眠れる都市、眠れる歴史〜Ruins of Angkor
 
眠れる都市、眠れる歴史
〜 Ruins of Angkor
 

   朝の爽やかな空気の中、木立を縫って車は行く。高原の別荘地を思わせる広い敷地には洒落た洋館が点在している。フレンチ・コロニアル様式だろう、淡いパステルカラーを基調とした外観が、さりげない高級感を醸し出している。
 シェムリアップでは今、国道6号線を挟んだ街の北側に次々と新しいホテルが建てられている。そのすべてが外国人を対象としたものだ。曲がりなりにも政情が安定し、ようやく本格的に観光客を呼び込めるようになった。「アジアの至宝」アンコールを訪れる人々は年々増え続けている。受け入れのためのインフラ整備にも力が入る。
「あ、ここもですね」
 道路脇の一区画が赤茶けた地面を覗かせている。熱帯雨林が伐採された更地をパワーショベルが忙しそうに走り回っている。大型の建設機械はまだ見当たらないが時間の問題だろう。ところどころに大きな切り株が転がっている。環境保護の視点からは異論もあろうが、これだけの世界的遺跡、ひとりでも多くの人に足を運んでもらうのは、それはそれで価値あることだと思う。
 しばらく北上すると、広大な池に浮かぶ島が前方に現れた。
「見えてきましたね。あれがアンコール・ワットです」
 ガイドの説明に思わず身を乗り出した。スケールが想像を超えていたからだ。
 アンコール・ワットは12世紀、クメール王国のスルーヤヴァルマン2世によって建てられたヒンドゥー寺院だ。およそ1.5km四方の境内を幅200mの環濠が取り囲んでいる。つまり、全体で約2km四方もの敷地を占める。同時代の平安京が約5km四方だから、単純に当てはめれば首都の6分の1が単一の建造物だった計算になる。現在の東京23区における皇居の面積を考えてみれば、それがいかにとんでもない規模であるかがわかるだろう。
 遺跡とは建物、あるいは建物の複合体というのが今までの僕の認識だった。しかし、これから見るものは、どうやらそうした概念では捉え切れないらしい。徐々にわかってきた。アンコールは遺跡ではない。古代都市だ。それも想像以上に巨大な。アンコールという都市の中にワットやトムといった多くの遺跡があるのだ。当然、遺跡以外のもの、たとえば森林や農地、民衆の住居だった場所などはさらに多く含まれていたはずだ。
 ガイドブックでは一枚の地図の中にまとめて描かれているが、遺跡から遺跡までは下手をするとkm単位。歩いて回れる距離ではない。車やバイクタクシーをチャーターしなければ移動にも事欠いてしまう。
 そして、交通手段が確保できたとしても見学できる場所は限られる。大きな遺跡は見どころも多く、ワットやトムは少なくとも半日を必要とする。だから、観光客はシェムリアップに連泊し、ホテルから目的地に行っては戻るピストンを繰り返すのだ。
「午前中はアンコール・トムの観光をします。アンコール・ワットは午後。ホテルに戻って昼寝をしてからまた来ます」
 環濠に沿った周回道路を進む。右手の視界が開けてくる。高く晴れ渡った空にうっすらと雲が浮かんでいる。寺院の伽藍が遙か遠くに見え隠れする。
 アンリ・ムオーによって「発見」されるまでの500年あまり、アンコール・ワットは密林に埋もれていた。いや、アンコールという都市全体がジャングルに覆われていた。
 平安京を遙かに凌ぐかつての大都会が地図の上から消え失せていたのだ。それだけではない。大航海時代を迎えヨーロッパ勢が勇躍アジアへと進出してくる過程で、クメール王朝の輝かしい歴史もまた知られることはなかった。昨夜見たような暗闇の中で、誰に気づかれるともなく延々と眠り続けていたのだ。
 

   
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