、幾重にも張り巡らされた回廊、壁面を飾る写実的なレリーフ。建築の表層は同じでも盛られた意味は180°違う。すべては王が神に近づくための道具であり演出なのだ。第三回廊へと続く階段を見つけたとき、「そういうことか」と思わず僕は呟いた。
 およそ人が登ることを拒絶するかのような急勾配。立って登るのはほとんど無理、というより危険だから止めた方が良い。ロッククライミングの要領で上の階段に手を掛けながらよじ登るか、頂上から垂らされたロープに頼るしかない。
 ギザ、チチェンイツァ、テオティワカン、バガン。これまでいくつもの遺跡を訪れてきた。特に神権王朝の石造建築にはおしなべて強力な階段が造られている。しかし、これほどまでに急な傾斜を目にしたことはない。
 王が人間を超えるためには何が必要か。その答えがここに示されている。人間が到達できない高みへと昇ることだ。神の代理人たる王の居場所は天上でなければならないのだ。
「どうする?」
「ここまで来たんだから登るしかないだろ」
「でも、どうやって?」
「そうだよなあ」
 改めて基壇を見上げる。しばらく深呼吸を繰り返すと、僕は意を決して目の前に立ちはだかる石段へと最初の手を掛けた。指先に神経を集中する。もう後戻りできない。
「私は下で待ってます。素晴らしい眺めですから、ぜひゆっくり楽しんできてください」
 ガイドの声が背中で聞こえた。心なしか、いつもより楽しそうな響きだった。
 

   
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